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まだ若い夜に

渋谷駅界隈が近未来感のある回廊でつながり、時節的にそれらが光りのペーヴメントでふちどられているために一層SFを連想させる光景となっている。生きていれば仕方のないことだけど、ここまで一気に慣れ親しんだ建造物や道なりが破壊の上に創造されていくと、記憶や思い出の行き場がなくなるようなさみしさを禁じ得ない。けれど一方で、もう二度とは現存しないあれらがこの胸に脳裏に、くっきりと鮮やかな思い出となって像をむすぶ。

喧噪を逃れて路地裏のBARの扉をくぐる。夜はまだ、始まったばかり。要するにそう、食事の前にBARで待ち合わせた。滅多にしないけれどこういう様式美を愛している。たった一杯だけ、カウンターで愛おしくグラスをもてあそび、本題に入る前の気軽な挨拶と会話をすることは、その後の楽しい時間を過ごすための大切な下準備のように思う。

扉の向こうに広がるあたたかな灯り。カウンターには既にくつろいだ大人たちが肩を並べており、さながら小枝に群がる小鳥たちのよう。コスモポリタンをオーダーするが、本当の本音では「オールドファッションド」が飲みたかったのだが、個人的にフルーツがトッピングされているカクテルをあわあわしないで飲みこなす力量がない。そんな子どもっぽい理由で避ける飲み物は多い。

待ち人は年若い仕事仲間であり、自分の世代の責任のひとつとして、こういう遊び方を教えておかないとと勝手に思っていたりする。たらふく飲んで食べた後、呑み足りないときだけにBARはあるのではなく、スマートな待ち合わせの場にほんの少したたずむという使い方も知ってほしい。

上質な一杯を大切にいただきながら、ほんの少しの滞在でエンジンがあたたまったら、さあ扉を開けて更けてゆく夜の友となろう。

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