大阪城は五センチ《 8 》 【創作大賞2024】
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《7》《8》《9》《10》《11》《最終話》
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土曜の昼間だというのに、駅舎前は無人だった。
道路をまたいで架かる、白いペンキを塗りつけたべニアで作られたアーチの「歓迎」の文字が、薄曇りの空にはっきりと赤い。立ち止まって写真を撮ると、シャッター音があまりに駅前にひびいたので、思わずスマホのマイクを指でふさいだ。蝶番のきしむような声で、どこかで飼われている犬がキュイィと鳴く。
スーツケースの持ち手をつかみ、地図にならって府道を下った。両脇を住宅に挟まれた道を大きく右に曲がると、ホームページで見た写真と同じ古民家が建っている。Googleマップを閉じ、ほんの少し緊張しながら、年季の入ったチャイムを押す。
ネイバーベースの滞在先には、大阪の南に位置する、海にほど近い家を選んだ。
日本全国に点在するさまざまな家に目移りしながらも、(いつかほんまに「家」として利用するんやったら通勤出来なあかんからなぁ)そんなことを考えながら該当する家をなんとなく絞り、家とその家に住む家主の紹介とを読み比べているうちに、マカロニと名乗る六十歳の女性家主にわたしは惹かれたのだった。
門前でかしこまっていると、ガタン、と玄関ガラスが鳴り、じゃりじゃりと音を立てながら戸が引かれた。顔を出した家主はホームページの写真の通り、くっきりと目のまわりを黒く縁取る化粧をして、派手な色のターバンを頭に巻きつけている。
「由鶴やな?」
「はいお世話になります。家主さんですよね」
「マカロニさんでええよ」
「それほんまの名前なんですか」
「うん。愛って書いてマカロニって読むねん」
「え」
「嘘に決まってるやろ」
笑いながら言い、内側からマカロニさんが門を開く。作務衣とワンピースを合わせたような不思議なデザインの服が風に揺れると、雨に濡れた森の根みたいな香りがした。森林浴をする気持ちで思わず深く息を吸う。マカロニさんの日焼けした肌に、ターコイズのピアスがとてもよく似合っている。
玄関から続く廊下の左側の和室に通されると、畳一畳ほどの大きな座卓で、仲良く金平糖をつまんでいたふたりの先客が顔を上げた。学生だろうか、男の子のほうも女の子のほうも雰囲気に幼さが漂い、丸い眼鏡をかけている。
「こんにちは、ナカタニ トーマです」
「クサカベ スズです、こんにちは」
「この子ら、昨日から泊まってんねん。大学の春休みの間、ふたりで西日本をまわるねんて」
マカロニさんが紹介して、わたしも座るように促しながら台所へと消えていく。並び座るトーマくんとスズちゃんの対面に腰を下ろし、「八木由鶴です」と、ふたりに倣ってフルネームで自己紹介をした。多部ちゃんよりも若い子と仕事以外で話す機会など、このごろは無いに等しい。世間話なんて出来るのだろうかと冷や汗をかくわたしを他所に、ふたりはリラックスした様子で金平糖をかじっている。
「僕たち千葉から来てるんです。ヤギさんは?」
「あ、大阪から。というか、わたしは大阪に住んでて」
「へぇ。じゃあネイバーはノマド目的で利用してるんですか?」
「ノマ……うんまぁ。ふたりは、ここの前はどこに滞在してたん?」
「京都です。けっこう長いこといたよね?」
「うん二週間くらい?」
「そうなんや。観光するとこいっぱいあるもんね」
「観光って言うか、タイミーが理由ですかね」
「タイミー? あの、単発バイトのこと?」
「あーですです。数時間だけのバイトとか、アプリから申し込めるやつです。ネイバー生活してると食費がバカ掛かるんで、僕ら基本、まかない付きのバイトを選ぶんですけど。京都って、タイミーに高級割烹とか老舗の募集がたまに出るんですよ」
