見出し画像

【日記】夫婦にしかわからないこと

「夫婦にしかわからないことってあるからなぁ」
何気なく会話の中にたまには登場することもあるセリフである。

これは本当だと思う。
私自身の話で言えば24で結婚して29で離婚している。
夫婦というものを知っているのはそのたった5年間だけではあるけれど
その間には色々とあって離婚を決意するに至ったわけだ。
ただ、完全な円満離婚であったので離婚当日まで私達は仲良くしていたし、離婚届を一緒に役所に出しに行ったし(笑)、なんなら離婚後も仲が良かったし。
結局、そこからさらに数年を経た後に完全に別々の道を歩むことになるのだけれどそれはまた別のお話。
しかし離婚したことを報告すると友人たちは皆、一様に驚いたものだった。
無理もない。
あれだけ仲が良かったんだから。
私がそれを決めた理由の一つが「このまま一緒にいたら本当に相手のことを嫌いになるだろう。嫌いになるために結婚したんじゃない」だった。
少なくとも私は。
ともかく、結婚という体制ではもういられないだろうということが私の見通しの中で揺るぎないものとなってそれで離婚に至ったのだ。

それをどうやって人に説明したものか、と今でも思う。
細かな理由をすべて挙げてみたところできっとわかってもらうことは難しいだろう。
たぶんそれだけが理由でもなく私達二人だけにしかわからないことや感覚というものが多分に含まれているからだ。

そんな感じで夫婦間には周囲がどんなに詳細に話を聞いていたとしても理解できない領域というものがあるものだ。

どうやらそれは同居していた子どもであっても同じであったようだ。

私は今まで、自分の両親は不仲なのだと認識して生きてきた。
少なくとも母は父のことを嫌いぬいていると思っていた。

父の方ではそれでも母を大事にしているのだろうな、ということは垣間見えていた。
十年くらい前のことだったか、ある時「あんな真面目でいい人はいない」とハッキリ母を褒める言葉を私に言ったことだってあった。
父をけなしまくっていた母にそれを伝えても当時の母は受け止めることができずに「そんなわけ無い、口だけで他人(や娘)にはいい顔をするのよ」と言って否定するくらいだった。

HSP気質の強かった母は当時はまだ人の言うことに一切耳を貸さず、自己肯定感のかけらもないどころか自己否定の塊みたいな人だった。
辛かったのだろうが全てを拒絶することで自分を守っていた人だった。
だから心からの良心的な肯定的な言葉でさえも全て拒絶だった。
そんなの「嘘だッ」って、某作品じゃないんだから😅
でもあの状態。

訪問診療だって導入しようとしたら自分が考えたのではなく娘の提案だったからということと自分が知らない物事だという恐怖と拒絶で
最初は説明もろくに聞かずに怒って「嫌」の一点張りで困ったんだよね。
今では訪問にして本当に良かったってニコニコ言っている。

話がズレたけれど
父は晩年の肺炎での入院時にもずっと母や姉の心配をしていたし
最後の入院の時にようやく母を連れての面会が叶った時には顔をクシャクシャにして泣きそうになりながら喜んでいた。
私がどんなに話しかけても全く目が覚めない昏睡状態だったのに、母が来た途端に目を開けたのだ。
奇跡というか執念というか。
その顔が忘れられなくて今でも思い出すと胸が苦しくなる。
透析に行くときにいつものように家を出たまま騙すようにしての入院だったから4か月ぶりくらいだったし、生きている間に会わせてあげられて良かった。

亡くなった後だが父の使っていた財布から母の若い頃の写真が出てきた時には姉と二人で目をまるくしたものだった。
そんなロマンチストだったの?そこまで愛していたの?って。

でもだから、どんなに母からひどい仕打ちを受けていても黙って耐えていたんだな、と今なら納得できる。
ちょっと天然でなぁんにもできない、ある意味無垢な存在の母。
少しのことで傷ついてしまう母。
その彼女の為に色々と世話を焼き、守ることが父にとって生き甲斐であり、一番大事だったのだと思う。

一方の母は私が物心ついた頃には父を非難することしか言わなかったと思う。
だから私達姉妹は母は父を嫌いなんだな、という認識だったし
いつも「そんなに嫌なら離婚しなよ」と私も言うくらいだった。

縁談を持ってきたのは実の父であるところの私からみて母方の祖父で
事前に何度かデートした時の父の発言に腹を立てて話を断ろうとしていたのに、どんどん話を進めていってしまう父に困惑しつつも「行動力があるのかしら」と流されてしまって、結婚を後悔している。あの時に辞めておけばよかったのよね……とこれが私が耳にタコができるほど聞かされてきた母視点の馴れ初め話であった。
(※が!後日、祖父が紹介したというエピソードもひっくり返ることになる…驚いた。祖父は、話を聞いて喜んで認めてくれただけだったのだ…なんと😳)

