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ノーベル文学賞と村上春樹

 現在、世界で最も権威のある賞として知られているノーベル賞を、ダイナマイトの開発で財をなしたアルフレッド・ノーベルが設立したことは有名ですね。面白い逸話としてまして、ノーベルの兄が亡くなった時に、フランスの新聞がこれを本人の死だと誤報、その時の新聞の見出しが「死の商人、死す」だったらしいのです。ダイナマイトが戦争に利用されることをノーベル自身も予期していたそうですが、それにしてもこの書かれようで、ノーベルは自分の死後、後世にこのような不名誉が残ることを恐れ、遺言に遺産で基金を設立し、前年に世界に貢献した人物に賞をを与えることを明記、ノーベルの死から5年後の1901年に初めて形になりました。

 部門は、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞に分かれており、受賞者には賞状、メダル、賞金約一億円(財団の経営状況によって上下します)が与えられます。選考は非公開で、その過程は受賞の50年後に公開されるとのことです。なお、経済学賞というものもあるにはありますが、スウェーデン国立銀行の300周年を記念し、ノーベルの死から70年後に作られたものであり、ノーベル財団はこれを認めていないため、たんに〝経済学賞〟とだけ呼ばれることが多い。

 ただ、このノーベル賞は選考が偏っていて、選考委員の〝お気持ち〟の影響力が大きいです。たとえば、マリ・キュリー(キュリー夫人)がノーベル賞を受賞した際、フランスのアカデミーが女性に偏見を持っていたため、受賞が危ぶまれました。なんとか受賞できたのは(これまた面白い!)、ノーベル数学賞が設けられなかった原因になったという、ノーベルの嫌っていた数学者ミッタク・レフラーが後押ししたらしいのですね。

 さあ、メインの文学賞に話を戻しましょう。

 ノーベル文学賞に関しては、「理想的な方向性の文学」であることが求められます。初期の選考委員はこれを「理想的な人格を持つ者」と厳格に捉え、作品のでき以外の部分で作家を評価し、無政府主義などを訴えるトルストイをはじめ世界の名だたる作家たちをふるい落としてしました。昨今はやや緩和されましたが、いまだに選考には作品の完成度以上に「作家の崇高な思想」が強く求められます。

 日本では村上春樹もノーベル文学賞が期待される作家の一人ですね。しかし、ノミネートされながらも受賞まではいかない。なぜなのか。じつは、村上春樹が受賞できないのには、この思想的な部分で明確な方向性が示せないからと言われています。春樹作品を読んだことがある方ならわかるかと思いますが、精神世界の抽象的な快楽を描く作品が多く、国の思想や崇高な精神を目指すような、ノーベル文学賞を受賞する決め手に欠けるのです。

 わかりやすい標榜として、2016年に受賞したボブ・ディランは反戦を訴えていますし、2017年受賞のカズオ・イシグロは作品の中である種の郷愁を取り扱っています。村上春樹も東日本大震災の後、カタルーニャ国際賞スピーチで脱原発を訴えたことがあり、これが何か影響を与えるかもと言われましたが、すぐに受賞とはなりませんでした。村上春樹は権威や所属が大嫌いで、そのせいで選考委員にあまり好かれていなかったそうです。また、2018年に選考委員会内で不祥事があって、村上春樹はノーベル文学賞にノミネートされながらも辞退しています。

 しかし、不祥事以降は選考委員や制度が大きく変わりましたので、これからどうなっていくのでしょう。期待が膨らみます。

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