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芸術文化が軽視されている今、振り返るべきこと

芸大に通っているが(今は自宅だけど)、僕が在籍している学科は、編集やライティングを学ぶところです。あまり「芸術家」という分野ではない気がします。しかし、周りの学生は、それぞれが追い求める「芸術家」になるために日々学んでいます。そういった環境に身を置いていると、自ずと「芸術文化」についての話題や情報が耳に入るようになります。

新型コロナの影響で、ミニシアターへの客足が減りあるいは休館になり、舞台公演や展覧会は中止になり、ライブハウスは「クラスター」の発生場所になってしまった。こうした施設を経営している人たちのほとんどはフリーランスです。当初、政府によるフリーランス向けの支援はかなり手薄でした。首相の薄っぺらい演説では飯は食えません(強い要望を受け、支援策は強化されました)。

また、この緊急時において、芸術文化は「不要不急」であるという見方さえ広がっているのも確かです。

ドイツのメルケル姉さんが「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」との演説をぶちかまし金をばらまいた一方で、日本の文化庁長官様様は「日本の文化芸術の灯を消してはなりません」「明けない夜はありません」とポエムを発表しただけで、具体的な補償内容には一切触れませんでした。あんなに繊細な歌いだしの井口理がTwitterで鋭く突っ込んでいたのは記憶に新しいでしょう、みなさん。

(ドイツが芸術家に優しいのは、再び美大落ちのチョビ髭男に不満を持たせてしまうことを恐れているに違いない!)

戦争などの緊急時、最初に制限・規制対象になるのは芸術文化だということは、歴史が証明しています。先の大戦では、表現物は検閲され黒塗りに、音楽・映画は戦意高揚の道具として利用されました。でも平時では、「クール・ジャパン」といって日本の長所であるとアピールするんです。非常に都合がいいですよね。

政府からも社会からも、芸術文化は軽視されている。これは、この「コロナ禍」が証明してみせた歴然たる事実だと思います。

悔しい思い、そして怒りを覚えている芸術家は多い。でも、ここで振り返ってみたいことが僕にはあります。

芸術文化の人間が、他分野・他業種を軽視してきませんでしたか? ということです。

最近で言えば、まだ国民一律現金をするのかしないのか、議論の途中だったころ、「お肉券」や「お魚券」を配布する案が自民党内で検討されているという一部報道がありましたが、芸術文化・フリーランスへの支援を求めていた人たちはこれに対し猛烈に批判しました。「ここにきて利権優先か!」「私たちへの支援は!?」と。

確かに、まずは生活支援をする段階で消費喚起になる商品券等の配布案は、感染症対策としても最悪ですし、そのほかの支援がまだ不十分の段階では、あまりにもばかげているように感じます。しかし、農水産業だってこの新型コロナの影響で困っているはずです。農水産業の業界団体が自民党とのパイプを生かして、なんとか救ってもらおうと陳情すること自体は何も間違っていることではないはずです(しかしそれを真に受けて本当に政策にするのは次元が違うけど)。

なぜ「確かにみんな困っているよね。でも、」という話ができないのか。なぜ「お肉券」「お魚券」を必要以上にバカにした態度で揶揄するのか。自分たちが困っているのに、「お肉券」のその奥にいる困っている生産者の存在を想像できないのか。僕は、芸術家たちの批判のトーンにどうしても納得いきませんでした。

原発事故のときもそうです。芸術家や文化人たちの多くは「反原発」の立場をとっています。「原発をいますぐ止めろ」「原発をなくせ」と官邸前でシュプレヒコールをあげた彼らは、運転停止・廃炉によって経済的打撃を受けた原発の関連会社や立地都市のあらゆる産業で働いている人に、支援の手を差し伸べましたか? 原発関連全体をもはや悪のように見なして、軽視していませんでしたか?

公共事業も同じです。「人からコンクリートへ」などという標語にのせられ、政治家と癒着した土建屋は悪だというメディアにのせられ、どんどん潰れていく地域の建設会社に支援の手を差し伸べることなんてありませんでした。

芸術家は、良くも悪くも理想主義者だと思います。芸術文化と国からの助成金の関係など、「あいちトリエンナーレ」などで表面化した問題では専門家でしたが、政治・外交・経済など、専門外の分野では基本的に理想を語っている印象です。別にそれでいいんです。日本周辺の安全保障環境の変化は気にしないで「沖縄に米軍基地はいらない」。放射能は恐ろしいから「原発いらない」。法律の条文なんて読んでないけど「戦争になる。憲法を守れ」。ムダは仕分けで減らした方が良いから「コンクリートから人へ」。連敗している選挙の総括はろくにしないで「アベはやめろ」——。

芸術家たちは理想を語っているなかで様々な人を見捨てきました。しかし、その見捨てられる番が自分たちになると口々に叫ぶんです。

「助けて! というか助けろよ!」と。

特定の業種はメディアに弱者・ 味方認定され、強者・敵認定された業種は見捨てられてしまう。この国でよく見られる分かりやすい構図です。芸術文化の人間も、その敵を一緒になって棒でぶん殴っていたんです。その棒で将来の自分を殴っていることも知らずに。

芸術文化は尊い。芸大で学んでいる身として強く思います。しかし、優位に立っているわけではない。決して偉いわけではない。他の分野やどんな業種も同じように尊い。そこに同じ人間が、汗水たらして働いている限り、絶対に尊いんです。それを忘れてはいけないと思います。

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