これでは結婚前から父を嫌いだったんだな、と思うではないか。

その後も父について肯定的な言葉を聞いたことなど殆どなかった。
ヒステリーを起こして口汚く罵っていることもしばしばだった。
それは父が認知症になった後も続いていて、しょっちゅうあの、言ってはならないだろうワードだって口にしていた。
嫌うどころが恨んでいるんだな、とこちらが誤解したのだって無理もない話だと思う。
父にDVを受けた!と訴えてきたこともあった。
実際は受け取り過多でただ触れられただけでも力いっぱい掴まれたと感じていたのだろう、と
既に大人になっていて客観視が得意でもあった私は
それに気づいていたから通報するなどオオゴトにはせずウンウンと話を聞くにとどめていた。
おそらくは興奮していた母をなだめようとした、とかそんな感じで別に殴るなどの明確な暴力行為ではなかったからね……
子どもの頃から思春期にかけては長年のそんな母の洗脳を受けてきてしまった私も父はあまり良い人ではないのかな?と思い込んで母の味方をしていた。
女三人にそんな冷たい態度を取られても父は踏ん張っていたんだなと思うと今では申し訳なくてやるせない気持ちになる。

父のことが本当に見えてきたのは私も離婚後30を過ぎてからだったと思う。
母の言うことの方が事実と違っていて、父は実はとてもすごい人なのだと気づくことが増えた。

まだそんな状態にあった当時の母が、認知症になった父の面倒を見られるわけがない。
家のコマゴマした面倒事は父が全てやってきたのだ。
母に家事以外のあれこれができるとも思えなかった。
だから私は腹をくくって実家に戻ったのである。
二度と戻らないと決めていた、大嫌いだった両親との同居。
ただし、もう大嫌いではなく沢山の誤解があったことには気づきつつあったから戻れた。
私が戻るのがベストな選択なのもわかりきっていたし、それ以外に良い方法も無かった。

と、ここまでが
ついこの間までの私の思ってきた家族についてのアレコレであった。

頑固で実の母や兄姉達にも心を閉ざして自分の殻にこもってきた母。
実母を恨み抜いて何十年も会わず、和解する機会もないままに今生の別れをしてしまったくらい。

その母が、昨日、
週一恒例の外食で雑談している時に
突然、父との婚約時代の思い出話を始めた。
これがなかなかの惚気話で
ちょっと待て、あんた達!完全にラブラブだったんじゃない!?と
私は複雑な心境になったわけである。

そんなの初耳だった。
本当に初めて聞いた。
聞いたことなど一度だってなかった。
「子煩悩で子どもの面倒をよく見てくれた」が唯一、母が父を褒めるときの言葉だった(それも父の他界後によく聞くようになった)が
──なぁんだ、ちゃんと二人の楽しかった思い出、あったんじゃんかよ。。。

この世代の人にしては珍しく、世話焼きな父は子どもの面倒もよくみるイクメンであったことは知っていた。
幼い頃の私はよく父に遊んでもらっていた、その記憶もある。

ただのイクメンどころじゃないや。
本当にめちゃくちゃイケメンだったんじゃんか。
子どもが見て知っている親の姿というのは彼らが親になった後の姿だ。
その前の若い頃の両親というものは当然あるわけで。
夫婦というのは子育て以外にもたくさんの時間と思いを共有してきている、ということなのだと思う。
だからどんなに近い存在であってもこうやって誤解してしまうこともあるし
夫婦にしかわからないことは絶対的にあるのである。

この年になって初めて
私は自分の両親がなかなかに素敵な良い夫婦であったのだという事実を知った。
これは私にとってかなりの衝撃的な事実だ。
自分を揺るがすレベルで。

母がこんなふうに
忘れていたような昔のことを思い出して笑って話せる日が来た。
そういうことなのだろうね。
体調も良く、余裕が生まれて、忘れていた昔の記憶も思い出せるようになった。

あの家族みんなが辛かった日々はなんだったの!?と怒りのぶつけどころには本当に困るけれど。
そしてこの話、例えば姉に聞かせても彼女も母がそんなことを言ったなんて信じないかもしれないけれど。
(ちなみに父が良き旦那・良き父であったのは姉妹の共通認識である。)

ともかく予想外の幸せな奇跡が起きたということなのだと思う。

私は昨日から複雑な気持ちでずっと涙が止まらないけれど
良かったんだな、とは思っている。
それだけは確か。

6/4追記:
なんと、実は父のことを
「祖父が紹介した」のではなく
両親は
シンプルに
恋愛結婚であった…という
衝撃の事実がわかりまして🤣

えー🤣🤣🤣
ええ〜…
なんで今までその話をしなかったのさ!
と…参りました😅

でも簡単に消化できないなぁ、これ。
最近、消化不良な感情が多すぎる。
キャパオーバーです!
誰か助けて(笑)
…というのは追記した後も変わらぬ思い😝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?