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痛みの喪に服す

皆さん知ってますか?あと10日ほどで新年らしいですよ。

ってくらい、毎日その日のしっぽをつかむ間もないくらいどんどんおいていかれて時間が過ぎてゆく…。今年は年末支度がほとんどなんにもできていない。嗚呼もはや諦念と共に過ごす日々。

 私には12月の私的恒例行事がいくつかあるのですが、そのひとつが六本木ヒルズのクリスマスマーケットでグリューワインを飲むこと。でも、たぶん今年は実行できません。

 いつの間にか、毎年この行事を共にする人がいました。5歳ほど年上の友人でご自分で会社をやっている社長さんですが、仕事を介しての出逢いでしたがウマが合い、しょっちゅうお茶を飲んだりご飯を食べたりしていました。この年になると自分の都合で「今時間空いたんだけど、お茶しませんか~?」みたいに気安く声をかけられる関係は少なくなります。人それぞれの生活がありますから。そういう意味でこの人とは気軽に声をかけあえる友達として非常に貴重な関係でした。

 クリスマスマーケットも、最初はそんな気安い誘いの一貫で始まったものでした。自分が仕事場にしているスペースがヒルズにあり、12月の声をきくと美しい装飾のクリスマスマーケットが立ち現れることにいつも胸が高鳴りました。そこで販売する飲食物もとてもおいしく、気軽にスタンディングで楽しめるのもポイントでした。1年のうち互いに多忙であまり会わなかった年も、この場所で立ったまま凍えてグリューワインを飲むのが〆の行事になっていきました。

 今年、彼はずっと岩戸の向こうに隠れていました。お茶に誘っても、仕事の連絡をしても、かえってくるのは「ごめんなさい」。ここ数年、ずっと苦しんでいたけれど今年は本当に深刻なのだと感じていました。自分にできることはいろいろと試してきたけれど、最終的に放っておいてあげることが一番なのだとわかってからは、連絡をしないようにしました。きっと、そんなことないのに彼にしてみたら私は仕事がとてもうまくいっているように見えていたはずで、そんな人間に連絡されたりわかったようなことを言われたくはないだろうと思ったのでした。

 あるとき、本当に突然に、彼から連絡がありました。そこには信じられないことが書き連ねてあったのです。「いろいろ考えたけれど、年内で廃業しようと思う。それに合わせて東京も引き払う予定」と。そして、突き放すかのように「自分から連絡します」と。要するに、自分から連絡するまで連絡をしてくれるな、ということが書いてありました。その一言に傷の深さと、鮮血がいまなお噴き出している痛みをありありと感じ、自分の胸も痛烈に傷みました。

 しばらくは悩みましたが、自分の誕生日周辺の頃意を決して連絡をしました。「連絡するなと言われたが、私の誕生日なんだから私の言うこと聞いてくれてもいいのでは?つーわけでお茶しましょう」というような、無理やり感とエゴを目いっぱい表現して、そういう自分本位な人間なのだから気の毒に思ってつきあってほしい、という文章にしました。正攻法に誘ったら彼は二度と会ってくれないと思ったのです。そしてその賭けは成功し、ほとんど1年以上ぶりにやっと再会することができました。

 いっときの感情の嵐がほんの少し凪いで、彼は穏やかに傷ついた人で存在していました。さんざん悩んで苦しんだろう姿から、私は廃業を引き留めることも彼の決断を否定することも一切しませんでした。けれど、内心こういうとき自分だったらほんの少しは引き留めてもらわないと拍子抜けする気もして、「もう決めてしまったのなら、それはくつがえらないとわかってるので止めないけれど、本当はすごくすごく勿体ないと思っていますよ」とだけ、伝えたのでした。彼は別れ際に「年末で東京を引き払うから、忘年会はしましょう。自分が皆さんに声かけますから」と言っていました。

 クリスマスマーケットが11月の終わりに始まり、私はまた彼に連絡をしました。「今年も一緒に冷やかせますかね?もっと寒くなったらグリューワイン飲みましょう!」と。半月ほどしてから来た彼の返事には、「すみません。気持ちを前向きにもっていくことができず、クリスマスマーケットも忘年会もできません。ごめんなさい。自分の闇に引きずりこむことになってしまうから、もう自分のことは相手してくれなくていいですよ」と書いてありました。付き合いも長いので、本当に会いたくないんだなとわかりました。そして、忘年会とは仕事関係のみんなで集まることを意味していたので、この人たちに正式な別れをせずに去るんだな、それくらいつらいのだな、と思い知りました。

 彼の事業は決してうまくいかなくなってはいませんでした。むしろ、質の高い仕事をするので引き合いも多く、私もここ数年お願いしようとすると手が回らないと断られてばかりでした。問題は、彼はすべての働き手を正規の従業員にしたい人であり、社員を家族のように考える性質であったこと。それが、今のワークスタイルが変化している時代には合致せず、委託などで社外の人間を組織していく手法がどうしても、どうしても彼には許しがたかったのです。これは美学のようなものだから、仕方ないことだと思います。結果、コロナの自粛も手つだい、仕事はくるのに回せない、というジレンマに陥っていったようでした。

 自分も出資を受けて独立した昔、退任を決めるのに最後の年末年始を相当に苦しんで過ごした記憶があります。大晦日から年明けは、うつぶせにまるまって苦悶のまま体も固定されて、何日も前からつけっぱなしのテレビが年明けを伝えているのをそのままの姿勢で耳にしたのをよく覚えています。あの痛み、あの喪失、あの苦悶。彼も同じように苦しんでいるのだと想像するとつらさが蘇ってくるような気がします。

 一人で行けばいいのです。クリスマスマーケットに。何も予定して訪ねなくても、連日仕事しに行ってる間にちょいと顔を出してしまえばいいのです。

 それでもいけない。今年だけはいけない。行く気になれない。

 ああ、これは喪に服しているのか。

そう思い当たったのでした。

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