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今更ながら「宇崎ちゃん献血ポスター」が何故批判されたのか

相変わらず「ツイフェミは萌え絵叩きをしている暇があればアフガニスタンに行け」などと言っているアンチフェミくん達が蝉以上に煩いので、おさらい的な意味合いで書き留めておこうと思う。(残念ながら今回書くのはアフガニスタンやタリバンの事ではない)

1.「不快だから」「宇崎ちゃんが嫌いだから」「猥褻だから」という点で批判していない

一つ一つ丁寧に説明していこう。まず、不快だからという点。「不快」「猥褻」というポイントで話を進めると個人によって千差万別な上水掛け論になるため(※「性の商品化 フェミニズムの主張」江原由美子 著でも書かれていた)そういう理論上で批判しない。 「宇崎ちゃんは遊びたい」という作品が嫌いだからでもない。嫌いなら無視すれば済む話であって「無視できない」から批判しているのである。「エロ漫画が嫌いだから批判しているのだろう」という意見に関しても異を唱える。確かに僕はエロ漫画の広告は大嫌いだが、理由の本質はそこではないからだ。

2.「一般向けの漫画キャラだからOK」ではない

よく「一般向けの漫画だから怒るなよw」とは言われたものだが、これも違うと言いたい。僕の彼氏さんは「こういうオタク向けのキャラがウケるから起用したのだろう」と言っていた。ちなみに彼氏さんはガンダム世代だがアニオタではないのだ。要するに一般人からすると「宇崎ちゃん=男性アニオタ向けキャラ」なのである。従ってぜんぜん一般向けではないんだよな。

血しぶき描写もアリアリだけれども医療知識学漫画としての知名度がある「はたらく細胞」の方がまだ一般人に馴染みがあるのではないだろうか。

恐らく「アダルト指定でない露骨なエロ描写のない未成年も読めるラブコメ」という観点なんだろうな。だけれども、エロ描写が無いからOKとも言えないんだよな。というかエロ描写が無いからOKだと認識している点で本来見えるべき問題が見えにくくなっているようにも思う。

3.「フェミは胸の大きい女性を排除している、嫉妬だ」←してねえよ

これは、EDクリニックの広告が何故か女性の胸のアップだった件で批判された時にも言われていたコメント。だけど結論として排除しようとはしてないんで。何のための嫉妬かもさっぱりわからない。

実在しない人物だから良いわけでもない。実在しない空想のキャラクターである秋葉のエロゲー広告は何故叩かれたのか解る事だ。

だいたい、同じ献血のキャンペーンで貰えた「はたらく細胞」カレンダーにも胸の大きいキャラ、マクロファージさんもいるではないか。同じ「胸の大きいキャラ」なのに何故印象がこんなに違うのか考えてほしい。宇崎ちゃんはやたら「胸の大きさ」を強調し過ぎてどんなキャラクターなのか把握できず「胸の大きさ=SUGOIDEKAI」という印象しか残らないから我々はドン引きするのである。対して、「はたらく細胞」のマクロファージさんはブドウ球菌などの身体に害を及ぼす細菌から我々を守ってくれたり、骨髄球や赤芽球を育ててくれる親のようなイメージもある。つまり別に胸が大きいから成り立ってるようなキャラではないのである。(※ちなみに「はたらく細胞LADY」では男性の執事キャラとして登場している)

そもそも宇崎ちゃんは胸がデカいだけでなく野球が好きだったり父親思いだったりするんじゃないの?そんな人間的な魅力よりも胸の大きさのイメージだけを前面にアピールし過ぎて逆に勿体ない描き方をしているのではないかと思える。このコメントが「フェミの嫉妬だ」と言えるのなら僕にぜひちゃんと説明して欲しい。

