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大人にも新学期の気分です

美容室に行った。人気店なのでたいてい「あ、切りたい」と思って予約の電話をするとひと月は先になってしまう。なので定期的に訪問するならば、そこのお客さんは会計するときに次回の予約をいれるほどだ。

このサロンに昨年は2回しか訪れなかった。コロナは関係ない。自分が髪型に対してかなり保守的なモードになっており、そのサロンに行くととてもモードな感じになってしまうので予約することがためらわれた。分類するとこのサロンはそうしたモードな味付けを大いに得意とする店であり、そもそも自分はそういう種類の人間でない気がするのだが、昔から美容師さんはわたしにコンサバティブを認めてくれない。なんでだろう、ファッションで主張していることもまったくないはずなのに。であれば、コンサバティブな傾向のサロンへ移ればいいのだが、担当の美容師さんの腕やセンスはもちろん、人間性を尊敬しており、この方と縁を切りたくないという気持ちがある。

昨年はそういうわけで、近場でいつでも予約できる店を探し、数回カットしてもらったりした。その担当の方も素敵な方ではあって、そしてわたしはその方には自分の希望を伝えることができた。写真なども持参して、細かく自分の希望を伝える。仕上がりは希望の方向ではあるが、微妙に毎回、「あー…そうじゃないんだよな…」という、髪型以外の部分での小さな不一致を感じたのだった。けれど、通っているいつものサロンに行く気分にはなれなかった。わかったのだ、理由が。

そのサロンに行くとき、わたしは写真はおろか希望のスタイルを指定することはほとんどない。料理してもらうといった表現に近い。担当の方がひさしぶりに見る自分に対して抱く何かを自由に表現してほしいと思ってしまう。金曜日に非常にひさしぶりにお目にかかったとき、実は写真を用意していたのだが、なぜか自分は出さないと決めた。そして「結べるくらいには伸ばしておきたい」とだけ伝えると、彼女が自分のiPhoneをもってきた。海外の雑誌からたくさんの気に入った髪型をストックなさっていて、「こういう感じにしませんか?なんか、すごく今合うと思ったんです」と言われ、実際それはとても素敵でわたしの希望に近いこともあり二つ返事でお願いした。

仕上がりはやっぱりモード!大丈夫かいな、これを自分のものとしてこなせるのだろうか、と心配になってくるが大いに満足した。髪型に、というよりは彼女の技術、センス、表現を体感したことがうれしかった。自分はプロフェッショナルがとても好きで、お洋服売り場でも化粧品売り場でも、対話をしながら自分がピンときたプロフェッショナルが薦めてくれるものを買う。なんというか、買い物体験を通してその道のプロの哲学を自分を通して感じることが好きだからだ。誰でもいいわけではもちろんない。

髪型を変える。服を変える。季節が変わる。新しい自分でなにをしよう。どこへ行こう。ふわふわと浮かれた気分というよりは、新学期の気分だ。ぴりりと引き締まる思いがする。

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