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ミモザの扇子

 明けきらない梅雨特有の重くじっとり熱を孕んだ空気の1日で、そういう日は真夏の酷暑より疲労する気がする。ようやっと外気から避難するように冷房の効いた室内に滑り込むと、気が付けばこのところいつも、PCの覗き見防止フィルターを下敷きのようにしてブンブン振ることで風を起こしていた。むむ、これはちょっとよろしくないな、と思っているのについ気づくとブンブンしている。そこで扇子を買うことにした。

◇◇◇

 ちょうど百貨店に用事があったので、婦人雑貨売り場へ行くと案の定季節商品として扇子の一角が設けられていた。あまり人がいなかったこともあり、すぐに販売員さんがつつ、と寄って話しかけてきた。その方がふっくらとかわいらしく、いかにも優し気であったので、もうそれだけで立ち寄ってよかったという気持ちになる。

 「どういうのをお探しですか?」とほほ笑まれたが、なにぶん「PC覗き見防止フィルターじゃない本物の扇子であれば」くらいの考えしか持ち合わせていなかったので、少しあわてた。

 「…やっ…、とくになにも…」あかん。この返答はいけない。まるで冷やかしにきたようじゃないか。買うつもりで来たのだからもっと協力的な客にならないと。しかし、女性はニコニコしながら「そうですか。このシリーズはお誕生月の花なんですよ。何月生まれですか?」と聞いてくれた。

◇◇◇

 「11月です」と答えると、「えーっと11月は…。あった、これこれ」と扇子を手に取ってパッと開いて見せた。

 「ガーベラです」。扇を開くとガーベラがこぼれるように花開いた。とてもかわいらしかったが、私にはかわいらしすぎると思われたので率直にそのように伝える。そんなことないですよ~、など言いながらおもむろに別のシリーズを示す。いいな、と思ったのが、彼女がことごとく示していくシリーズは一見しても手ごろな価格帯のものであったことだ。陳列も、見えるように価格表示がされており、そのメーカーの標準価格帯は結構高価なようだった。にも関わらず、低めの価格から薦めてくれることに彼女の誠意を感じなくもない。

 「これはちょっと珍しいんですよ」と、彼女が手に取って開くとそこには繊細なミモザが描かれていた。ミモザは昔から好きな花なので、いいな、と思いつつもそのあたりから私は自分の好みを自覚し始めてきていた。実はもっと渋いものがいいなと思っていたようだ。けれど、どうしたことか彼女が薦めるものはほとんどがかわいらしい品ばかりであった。あれか、特に考えもなく立ち寄った人間だったからか?

◇◇◇

 「かわいらしいでしょう?なかなか扇子にミモザってないと思うんですよ」と、ニコニコする彼女をずっと見ていたいなとつい思ってしまい、瞬間的に「ではそれをください。それにします」と言ってしまう。私は自分の仕事に誇りを持っている人の推薦は断らない主義なのだ。絵柄はひとつひとつ手で描かれているそうで、微妙に異なるのだという。それでミモザ柄の扇子をいくつか見せてくれて、選べと言うのだが、もはや私には違いがわからない。うーんうーんと彼女はいろいろ見比べて「これがかわいい気がします」と言うので、じゃあそれを、と言い、袋もひとつひとつ見比べて彼女が悩み、これがかわいいと思いますが、と言えばじゃあそれを、といった具合に買い物が進んだ。

 そうそう、その扇子がいいなと思った理由のひとつがちょっと小さいのだ。仕事の移動で持ち歩くのにちょうどよかろうと思い、サイズだけはこだわったのである。支払いをし、晴れて我が手元にやってきたミモザの小さな扇子であるが、私よりいくぶんか年上であろうにこやかな女性が私のために選んでくれたことで商品にさらに価値を感じるような気持ちがした。

 今日、女友だちらと食事をしていて、あまりに暑くてさっと扇子を出して扇いでいると「すごくかわいいね。見とれてしまったよ」と言われ、「ありがとう。そうでしょう?」と、ちょっと誇らしく思ったのだった。

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