波乱人生ー産後、更なる性暴力、生活保護
産後、自分の赤ちゃんが愛おしくて
お世話が楽しくて仕方なかった。
大学のボランテイアでも、子供が好きだとわかっていたし
大学の授業も、児童発達心理など学んでいて
心から、子供が好きだと思った。
子供に対して、何一つイライラすることがなかった。
夜泣きも辛いと思わなかった。
大きな公園がそばだったので、
毎日、お散歩に行って
その時間が何よりも幸せで、
楽しかった。
少ししかないお金や、叔父がたまに恵んでくれるお金は
かなりが、彼に盗まれて
毎回、大喧嘩だった。
実家では、私の祖父が暴れ出した。
もともと、人間が嫌いで
赤ちゃんなんて、大嫌いな人だった。
私は、祖父のいる一階に離乳食や入浴で降りるたびに
祖父に怒鳴られた。
「クセェんだ!ぶっ殺すぞ!!」
「こんなとこに靴置くんじゃねぇ!」
とにかく、何もかも嫌だったようで、怒鳴られた。
そういう人間だ。
そのうちに、いきなり私に病気が襲った。
息が急に出来なくなり、心臓が激しくバクバクして倒れた。
調べると、どうやらパニック障害のよう。
心療内科でも、そうだと言われ、薬を処方された。
他にも色々質問された。
「毎日、辛い気持ちはありますか?」
「死にたいと思いますか?」
私は、はい。と答えた。
するとうつ病という診断もされ
抗うつ剤も処方された。
医者というのは、症状は聞くが
その時の状況などは、聞かない。
私のようなひどい状況下なら、誰でも死にたい、くらい思うのではないだろうか。
病院に行くたび、私は症状を聞かれ
「辛いです。死にたい気持ちがあります。」などと答えるので
どんどん、薬は増えた。
抗うつ剤、安定剤、睡眠薬。
毎日、お金を盗み、赤ちゃんを育てられなくなる不安を受け、
祖父には、怒鳴られ罵倒される。
娘を抱きしめて、泣くことが多かった。
一度、娘を落としたことがある。
床になど落とせず、布団にふんわりと落とした。
その時の自分の衝撃は激しかった。
“赤ちゃんに、こんなことをしてはダメだ!
絶対に、自分がされたような虐待なんてするもんか!“
そう誓う瞬間だった。
ある日、私は、突発的に薬と酒を全部飲み、
自殺未遂をした。
祖父に激しく罵倒された時だった。
ただ、突発的にしたので
人気のあるところで倒れ、発見されて
病院で胃洗浄されたようだった。
それから、薬を多量に飲むオーバードーズは、癖になっていった。
怒鳴られた時、パチンコに行かれた時に
少し、意識が薄くなるくらい飲むことが多かった。
彼と別れるという考えは、もちろんよく頭をよぎったが
可愛い娘の父親を奪い取ってしまうのかと思うと、
踏ん切りがつかない。
子供が2歳になった頃には
私名義の借金も増えていた。
彼は、働いたり、辞めたりを繰り返す。
嘘をついて、会社を休みパチンコへ行ってしまっていたようだ。
私には、もちろん仕事に行っているように振る舞い、
いきなり、仕事を辞めたという。
その度に、泣き叫んで
彼を責める。
彼は、「本当にごめん。もうしない。お前たちが一番大事だ。」などと
泣いて謝る。
これは、DVする男の特徴だということは、後から知った。
パニック障害は、人混み、電車などでも起きるようになっていた。
それでも、娘をあちこち連れて行きたくて
薬を飲んでは、出かけ
パニックになるたびに飲んで、落ち着けてを繰り返した。
一人では勇気が出ないが、娘がいると
私が守らなきゃ!と勇気が出た。
そのうちに、パニック障害が、治ってきたのだった。
それを機に、ヤクルトでバイト、
生命保険で正社員雇用としたが
2ヶ月後には一件取らなければいけないという感じ。
少しずつ、焦りからパニック障害が増えてきていた。
やはり、まともな親族もいないので、
契約が取れず悩んでいた。
働いても、借金返済にお金は消えてしまう。
どんなに働いても、彼は
自分がお金を握り
私の財布には、1000円くらいもないことも多かった。
それで、子供の中古服を買うと、
「そんなもん買うな!!」となじられた。
料理が下手だと怒られることも多かった。
私は、料理はどちらかというと上手いほうだ。
ただただ、色々なことを罵倒し、
人格を踏みにじり出すようになっていった。
私は、彼に上手いことを言うことにした。
「一度、離婚しよう。私、自己破産するから、生活が良くなるまで離れよう。」
嫌がったが、必死で押した。
それしか、お金をどうにかできないからと、
にこやかに、だました。
自分の給料を素早く、キープし
小さな部屋を借り、離婚した。
生命保険の仕事では、会社を回ることが多かった。
会社に入っていけば、
もちろん、皆話しかけたれたくなくて
必死で無視したり、避けてしまうので
話すことがまず、難しかった。
契約が取れずに焦った。
一人、よく話してくれる50代の男性が
保険の話を聞いてくれると言った。
私の部屋で話を聞きたい、と言われたものの
焦りがあり、私は自分の部屋で話をすることにした。
話を終えると
いきなりその男性が襲いかかってきた。
力ずくで、押さえつけられなす術がなかった。
既婚の男性で、今でも顔を覚えている。
無理矢理に、また性暴力を受けてしまった。
そばには、2歳の娘がいた。
私の肩を掴んで
ひき離そうとしていた。。。。。
私は、娘にまで、性被害に遭わせてしまっていた。
そういった光景を見るだけでも
相当な心への影響が出ることを、後から知った。
もちろん、レイプした男が悪い。
弱い立場を利用し、犯罪行為をされているのに、
今でも私は自分を責め続けている。
娘にひどいこと見せてしまった自分を、せめている。
それから、私の意識は
また一気に減ってしまい
体が動かず、寝込んだ。
性被害に遭うと、
精神は肉体から切り離し、
自分をなんとか守るようだ。
精神乖離(カイリ)していたと
数年前に、やっと私は自分の状態がわかるようになった。
そのまま、生活保護へ移行した。
朝、娘を保育園になんとか送り
そのあとは、ほとんど眠っているか
急に頭がおかしくなるような
自制が効かなくなり
テレクラに電話し、セックスをする。
その繰り返しだった。
その行為に、また自分を責めて
汚い自分を蔑んだ。
そんなセックスの関係でもたまに優しさを少しくれる人もいる。
片付けられない部屋を片付けてくれたり、
作ったお弁当を持ってきてくれたり
海にドライブしてくれたり、そんなこともあった。
この時は、自分のこの行動自体が
性暴力によるものだということは、全く知らなかった。
どんどん寝込む時間が増えた。
そんな時、関西人の彼の弟の嫁からメールがよく届いていた。
「病気で、一人で子供を育てるのは、大変やろ。お金を出すからそばに
3人で引っ越してきて。病気のことは私はよく知っているから。」
そんな内容のメールが何度も届いた。
私は、寝込んだりテレクラをしたりで
このままではいけない、娘を不幸にしていると思い、
この誘いに乗ってしまった。。。。。
この後の話は、かなり私にとって
ダメージの大きい話になる。
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