見出し画像

ささやかに素敵な

 哀しい哉、感情面を刺激する出来事から遠のいており、その非充実ぶりは顎まわりに噴出する吹き出物のすさまじさでわかろうというものだ。本当に心を占めている事柄を書いてしまうととてもみっともない文章に自己嫌悪をもよおすのは確実なので、先週ささやかに素敵だった「木曜日のタクシードライバー」との話を書こう。

 例のごとく、木曜日は一週間と次の週のために自分に贅沢を許していて、タクシーで帰宅する。大体3,500円くらいかな。かわいいものではないか?今週も滅多打ちの心身をひきずってビルの車寄せに行き、eyes to eyesで運転手さんと意思疎通、すーっと音もなくクルマが寄ってきてドアがすらりと開いた。文字どおりドサリと体を座席に放り込み、やっと空気が吸えるような心持ちがした。「●●までお願いします」。やおらクルマが動き出す。

 空気を雑巾のようにしぼったら雨水が垂れてきそうな重たい湿度にうんざりし、「今日も大変な湿度ですねぇ…」と言うと運転手さんはどうしてか怒り口調で湿度、天候、災害、地球、人類の傲慢 とまで話を拡大させていく。面倒くさいな、と思いつつ話しぶりが紳士であったのであえて、「運転手さん、やめましょうよ…楽しく帰りましょうよ!私、ものすごーく疲れてるので楽しい話がいいです」と言った。「…ふむ…。たしかに」と彼は静かにつぶやくと、「お客さん、歴史は好きですか?」と聞いてきた。

 「うーん、好きな時代が局所的で、どうかな…」と、これからの道のりを難しいオベンキョトークで帰るのか…と少し億劫な気持ちになる。彼は構わず話始めたのだが、これがなかなか面白い時間となったのだ。

 実のところ、運転手さんが話してくれた話のほとんどを覚えていない。ところどころ「面白いな」と感じたものはある。どうしてかというと、彼は大変なマニアであり、時間があると近所の図書館にいって古文書をひも解くような人であった。つまり、歴史といっても世に出ているいわゆる「勝者の記録」ではなく、名もなき庶民のありふれた日常を独自に仕入れてきているのだった。

 「私はね、表に出てる有名な歴史は興味がないんですよ。だって嘘ばかりだから。でも、一般の名もなき庶民の暮らしを自分で調べるとね、今と昔もなにも変わっちゃいないんですよ。それが面白いじゃありませんか」と熱っぽくいろんな「名もなき庶民の昔話」をしてくれた。その一つひとつはとても面白く、私も素晴らしい聞き手だったと思う。でも薄情かもしれないが、自分はそれらの話の詳細は実際、どうでもよかった。運転手さんほどに面白いとも関心を持つこともできなかった。ただ、何よりも私が楽しんだのは、「語るべきものがある彼」という存在であった。だってそれって、夢中になっているものがあるということだから。

 私は何度も「すごい!面白い!」と繰り返したが、運転手さんはそれらの昔話に対する感想だと思っていただろう。けれど実際は彼自身がユニークな個性であることが私には面白かった。ああ、またこうして最高のご褒美時間を味わえたなぁと思いながら。

 耳だけ話に傾けながら、車窓に流れる夜の街を見るともなしに見ている。夜の明かり、人の群れ、笑顔の人々、水分をたっぷり含んだ空気の中で滲むような光。この一日を生きた、ああ一日が終わる。すべての人と同じに、今日も一日が終わる。木曜日のタクシーが私を癒し、家路へとたどる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?