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いくつもの世界

 17時。2分前からカウントダウンを待ち、定刻になった途端に勤怠を記載した。done.はいしゅーりょー---。すべてをなげうつような気持ちでPCの蓋を閉じデスク前から滑り降りた。昨日は半年ぶりに後輩夫婦と食事に行くことになっていた。それが楽しみだったわけではない。むしろ、着替えて外出することが億劫であったが、基本的に彼らに呼ばれて断ることは自分にはできない。
 夫婦、と呼ぶのもまだぎこちないほどフレッシュな二人であるが、そもそもは2020年末まで仕事をしていた会社で知り合った子たちで、関係としては6年くらいになる。二人が付き合っていることは誰も知らず、自分も打ち明けられたのは後半2年くらいのことだった。男性は役員で、女性はリーダー職で、それぞれが自分の指導対象の子たちであった。
 当初二人はそれぞれに私のことを嫌っていたと思う。実際、人づてにそう聞いたこともある。まったく平気だ。あの環境で当時の自分の果たした役割で、好かれるはずはないと知っていたし、自分は心に嘘がなく適切に自分の義務を遂行しているとき人に嫌われてもまったく気にしない。追って、人と人という関係にまで成長できたとき、真価はそこで初めて問われると思っている。それでも嫌いというならもうそれはすみません、って感じ。

 男性の方は、私が途中で二人が恋仲と知っていることを彼女に知らされていなかった。彼のつらい時期はとても長く、できる限りのことをしてきたけれど、最終的に彼の心は行くところにまで落ちてしまい、鬱状態が4年目になったとき彼に言った。
 「もういいよ。辞めちゃえ。もうよくやったしこれ以上できると自分で思う?」と。あれからいろいろあって、結局彼はほどなく退職し今はフリーランスで別人のような豊かな生を満喫している。

 女性の方もきつい立場で、週3日程度は夜の食事を共にしながら話を聞いた。夜間に「もうだめです。話を聞いてください」と連絡がくれば、既に夕飯も自宅で終えて横になっていても飛んでいった。その彼女も別の道でそれなりに納得いく仕事に従事している。春先にやっと、入籍の報告を受けた。
再会するのはそのときぶりで、自分はそのひと月後から会社員に復帰することを二人に告げた。

 アットホームでよい雰囲気のイタリア料理店だった。三宿のあたりには本当に隠れた名店が多く、自分は一番先に到着をし、店内のあたたかなムードとニンニクの香ばしい香りを鼻腔に吸い込みながら、気分がやっと週末の解放感に向かい出すのを感じていた。やがて二人が仲良く登場し、「おなかすきました!」と笑うA君(夫)の言葉をしおに、「あのさ、私もものすごーくお腹空いてるからさ、かたっぱしから食べよう!お任せでどんどん持ってきてもらってお腹の様子見てストップかけよう」と言い、宴が始まった。

 あまり考えずに今自分が置かれている状況を近況報告のつもりで話はじめると、二人の顔から笑顔が消えていった。「…信じられません。●(私)さんがそんなふうにされているなんて」と、今にも泣きそうな顔でA君が言うので、「いやー私もさ、きみたち二人もだけど当時一緒に働いて指導してきた子たちが見たらみんなショックを受けるだろうな~~笑。こんな私、想像つかないだろうな~って思うとちょっと面白く感じるんだよね」と、自虐でなく本心で答えたら、妻の方が泣き始めた。

 二人はなんて言葉を使って、自分たちの感じている思いを伝えようかと非常に苦心していて、自分はその様を見ていてなんだか胸がほんのりと温まるのを感じていた。彼らは、私が私として適切に選択をするだろうと信じているので、励ましや慰めは不要だとわかっていて、けれど明らかに私の心が傷を負っていることもわかっていて、自分たちにできることはなんだろう?と考えていることが痛いほど伝わってきたのだ。

 「あのね、28歳くらいのときに●●社に転職したんだけど、それは自分のなかで夢をかなえたことだったのね。けれど現実は本当にショックな事ばかりでさ。あの頃、オフィスが虎ノ門だったのでよく新橋からゆりかもめに乗ってお台場に行っては海を見て泣いてたよ笑」
 「人格が乖離していって、いや、乖離させないと生きていくことができなくて、ほんと今思うと一生墓場まで持っていかなきゃならんようなことがたくさんある。荒れて荒れてそんなとき、某社の仕事仲間がさ、言ったのよ」

 「●●(私)、ホンマおまえはとんでもないところに行っちゃったと思うけど、世の中っていろんな人間がおるんちゃう。たまたまおまえは今まで恵まれた環境、恵まれた人間関係で仕事できてたんやな。今はまた別のパターンの、いろんなやつらと働いてるってことなんちゃうかな、って。それ聞いて、当時は“なんで私の味方してくれないのー!?なんにもわかんないくせに!!”って思ったんだけど、今ならわかるんだ。その人の言う通りだったの。今、物事と距離を持って眺めることができて、今回も“いろんな人がおる”って環境にきちゃった。それだけなんだけど、それがつらいことだね。」

 二人は神妙な顔で聞いていた。
「だからさ、あの頃のことよく思いだすんだけど、あの頃は世界がひとつしかなくって、それがすべてみたいに追い込まれて追い込んで、死んでしまうようなつらい日々だったけれど、経験値ができて今はわかるの。これが世界のすべてではないって。だからさ、もう少し明確に心が決まるまで待ちたいんだよね、成り行きを」と一気に答えてブルーキュラソーのきれいなグラスを飲み干した。

 その後、本日のお魚料理が運ばれてきて、私たちはお任せをそこでストップをかけた。おなかはもうパンパンで、私たち3人のいつもの習わしに従ってデザートとカフェを頼んだ。どれだけ食べて満腹になっても、この3人で食事をすると絶対にデザートで締めるのだった。
 
 食事はこのうえなくおいしかった。久しぶりに人と話して笑った。本当の自分に久しぶりに会ったような楽しさが戻ってきていた。
 店を出て少し涼しくなった8月の夜を散歩し、それぞれのバスに乗った。

 帰宅してはっと気づいた。今回はこれが本当に書きたかったことなのだ。

 世界を幾つも持つことが大事なんだ、ということ。それを認識した。
 おいしい食事と気の置けない友人との会話、めいっぱい仕事して金曜の夜にそうした時間を持った自分は、明確に週5日、心を殺すことで耐えている自分ではなかった。そう、その世界も持っているが別の世界も同時にもっている。このことを体感したことで心から重荷がいっときかもしれないがすーっと退いていったのが実感されたのだ。

 私は特に、問題を解決するということにこだわりがちであるが、生きていると自分一人が努力をすれば解決できる事って少ない。人と関わることが社会だからだ。それを解決することを主眼に生活すると追い込まれるか、そこから逃げるかしか選択肢がなくなるが、「自分のなかにいくつもの世界を持つこと」。これによって適切なタイミングを待つことができるのだ。力業で解決できることばかりではなく、逆に生き延びてその過程で適切に事が起きていく、そのタイミングにチューニングしていくこと。これが必要なんじゃないか。

 あの二人はきっと帰宅しても「自分たちにできることはないだろうか」と話し合ったりしてくれたかもしれないが、彼らは既に自分にものすごい大きな贈り物をしてくれたな、と今心から思っている。

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