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かつての秋は消えた

 昨年のお盆時期は気温がとても下がったうえに雨模様が続いて、一人墓参をとぼとぼと傘をさして行ったのでよく覚えている。百日紅が雨粒をまとって海中の藻のように光がゆらめいて心を奪われたっけ。
 新卒1年目に初めてまとまった休暇としてお盆休みを得て、思えば社会人になってちゃんと夏季休暇をまとめて取れたのはあのときだけだったかも。それなので、会社に復帰するにあたって「夏休みを満喫してきた私!」で現れることがすごく重要なのでは?となぜか思い込んで、ブロンザーをつかってうっすら日焼け肌メイクをしてた、若かりし謎行動を思い出す…(黒歴史ともいう)。

 もう毎年、お盆を境に急激に季節が変わるといった気候でなくなってしまったな、と思ったのだ。かつてはお盆が過ぎるとまず風が変わった。涼気を孕み、如実に夏の終わりを知らせるので心持ちさみしさを覚えたり。けれど、だんだんと「今年のお盆前後」の様相は「例年どおり」とはいかなくなり、毎年ちょっとずつその年オリジナルとなっていると思う。
 もちろん、日が短くなったし朝晩は多少涼しい。とはいえ、あの、どうにもならないほど焦燥を掻き立てるような夏の終わりを連れてこない。

 髪を切った。伴い半年ほどパーマをかけていたのをストレートに戻した。美容院の鏡のなかで、ストレートパーマを施して映る自分の髪は、半年分の長さになっていて驚いた。もちろん、ショートヘアなのでずっとカットしていたとはいえ、最近は伸ばそうとしていたので長さ調整程度だったのだ。
 不思議な感慨が沸いた。

 夏の間、伸びつつある髪とパーマの相性が離反しあって、何もしないと小泉元首相のようなライオンヘアになっていた。それを隠すのにヘアセットに時間がかかって、このころのマインド含めて鏡を見るのが嫌になっていたし、鏡に映る表情も冴えないしで、うんざりの極み。けれど、美容院でまっすぐに伸びた髪、そして形をきれいに整えてもらったときに初めて笑みがこぼれて、サロンスタッフさんと軽口を交わすことができた。仏頂面でいたと思う。

 髪には念がこもるともいうので、ちょうど半年間の髪を髪型を、ハサミがカットしていったらとてつもなくスッキリとして驚いた。

 「季節が変わる」、「日が短くなる、長くなる」、「風が冷たくなる」、「空が高くなった」とか、仮に自分自身にだけかまけていても、大抵はそういう大きな変化に気づくといつも立ち止まることができたと思う。立ち止まって、自分の今の立ち位置を見直すことができていたと思う。小さいところでいえば道端の植物に目を留めたりもできるようになる。
 心が鈍ってくると、大きすぎる変化に心を立ち止まらせる繊細さを失う。上に書いたようなのは大きすぎる変化なので、自分は今回ヘアカットして「あれ、こんなに伸びてたのか」という時間経過を可視化したことと、毎度本当は似合わないのを百も承知でかけるパーマを落として、ある種の装飾過多を脱ぎ捨てたことで、大切な何かを「観た」と思ったのだ。

 その大切な何かは、もうちょっと時を待って表出してくるかもしれないし、表出せずに内で養分になるのかはわからないけれど。

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