「それで、意外とそういうとこの方が庶民派っていうか、家ゴハンっぽいまかないが出るんです。普段の食事、どうしても既製品が多くなっちゃうから、お米とかお出汁が恋しくなって。募集枠が一人だと取り合いです」
「そういう時って、スズが行くこと多くない? こいつ無駄にジャンケン強いんですよ」
「いや。というか、トーマがパーばっかり出すんだよ」
スズちゃんがトーマくんを見つめながらチョキにした手元を楽しそうに振る。次々に繰り出される、馴染みのない単語や文化や感覚に、全力疾走でついて行こうとしたけれど足がもつれ始めていた。にこにこと相槌をうちながら(もう走れません。もう棄権させてください)と念じていると、お茶を淹れたマカロニさんが戻ってくる。
「はい。寒かったやろ」
湯気の上がる湯呑を置き、わたしの隣にマカロニさんが腰を下ろした。ヨガのような姿勢のいいあぐらをかいたのを横目に見て、背筋だけは伸ばしたまま、わたしもゆっくりと正座を崩す。滞在する客全員にいつも同じ話をしているのだろう。会社の沿革動画を再生するように、マカロニさんが澱みなく喋り出す。
この家は、マカロニさんの生家らしい。
十八で家を出てからは大阪にも寄りつかず、恋人と与論島に移り住み、恋人と別れてからも長く島で過ごしたと言う。その後、島を訪れたトルコ人に誘われトルコに渡り、トルコを拠点にさまざまな国を巡り歩くうちに親を続けて亡くし、誰もいなくなった家に戻ってきてからは、ゆうゆうとひとりで暮らした。
「親とはどうにも反りが合わんかってん。嫌いやから離れたんやなく、嫌いになりたくないから、離れたんかもね。この家は好きよ。家とは気が合うねん」
座卓に片肘をのせて笑うマカロニさんと家との間に、けれどべったりと手を取り合うような気配はないように思えた。ネイバーベースへ「家」を提供するようになって、もうすぐ二年になると言う。
「与論島時代に仲良くなった同い年の友達が『鹿児島市内でネイバーベースの家主になる』言うから、よう分からんけど会いに行ったのよ。それがネイバーを知ったきっかけ」
「その人はまだ家主さんしてるんですか?」
「しとるよ。鹿児島まで行ったら泊まってあげて。わたしよりも派手な見た目してんねん。すぐ分かると思うわ」
「もしかして、この人ですか?」
「ああ、そうそう。さすが、今の子はスマホで調べるん早いな」
「わぁ行ってみよう。鹿児島に着くのは四月くらいになるかな」
正しく盛り上がりを見せる三人の会話に、うまく入っていくことが出来ずに、お茶ばかりを熱心にすすった。手持ちの札から、経験や人間性の披露のタイミングを得たカードを切っていく七並べで、ひとりだけUNOのカードを扇に広げ持っているような気分だった。使い込まれたダイヤの8やスペードの10が気持ちよさそうに放たれ、整然と並んでいくのを眺めながら、ここは家と言うより劇場に近いのかもしれないと思う。
(ネイバーに登録したときは、これしかない、と思ったのになぁ)
湯呑を置いて顔を上げる。リノベーションされた清潔な和室の鴨居に、極彩色の動物の絵がいくつも飾られていた。動物は勢いのある線で描かれ、正面を向いて大きく開いた口の中には、歯がしっかりと生えている。明日、多部ちゃんが来たらいちばんに注目するやろうな。ぼんやり思い、金平糖に手を伸ばす。
◇
ネイバーベースのことは、登録をした翌日に、多部ちゃんに報告したのだった。
「家のサブスクやねんて。日本全国に拠点があって、好きなとこに滞在できるらしいねん」
始業前のオフィスで、週末に受信したメールを確認しながら隣の席に話しかけたけれど、自分でつくった会議資料を手に、多部ちゃんは険しい顔をしていた。資料に首を伸ばし「なんか間違えてたん?」と訊くと、多部ちゃんは一瞬の間を置いて、頭を左右にふるわせた。
「大丈夫です、合うてます。そのサブスクって登録したんですか?」
