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答え合わせの会

 昨夜、23歳と26歳の男の子(男性とはとても呼ぶ気になれない)と約1年ぶりにゴハンに行った。これは、過去の仕事先での仲間なのだが、一人は大学生でインターンとして勤務していて、もう一人は年齢差があるのに盟友と呼べるほど、共に困難な仕事を乗り越えた。インターン君が内定を得たとき、3人でお祝いの宴を持ったことから同じ時期になると「答え合わせしよう」と集まるようになったのだ。「答え合わせ」とは、そのとき話しあった仕事に対する思いとかスタンス、そうしたものが1年経ってどんなふうに変容したのかというのを、なんとなく確認するって意味だけど、まあそんな難しいことはどうでもいいのだ。そのメンツで会って飲む。

 元インターン君は私も過去在籍した業界大手企業で2年目となり、本当に面白いくらい1年前の新卒時に語る内容とまったく違う成長ぶりが顕著だった。人って面白い…。同じ事象や現象を見ても、経験が彼に広い視野を与えていた。登場人物の内面への考察が深くなり、翻って自己についても深く知るようになっていた。心なしかたたずまいにも余裕が感じられ、別に私が育てた人材でもないのに感慨深くうれしかった。

 26歳の坊も、今年の年始から業界大手企業に転職を果たしており、元々ひょうひょうとしたキャラクターなのでどこでもやっていけるとは思っていたが、大手企業で扱う仕事のスケールとコミットレベルの深度について経験を持てるようになって、これまた彼の視界が広くなっていることがわかってうれしかった。彼にはずっと転職を薦めていたのだが、理由がまさにそれで、そこそこなんでもできてしまう彼には、トップレベルに触れることで世界の広さを知ってほしいと思っていた。同時に、その広い世界に立ったとき、小さき自己として彼が本当に望むものとは?という問いに対峙してほしいと思っていた。まだ当然、そこに至るには2人ともこれからたくさんの時間を要すだろうけれど。

 自分は結婚をせず子どもを持たなかったことで、生活のすべてを好きな仕事に捧げることができる。そして、こうした仕事を介して出逢った若者らが自分の子のようにとはまったく思わないけれど、ただの仕事仲間や後輩という呼称を越えて、ひどく大事で大切に先行きを見守りたい対象として在る。彼らは出会ったときにとっくに大人で成人しているが、彼らが傷つき心戸惑わすいろいろのことが、私も過去に同じように苦しんだものであったりするから、できるならサポートしてあげたい、それによって少しで自己をあきらめないで生きてほしい、と思う。若い子らと接するとき、ほとんど自分はガーディアンエンジェルのようだ。誰もそう思ってないでしょうけど(笑)。

 私は彼らを見て、輝くばかりの未来に羨望を感じることはまったくない。自分に対しても同じように輝く未来を信じているという、厚かましさがあるからだ。もっともっと経験したい、そこから最終的に自分のコア・コンピタンスを見出していく。その先から本当にスパークするはずだ、と堅く信じているのだ。

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