見出し画像

夏の終わりを告げるもの

すごく不思議なことだが、わたしにとって、夏が終わるのを実感することとは、風が微量の涼気を含み始めたことでもなく、秋の虫が鳴き始めたのに気づいたときでもなく、最終的には紅茶を飲みたくなることでわかる。もちろんそれは、熱い紅茶だ。

ほとんど飲まないのに、わたしには夏の象徴はアイスコーヒーではなくアイスティーだ。琥珀色の魅惑的な色合いを、グラス越しにそのまま感じさせながら、氷はゆっくりと溶け出していく。ストローをわずかに動かすと、からんころんといかにも涼し気にグラスと共鳴する。たっぷりとグラスの外側に汗をかきながら。黙って放っておいても、自らの融けだす変化によってからん、と音を立てながらくみ上げられたスクラムを次第にゆるゆると崩壊させていく様などは、いつまでも暮れない夏の夕刻には至福の眺めといえる。

それが、不意に前触れもなく、熱い紅茶をたまらなく欲することがある。そうして気が付くのだ、「あ、夏が終わる」と。この場合の紅茶は、子どもの頃から慣れ親しんだように、熱々の温度で砂糖を惜しまずいれるのが良い。普段はコーヒーにも紅茶にも砂糖をいれることはないのだが、秋の始まりを告げる熱い紅茶には、どういうわけだか甘さが欠かせない。これはもう、ほとんど儀式のようなものなのだ。

まさしく今日、紅茶が飲みたい、という知らせが内側からあった。思えば昨日は処暑、少しずつ涼しくなることを暦も告げている。この、紅茶が知らせる秋の訪れは、自分自身すら無自覚でいるときにもしっかりとアラートされるので少し驚く。そうして、毎年繰り返す儀式化したせいで、自分だけの様式美のように成立してしまったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?