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不眠症とデンマークの王子

6月の朝は早い。“亡霊”が鶏の声で朝の到来を知って姿を消すのは「ハムレット」であるが、4時にならないうちから小鳥がさえずり出すので亡霊にシンパシーを寄せながら、いまだ眠りに就けないままの自分に焦る毎日だ。

不思議なもので、部屋に生花をおいているとその気配を濃厚に感じることができる。眠れぬ夜更けに静謐な存在感を発揮して、つぼみを少しずつほころばせていく様はややもすると不気味なくらいである。そうなのだ、わたしが生花を飾るのは、単純に美しいものを見てプラスの作用を得たいだけではなく、なんとなくその不穏な生のエネルギーを感じていたいからだ、とも言えよう。

もう完全な暗闇をつくりだすことのできぬ現代社会において、街灯の薄明かりなどカーテンの隙間から漏れ差し、それでも言葉ひとつ発することなく息をつめて眠りの到来を待ちわびているとき、生花はまるで共犯者のようにして傍らで妖しく呼吸している。むしろこの時間、花の方がわたしより雄弁であり強く命を発現している。

鳥が鳴く。空が青く輝く。闇を抜ける瞬間、濃紺の空の色が夜明けを告げる。ようやっと疲労困憊のわたしが眠りに就くころ、生花は急に存在感を背後に隠しておとなしくなる。そうして、目覚めてみれば少しの薄気味悪さも感じさせずに、ただ「美なるもの」としてそこに在るのだ。

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