「うん。とりあえずお試しで二泊分だけ。家族とか友達も一緒に滞在できるとこもあんねんて。今月末の三連休で行こうと思ってんねんけど、多部ちゃんも行かへん? 滞在する家は近場で探そうと思ってて」
「いいですね。わたし、土曜は予定あるんで、日曜でもいいですか?」
「ええよええよ。近場やけど、海とか山とか見えるとこに行きたいな。近くに飲めるとこがあったらさらにええなぁ」
「そうですね」
「そう言えば、有給消化せえ、ってお達し来てんねん。わたしは三月に適当に取るから、多部ちゃんも取ってな。二月でもいいよ」
「わかりました」
「どうしたん、今日元気ないやん。週末なんかあった?」
「大丈夫です、何もないです。すいませんここ、やっぱり数字間違えてたんで直します」
会話を打ち切るように多部ちゃんがパソコンに向かい始めたので、躓いたような気持ちのまま、大人しくメール確認の続きに戻った。怒らせるようなことをしてしまったかと不安に思っていたけれど、昼を過ぎる頃にはすっかり普段通りの多部ちゃんで、「痛風鍋一人前のプリン体の総量って、ビール十五リットル分らしいですよ」と不敵に笑いつつ、翌週の誕生日を楽しみにしている様子だったので、胸を撫で下ろしたのだった。
痛風鍋は、美味しかった。
火の通ったあん肝や白子にイクラをまぶしかけ、残ったスープも雑炊にして全て平らげ、余すことなくプリン体を摂取しながら、多部ちゃんはあの日、珍しくお酒を飲んでいた。ゆずはちみつサワーを立て続けに三杯飲み切ったところで心配になり「普段飲まへんのに大丈夫なん?」と声を掛けると、
「大丈夫か聞かれるのって嫌いです。だいたいは大丈夫なんです。だから大丈夫って答えるしかないじゃないですか。でも、そうですよね。今日はもうソフトドリンクにしときます」
お酒に乱れた様子も無く言って、いつもの調子で冷静に微笑みながら、多部ちゃんは店員を呼び止めて烏龍茶を頼んだ。
「ごめん、気ぃ悪くさせて。多部ちゃんが平気やったら全然飲んでもらってええねんで。しょっちゅう大丈夫やないレベルで酔うてる奴に言われたくないよね」
わたしが慌てて謝ると「ちゃうんです。言い方棘あってごめんなさい。酒弱いねんから、こんなに飲んだら、ほんまに駄目なんです。誕生日と鍋に浮かれてたみたい」さっきよりもしっかりと笑顔を浮かべて、多部ちゃんは大ぶりの牡蠣をおいしそうに頬張って、二十九歳になったのだった。
◇
何かあったのだろうとは思う。あったのだろうけど、多部ちゃんが話してこないうちは、詮索しないのが礼儀であるような気がする。ひときわ色使いの派手なブタの絵を見上げながら改めて心に決め、お茶を飲み切るとマカロニさんがこちらを見ていた。
「絵見てた?」
「はい」
「どう?」
「派手やなと思います」
「そうやろ。わたしが描いてん」
「へえ、すごい」
マカロニさんに向き直って素直に感嘆し、さっきまで見ていた絵を指差して「あれがいちばん好きです。かっこいいブタですね」と感想を述べると「ありがとう。あれ牛やけどな」とマカロニさんが嬉しそうに目を細めた。
それぞれ手持ちの話題は出し尽くしたらしい。マカロニさんが空の湯呑みを盆に載せると、トーマくんとスズちゃんはスマホを取り出し、溜まった仕事を片付けるようにそれぞれ手際よく操作を始めた。部屋に案内すると言って腰を浮かせたマカロニさんが、ふと顔を綻ばせ「そうや。今日は夕方にコーヒー占いするからね。土曜日だけの特別イベントなんよ。この部屋でやるから戻っておいで」とわたしたちに呼びかける。
スマホからきちんと顔を上げ、面白そう、とスズちゃんが明るく返事をする。コーヒー占いって初めて聞きました、とトーマくんが好奇心を浮かべた表情で言う。空気がまた劇場めいていくのを感じながら「占いなんて数十年ぶりです。何時に戻ってきたらいいですか」手持ちの中から精一杯カードを切って、間違えて紛れ込んでしまった舞台に、せっかくなのでわたしも立つ。
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