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Bitter & Sweet

今年も間もなく終わる、だなんて書くと一気に締めくくり感が出てくるものだが、今年を個人的に総括すると「よく行動した」一年だったといえる。比較的、その前の年がうだうだと悩むだけ悩んで、ろくすっぽ現実の世界に軸足を置いていなかったので、なおさらそう思えるのだろう。結局、考えてみるとコロナによって外出自粛期間があり、行動が制限されるなかで増えたのは内省の時間であり、内省がうまくいったからこその行動につながった。

ただひらすらに考えるだけであったら行動する前に及び腰になってしまうので、ここが内省と思考を分かつものでもあった。「どう生きるか?」は絶えず自問すべき貴重な問いだ。けれど、仕事という手段に忙殺されるほどにその迷路の森に深くはまり込んでしまうため、「どう生きるか?」は置いてきぼりになってしまう。ただ呼吸して食べて寝て働く、この延長だけを「生きる」と表現するのは心が死んでゆくと思うのだ。しかし語弊があって、そのひたすら単調な繰り返しのなかに「意志」をもってそれを執り行うのであれば、それは立派な「生きる」になるのであって、心を置いてきぼりにすなわち「忙殺」という状態になっているとやっぱりそれは違う。

たくさんの人に会いに行き、自らの言葉で語りかけてきた。してきた多くの失敗や学びが昇華され反映されたあゆみに、今このときもつながっていくといい。ちょうど金曜の夜に、昔の会社のボスをお誘いして食事に行った。新規事業の協力を仰ぐためだ。これがまた、最近でもっとも楽しいひとときだったという、すばらしい時間を過ごすことができて、自分とかつてのボスに、それぞれに時間と体験がもたらした「今」ならではの、新たな関係が築かれたようで心弾むほどに幸福を覚えた。

少し前の自分は、「後悔はない。反省こそ多大にあれど」と口癖のように言っていたが、いやいや後悔しろよ、と最近は思う。そのときした意思決定が、心底悩み考えた挙句、当時最高の打ち手であったとしても、100%の正解ってやっぱりないものだ。そこにある少しの悔いを見つめない限り、自分は永遠にその器を出ないと思う。

しみじみと幸福、今とてもそう思う。悩みは尽きず、問題もいろいろあったとしても、だ。これでいいんじゃないか。人生って。Bitter & Sweet、ふわふわの甘いことだけで塗り固められた菓子は胸やけする年になった。ほんの少しの胸の傷み、ビターがあってこその幸福と思える。

photo by eschipul

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