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胸に音楽が鳴り響く

日々があまりにもめまぐるしく過ぎるので、あっという間に2021年の後半になっていそうでこわい。そうならないとも言い切れないので、ほんの少しの内省のためにここに戻ってくるようにしたいとも思う。

さて、昨年の秋口ころから新しいチャレンジが同時進行で3本ほど走りはじめ、そのいずれもが「合わないかも…やだな」という後ろ向きな感覚を持ちながらであったのだが、どこかのタイミングで細い針穴に糸がスッと通ったときのような感じをおぼえ、仕事や人と通じる局面を味わったことで、数か月後の現在においては、「なんて面白いんだろう!」と思えるようになっている。

とはいえ非常に忙殺されてしまい、10月から週1で徹夜仕事は当然、それ以外の日も3時4時くらいまでやらないと間に合わない、という中年世代にはダメージを喰らう働き方が常態化してしまい。わかったこととして、この年で徹夜をすると2週間ほど引きずるので、毎週していると恒常的に体調は最悪だった。久しぶりにずっと止めていたドリンク剤をかなり多用してしまったり。コーヒーなんかはもう、一日12杯くらいは流し込むように飲んでいて、とにかく「仕事納めしたら倒れてもいいからそれまで持ちこたえてくれ」と自分の体に祈るようにして日々が過ぎていった。

実際、仕事納めをしたら倒れることがよくあったので覚悟していたが今回はそういう事態にもならず、かといって公的な仕事納めを過ぎても30日までうんうん苦しんで仕事をしており、はたと気づいた。

まずい、休暇の気分を逃したまま仕事始めになってしまう…。それだけは避けないといつかストレスで爆発するな、と思い強制的に休暇モードに入った。そうすると元来のなまけもの精神がいかんなく発揮され、寝正月三昧となるわけだが。

いつもだったら、フリーランスの身の上を最大限に味わうためにも年始の仕事始めは一週ほど遅れてのろのろ開始するのだが、今年はそうもいかず既に爆走状態。眠気と格闘しながらも、楽しいので苦にならないのが救いだ。

本当はこれを一番に言いたかったのだけど、今わたしが心から実感していることがある。

この年になってやっと、自分が本当は何がしたいのか?ということが明確に見え、かつそれを望み手にできるスキルと実績がバランスするようになったということ。「何がしたいのか?」を業種で答えるのではなく、真実追求したいものとして定義できたことは大きかった。なんとなく気づいていても、あまりにも大それていて望んではいけないと思い込んでいた。

「言葉にしていい」と状況がそろって、背をおされる人との出逢いをたくさんできた年だった。そして、ここ数年は特に、自分などに声をかけてくれるならば…となんでも受けてきてしまったけれど、今は3つ仕事に焦点を合わせ、業務量などの問題ではなく(それもかなりあるが)魂がその仕事にコミットできないものは受けない、とスタンスも明確になった。

社会人になってずいぶん経つけれど、今が初めて自分に忠実な働き方をできているのかもしれないと思う。そして不思議なことに、このところは毎日の生活にベートーヴェンが流れている。第九の「歓喜に寄す」の精神が、おそらく自然と満ち満ちており、

おお、友よ、これらのような音ではなく、もっと快い、喜びに満ちた調べを歌おうではないか!(O Freunde, nicht diese Töne! Sondern laßt uns angenehmere anstimmen, und freudenvollere.)

この感覚を生で理解したんだと思う。細胞がふつふつと生きる喜びにふるえるような感覚を心底理解した。

まずはこの辺で。年の始まりをこのような音楽が鳴り響く胸の内で過ごせていることを幸運に思っている。

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