ミラン・クンデラとジェーン・バーキン
先週は文化をつくり、生きるイコンとなってきた方々が鬼籍に入られたニュースが相次いだ。仕方ないとはいえさみしいことだ。ご冥福を祈りつつ私的追悼代わりに書いておく。
哲学的な文章による挑戦状 ミラン・クンデラ
ミラン・クンデラ。チェコスロヴァキア生まれのこの作家の著作を、私は「存在の耐えられない軽さ」のみしか知らないが、それで充分すぎるというほどに味わい尽くしたと思う。1984年に刊行されたらしいその作品に初めて触れたのはさらに時が経って16歳のころで、念のために言えばその年ごろで読むには早すぎるうえ理解などできない代物である。高校受験を控え、一切の読書体験を自らに禁じた私は、高校に合格したら読んでみたい本のリストをつくるようになっていた。合格祝いに大量の図書券をもらったのを機についに入手したのがそれであった。
当然のごとく読んでもわからない。わからないからつまらない。つまらないので途中で止める。この繰り返しで何年も経った。一応、大変なベストセラーであったことを記憶していたものだから、なんとかして読了したいとは思うもののどうにも手に負えないまま月日が過ぎていく。何度目かの引っ越しでも、どうしてもかの本を手放すことはできず苦々しく思いながら荷造りをし、やっと通しで最後まで読了できたのは28歳のころだった。ずいぶん時間がかかったが、その哲学的な文体が当時の私にはちょうどセラピーのような役割も果たしてくれ、文章の力を久々に体中でかんじられる忘れじの体験となったのだ。
クンデラのこの書籍について、感想を書き出すことは難しい。何度かトライしてあきらめた。おそらくそれは「哲学的文体」に拠るところが大きいと思われる。要するに、読み手の倫理観や嗜好・思考、信条、人生観や経験値などによっていかようにでも解釈が分かれるからだ。また、幾度も読み手に考えさせることを挑んでくるその文体に、あいまみえるという格闘の履歴が人生にないならば、おそらくなんの感想も心に残すことのない特異な小説なのだった。
その後も幾度か読み直し、そのたびに深い感動を覚えた。いまだにその本は手放すことなく持っている。激動の時代にリアルな生と死にまみえた作家に深い哀悼の意を捧げたい。
だらしない女神 ジェーン・バーキン
世界中のおしゃれな女性たちを虜にしてきたジェーン・バーキンだが、私が思うにこの人、実は自分とタイプがよく似ているな、と思うことがしばしばある。当たり前だがその天然の美しさ愛らしさについてでは無論ない。
おそらくだけどこの人は非常にずぼらな性質だったと思っている。
名高いエルメスのバーキンにしても、たしかジェーンがいつでもどこでも、どんなシーンにおいてもボロボロの大きなかごバックのようなものをぶら下げていて、飛行機で隣り合わせた当時のエルメスの人が「あなたが望むようなバッグを用意しましょう」とほとんど見かねて申し出たと記憶している。(念のため今からソースを調べてみる⇒ 合ってた!)
実際、彼女の格が上がったのは「あの」セルジュ・ゲンズブールのパートナーとなったからだと思う。歴史上、稀に起きる化学変化によって輝きを増す組み合わせというのがあって、セルジュとジェーンはまさにそうだった。
とにもかくにもスキャンダラスなセルジュの表現にひるむことなくのっかれたのがジェーンだし、実はごくごく素朴で無頓着な人だったと思われるのだ。時代とセルジュ、彼女のおおざっぱでラフなスタイルがうまくそれらと調和したことでカルチャーになった。セルジュも確か、若干ミソジニーのきらいがあっておっぱいの大きな女性が苦手だったとか(でもBBと付き合ってたけど)。ジェーンの薄っぺらい胸に扇情的な太もものラインに対して、「少年の身体を持つ女性」という最高の理想を見たと言っていたのを何かで読んだ。映画「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」などはまさにそうしたセルジュ的ジェーンの美が顕現する“だらしなさの女神”を全力で描いてみせたものだと思う。
トルーマン・カポーティがマリリン・モンローを評してこう言った。
ーただの白痴である、だらしない女神である―バナナ・アイスクリームや桜祭りがだらしないけれど神々しいというのと同じ意味において。ー
だらしないっていうのはある種のエロスであって、そこには土着のおおらかな健康美がある。三島由紀夫の「潮騒」にも通じる。ただ、それは限られた短い季節のみに許された美であって、中年と呼ばれる頃を過ぎ、身体が弛緩し始めると魔法は解けるように思う。おそらくはジェーン・バーキンは女神だった時代の自己を、語り継ぐ「語り部」としての生を後半生では生きたのではないか。セルジュの奔放なパートナーであり、その化学変化から誕生した娘たちの親として、生きる伝説を巫女さながらに口伝しつつも本人は実のところ最初から最後までひたすら素朴でずぼらな一個人だったように思う。彼女の前に映し出されていく景色だけが勝手に鮮烈な時代の光であっただけで。
生き切った人生に哀悼と祝福を。
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