見出し画像

ベッドは漂流する

 金曜か土曜の夜、ピザだのハンバーガーだののいわゆるジャンクフードをめいっぱい食べることがある。もちろん毎週ではないが、とはいえ滅多にしないわけではないというくらいには頻繁ではある。それをする理由はカンタン、「週末の訪れ」を祝う儀式である…!

 いい年になると、食事内容もふだんから健康に配慮したものになる。それこそが大人だ。好きなものばかりではいけないし、洋食に偏ってもいけない。持続的に機能する身体であるために、食事は好き嫌いなくバランスよく、だ。子どもの頃からそう教わってきたでしょう?そう、常識だ。
 しかしですよ。

 週末、自分は大抵土日のいずれかに、それこそ平日以上にがっつり仕事をしている。平日にまとまった時間を確保できず、後回しになっていた重たい仕事が結局週末に持ち越されるからだ。けれど、自分の時間を捧げていつでも連絡がきたら応えて、最優先事項はお客様というのは金曜の19時を越えたらおしまいだ。この解放感たるや。つまるところ、自分の采配で仕事をどのくらいいつ行うか?はまあいいのだ。ストレスになるのは連絡事項に延々と回答し続けること。これを複数の契約企業と行っていることが日々ストレスとなって蓄積されてゆく。これを、金曜19時(一応そこまでは自分に強いている)、一挙に解き放つ。このサインがデリバリーで頼むピザなわけだ。

 普段控えている不健康な食事を、普段控えているカロリーを、普段控えている膨大な量を、この宴では問わない。たまに、ベッドルームにデリバリーの箱を抱え込んでネット映画なぞ観ながら食べたりする。不健康だけでなくマナーとかそういうことからも解放してやる。
 これが、こんなちっぽけなことが、自分には意外に効くことに気がついた。

 私のベッドはさながら小舟である。
 この小舟に一人乗り込み、漠々とした世界に漂う。これは比喩でありながら、おそろしいことにまったく比喩ではない。たとえば何も予定のない土曜日に、大量のコーヒーを沸かしてこの小舟に持ち込むとき、自分は悲壮なまでの覚悟をしてそこから降りることはない、と決める。事実というより心象風景ではあるが、そんなふうに思い詰めてベッドの小舟で「なにか」を漂う。おそらく精神的な旅、精神的に何かに決着をつける一連の時を過ごすとき、それは旅なのだと思う。
 
 金曜の解放を祝うときの小舟は、もう少し意欲的なものに満ちている。前方も後方もなく見渡す限り蒼い世界に在るが、確実に船は進み同じ処にいることはない。数時間の旅が自分を連れていく先は、確かに「週末」であり、明確にウィークデーからウィークエンドへの旅となる。

 書き進めてきて、ばかだな、と鼻白む。いい年して阿呆じゃないのか、何がベッドの小舟だ。と思わなくもない。けれどこわいことに結構な真剣さでこうしたことを思っているのが私という人間であったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?