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若緑の人たち

 今年は街に4月の風物詩が戻ってきた。大量の新社会人が歩く光景だ。毎年パンデミック以前には、駅の定期券売り場に行列ができると「ああ、そろそろ4月1日がくるのか」と思ったものだった。そうしているうちにまず大学街で初々しい学生の姿が見え始め、数日するとまださほど学生と変わらぬように映る彼らが、始まった新しい生き方に飛び込んだばかりの驚きとうれしさで街を飾るようになる。概ね、夕方になるとどっと彼らの姿が駅までの道にあふれるのだが、決まってそれを4月の生まれたばかりの春の陽光がつつみこんでいて、一層と若い彼らの姿をいきいきと見せるのだ。

 昨日、バスに揺られながらそうした光景に出くわし、同時に信じられぬほどきらきらと光の粒子が風に踊るのを見て息をのむ思いがした。

 4月って毎年こうだったよな…。

 テレビで大手企業が2年前の新卒の方々の入社式を、今年合同で行っているニュースをやっていた。インタビューに答える社員さんは、いまだその頬に隠し切れない若さを宿しながらも、確実に社会人として生きた人の話しぶりなのだった。時が、厳密に経過していく。

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 この時期、必ずといっていいほどにどこかのエッセイで見かけるのがポール・ニザンの「アデン・アラビア」からの一節だった。

僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。

 1冊を読んだこともなく、ましてやこの多くの人に忘れじの文句として残した作家の存在すら知らなかった自分も、あまりにこのフレッシャーズの季節に目にするため常套句のようにしておぼえた。いわたわるような懐かしむような慈愛の気持ちで、20歳のポール・ニザン(の主人公)に向けて微笑んでしまう。だって、やっぱり人生でいちばん美しい季節だと思うのだもの。「美しい」、その定義が生命が躍動するさまとする限り。

 しかし今年の春、終わらぬパンデミックだけでなく世界中を恐怖でおおい胸傷む「かの件」があり、いまだポール・ニザンを持ち出すエッセイを見ない。けれどだからこそ、街にあふれるいきいきとさんざめく未知を目指す若者の笑顔が新芽の若緑と相まってことのほか美しく思える。

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