例えばキャビンアテンダント面接の自己PRで「通訳ができます」などの長所をアピールせずに「雲に乗れます」というアピールをされても僕なら困る。何故ならマッチングポイントではないから。確かに雲に乗れたら凄いけど、「あなたにはもっとアピールするべきものがあるだろう」と思わざるを得ない。つまり「胸のデカさ」は献血の一般提供者とマッチングができていないのである。興味が無い人間にとっては本当にどうでもいい、下手すると「何この胸デカキャラ、きも」と思われる可能性さえある。宇崎ちゃんに人間的な魅力があったとしても見向きもされないのだ。本当に作者及びファンはそんな事を望んでいるのだろうか.....。

4.結果として「宇崎ちゃん」は女体客観化として捉えられる

〜女体客観化、ムツカシイ言葉だけども要するに『単なる女体と扱われ主体性のある存在としての尊重をされていない』という事〜

「そうじゃないもん、宇崎ちゃんは主体性あるもん!」いや、あるかどうかではなく、どう見られているかが問題。

別の人が「こういう宇崎ちゃんのポスターだったら批判されなかったのに」という例題で「先輩、一緒に献血行きましょう!」というような(ゴメンうろ覚え)セリフのあるものをツイートされていた。他のフェミニストの方も賛同されていて僕もそれが良いと思った。実際改訂されたバージョンは叩かれていない...ああ、何故それを最初に持ってこなかったのか。ファーストインプレッションでその人のイメージが決まってしまうぐらい大事なのに、どうしてあの表紙を選んで世に送り込んだのか。作者は実に思慮が無い。

『震災の時の恩返しをしたい』のであれば自分のキャラのアピールポイントが一般人にどのように映るのか考慮するべきだったのではないのか。日本赤十字社も「エロ漫画じゃないからいいや」的な軽い気持ちで引き受けたのだろうとしか思えない。

あの表紙はダメだ。エロ漫画の表紙だと言っても通じるくらいダメだ。

実際、海外の男性から「ポルノだ」とコメントされてしまっている。

法的にはポルノではないし、エロ漫画でもない。だが、

内容を知らない他者から見れば「宇崎ちゃん=ポルノ」なのである。(これが結論)

ポルノを親子連れも来るであろう献血ルームに置くべきかどうかぐらいわかる筈だろう。

5.社会的エロコンテンツ依存によるコンプライアンス崩壊が原因

〜コンプライアンスとは倫理法令遵守、社会通念の事〜

この問題には様々な要因が考えられるが、日本では「ここまでだったら良いだろう」的なエロ紛いの広告物があまりにも多過ぎないだろうか。(日本しか知らんので他の国がどうこうはコメントできないが)「それはお前がそういうエロページしか見ないからだ」とたまに言われるが、本当にそうなのだろうか。

僕はインスタグラムとツイッターを同時に使っていて広告の種類が明らかに違うという事実を知っている。インスタグラムは猫の動画や猫の写真をメインにしているアカウントをたくさんフォローしていてエロ系広告が出ずに代わりに猫ちゃんの広告がたくさん流れてくる。 ツイッターはどうだろうか。

エロ漫画や如何にも女性蔑視的で不倫やルッキズムまみれの読みたくない漫画の広告が流れてくる。ちなみにエロ系のツイートは同人をやめたあたりからぜんぜんふぁぼしていない。のにも関わらず「興味がない」ボタンを押さざるを得ないのだ。

いずれにせよ興味の無いものは本当に興味が無い。だが依然として「いつか興味を持ってくれるであろう」とでも思っているであろうクソAIが存在する限り、この戦いは永遠に続く。

だが、AIも一種の社会通念で動いているわけで悲しい事にエロコンテンツ依存の犠牲者ちゃんなのである。

これからどうしていけば良いのか。

「これぐらいなら良いだろう」「エロ漫画じゃないからいいや」ではなく、「他者共感性を持って相手がどう受け止めるか考える/考えてもらう」しかない。

それは情報発信者全体に言える事で、僕自身を含めて社会への影響力がどのように及ぶのか常に考えて行く事が大事ではないのだろうか。

2021/08/21 ネオフラワーデモ茨木 よもぎもちNovo🍡



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