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同じ日の繰り返しを止めて、夏が終わる

 同じ日々を繰り返していると老ける。これは含まれる前提があって、幾通りものやり方を試してみた結果、最適と思われるやり方を毎日繰り返すこと、これはもう「道」に近いし、天候や外的な要因に自身を合わせていってこそ、同じ日々を繰り返していけるのであろう。だからここで言う「同じ日々の繰り返し」とは、ただ無為に日が過ぎるのを待つ方。そんなわけでこの週末は非常にマイナーで本人しかわからないけれど、「脱・同じ日の繰り返し」を意図して行っている。

 まず濃いベリー色の口紅を引いた。そもそも口紅をちゃんとつける日常でなくなって久しく、せいぜいがところオンライン会議の際にあまりに顔色がパッとしない日につけるレベルになっている。10代の頃、初めて自分のおこずかいで買った口紅がクリニークの「プラム・ブランディ」という色で、これに似ている。当時憧れてやまなかったアメリカのティーン雑誌で人気の色だったのだ。非常に大人っぽいのだが実際にリップにのせると不思議となじみのいい色だ。久しぶりに強い色をまとったら、鏡の中に新鮮な顔がある。おお、これはわかりやすく「脱・同じ日」効果が高い。

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 次に、制服か?ってくらい通勤時いわゆる平日に数種類の服を着まわしていて、特に夏場になると私のファッションへの欲求はにわかにダウンするのだが、とりわけ今夏はスカートをはいていない。これはもう、通勤路のアップダウンに合わせて「動きやすい服」しか着なくなったためだ。汗、かきたくないのだもの…。スカートもたまに履くとしても丈の長いものばかり、
 それなので今日などは膝が隠れる程度のネイビーのペンシルスカートを久しぶりに履いた。トップスにペプラム型のブラウスを合わせたので、会社に行く時よりもよっぽどオフィスファッションな仕上がりになっている。そしてこれもまた、普段動きやすさの点でまったく付けなくなってしまったロング丈のパールネックレスを合わせた。要するに普段、意識して選ばなくなった自分らしさの欠片たちが、いざ再登板となった。

 そんでもってお腹と腿の内側にエスティ・ローダーの「Knowing」をたっぷりと吹きかける。香水も会社員になってからは香害とならないように、淡い香りをほんのうっすら手首につける程度。

 一番最後に重要となるのがマインドの答え合わせだ。
 見た目から気持ちを誘導しようとして無理やりにつくった装いのとき、最終的に心が「いやです…」と言った場合、ぜんぶ脱ぎ捨てて無難なものに戻らざるを得ない。強行して出先で心と見た目のちぐはぐさに憂鬱になるのが目に見えているので、この最終チェック段階でマインドがNOと言えば無理なのだ。ところが今日はその心配には及ばなかった。ほほう、変わりたいんですね、私は。そう自分に向かってつぶやいた。

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 外出の目的地だって、最近はパターン化してしまった。駅についてから考える。ああそうだ、日本橋に行こう。滅多にいかないのできっと街並みは新鮮に映るだろう。実際、地下から上がると吹く風すらいつもと違う。うすく桃色に染まった夕景に佇むビルも歩く人も日頃見慣れたものではなかった。

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 日曜の夜に缶ビールを買った。ふだんほとんど家で飲まないし、最近は外食の機会も少なくてアルコールを求める機会激減。だからこれもちょっとした変化。しかも邪道と言われようがひえっひえで飲みたいので、氷をたくさんグラスに放り込んだ。みるみる泡が盛り上がり、目に見えてポップで刺激的だ。喉を鳴らして飲む。おいしい。金曜の夜でなくてもおいしい。


 日本橋で唐突に、小さな小さなダイヤモンドのネックレスを買った。買ったのは唐突だが、買いたいと思ったのは昨年だ。機会を逸し続けてきてふと思う。機会をつくらなかったのだ、と。生活することを優先にして、それはもちろん当たり前のことなんだけど、生活にはほんの少しの余白がないと人間としては錆びると思う。ジュエリーを所有したいという欲がほとんどなかった人生だが、冬服のVネックに、良く観ないとわからないほどささやかなダイヤモンドが輝いていたら素敵だ、と思った日からずいぶんかかった。

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 風がにわかに涼しい。夜は静かだ。今年の夏も、いよいよおしまいなのだ。

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