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年の離れた友人と

 昨日とても久しぶりに、、、、、、、
金曜日、とても久しぶりに会ったかつての仕事場での知り合いを、今なんと呼ぶ呼称が一番しっくりくるのかわからない。自分はマネジメント研修を主宰もしていたので、そのときの指導対象者でもあるし共に一冊の本を必死で作り上げた仲間でもあるし、部下でも同僚でもないが後輩というにはもう少し友だちめいた距離の近い子なのだ。年こそ20くらい離れているのだが、気が合って仕事を終えてよく二人で空きっ腹にビールを流し込んだものだ。えーとつまりは、その子と久しぶりに会って食事をした。知り合った職場を私に2年ほど遅れて彼も退職して以来、初めての対面だった。

 その職場は彼を筆頭に皆非常に若い従業員が多く、自分は社長の古い知り合いであったこともあり、多くのそれこそ20歳近く離れた子たちの公私に渡る相談事なども聞いている立場であったが、この彼(仮にAくんと呼ぶ)とはお互いに年が離れすぎていることで他人には言えないようなことも話せたり、また、価値観が合うことなどから不思議な友人関係ができていた。

 大学生のインターンとして参加しそのままその職場に入社した彼が、きちんと転職活動をして現在の大手企業に入社したのは今年の最初で、半年ほど経ったことで自分は連絡をしてみた。ベンチャーと大手とであまりに異なるカルチャーや常識、仕事の仕方についてどんな考えで過ごしているか興味が半分。もう半分は純粋に心配もあった。そうした環境で疲労しているんじゃないかと。まるで親子のような心配である。

 遅れて顔を出したAくんの顔が、以前よりわずかにふっくらとしていて、もっともかつて気になっていた目の光がしっかり入っているのを見て安堵した。何も心配はないのだ、と。互いの仕事の話をまくしたて、けれど変わったのはもうお互いにさほど暴飲暴食を必要としていないということだった。過去、ストレスフルな職場から避難先のようにして逃れていたその中華料理店では、いっとき何もかも捨てて忘我の境地に一足飛びでたどり着こうとして二人して大量の酒と食物を胃に流し込んでいたものだ。

 ゆっくりと口に運びながら、それぞれが小さな困難を多数抱えつつも充実して生きていることを確かめられた。個人的にAくんの道行きはとても気にしている。かつての導き手という立場と、しっかり導いてあげられるほどの権限がないなかで放置し、20代というもっとも仕事上で学ぶことの多い季節にどれほどのことをしてあげられたのかと常に考えてしまう。転職をずっと薦めてきたのも自分であった。彼にはメインストリームも体験してほしいと思っていた。

 話の流れで、彼の恋人の話になったのだが、その話題になると彼の表情がわかりやすいほどに暗くなり、瞬時に私は「ああ、またよくない恋をしているのか」と思った。「よくない恋」を定義づけるのはいやだが、要するに彼にとってよくない恋、彼をつらく悲しい目に合わせる恋をここでは指す。彼は非常にプライベートな内容を私に話しつつ、その目は涙でいっぱいだった。自分は一方で親のように胸を傷めつつ、「やりきればいいよ。もう無理だって時がくるまで。まだ26歳でしょ?だったら痛みも傷も、人間の味になるばかりだからそれでいい」と、無責任かもしれないが肩をたたいた。

 「そうですよね」と言って笑う顔は、とてもきれいだと思った。

 かつてより全然食べられなくなった私たちは、金曜の夜、過去に何度も歩いた道を歩いて駅に向かいながら、6月の夜風を受けて幸せだった。生きているということ、変化と共に学び続けられること、いろんな感情を味わえること、そうしたすべてにささやかに感謝した。別れ際、昔では考えられなかったほどしっかりとした挨拶を頭を下げてした彼を見て、新しい環境に移動した正しさを痛感した。みんな幸せになろうとがんばって日々を生きている、ただそれだけだよね、としみじみと思いながらタクシーを止める。

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