小説公募という名の青春、あるいは。3(3~4年目)
お久しぶりです。よみいです。
本記事は続きものの3番目の記事です。興味を持っていただけた方は、一番目の記事をぜひご覧ください。
では、続けていきましょう。
3年目
この年が、公募人生でいちばん創作してた年だと思います。
創作界隈ですっかり幅を利かせるようになった(悪い意味で)私は、現実生活でもだんだんと孤独から解き放たれていきます。
大学でゼミが始まったり、地元の繋がりが戻ったり、少人数教室の授業で仲良くなったり。すべてがうまく回りだしたように思え、すべてがうまくいくんだろうと衒いもなく思いました。そして、それは創作においても。
この頃、突然執筆速度の時速が倍になりました。
今思えば二年目までが遅すぎたのですが、メンタルが安定したことによって文章に迷いがなくなり、焼けるような焦燥感が消えたことによって作業に集中できるようになったのです。
この年、僕は長編を二作完成させました。最後の三日間でなんと5万字を書き上げ、〆切当日に応募を済ませました。この三日間が、公募人生でいちばん楽しかった。三日間の幸福。
一作目(計3作目)『蜜色の毛布のなかで震えていた』
じつはこの話は現在進行形で改稿の話があったりなかったりするのであまり詳しくは書けないのですが、ぼかして書くと、「人間の集合的無意識と、古月蜜飴という女の子――ひとりの呪いの幼馴染にまつわる都市伝説をテーマとしたラブロマンス」です。ここには明かせない核の設定があるのですが、未だに今作の設定が自作すべての中で一番ハイコンセプトだと思うし、一番お気に入りの設定です。
そして。
二作目(計四作目)『おやすみ、あの日の変われない花』
こっちも中々の自信作でした。設定としてはVRシンガーの話で、中学時代悪友だった二人が、大人になって、昔自分たちで作った架空のキャラクターに復讐される、というコンセプトの話です。
今年は絶対いける。確信がありました。なぜなら仕上がったもののレベルが高いし、それ以上に、今自分の人生で悪いことが起こるビジョンが全く見えなかったのです。電撃小説大賞の実際の受賞倍率は500~1000倍ですが、この時の体感受賞確立は冗談でもなんでもなく八割前後でした。
いける。
いけるいける。
いや、いける(笑)
そう思っていた矢先、事件は起こりました。
※※※ここから先は気味の悪い、というか普通に暗い話なので、苦手な方はブラウザバック推奨です※※※
では、話していきます。
初めの症状は、とても不気味で恐ろしいものでした。
『部屋の壁に掛けてあるタペストリーの女の子の顔がまとまりを持たない記号に見える』
……え? なに、これ。
感覚としては、見つめはじめて一秒足らずでゲシュタルト崩壊が起こって、そのままいつまでも治らない感じ。
僕はほんとに怖くなって、すぐに両親に相談しました。両親はすぐに精神科を予約してくれました。今考えても、この時の両親の理解ある行動には感謝してもしきれません。あと数ヶ月病院にかかるのが遅かったら、僕はきっと、一生涯文章なんて書けなくなっていたと思います。
それから、僕のメンタル闘病生活が始まりました。
最初に渡されたのはアルプラゾラム数錠とエビリファイ。(メンヘラちゃんメンヘラくんにしか分からないと思うのでこういう用語は飛ばし読みしてください。)
アルプラゾラムは抗不安薬に分類される薬(身体の緊張をとるのが主な効果)、そしてエビリファイは、調べるとなんと向精神薬(主に統合失調症の治療に用いられる薬)でした。
結果から言ってしまえば僕は最後まで統合失調症とは正式診断されなかった(というか幻聴幻覚もないし微妙に違った)のですが、僕はその日、インターネット上に転がっている統合失調症の記事をあるだけ読み漁りました。読んだだけ、不安が指数関数的に増大していきました。
予後が悪いと精神荒廃して二度と戻らない/別人になってしまう/若い発症は治りにくい/精神病院の閉鎖病棟送りで一生出てこれない/etc……
気が狂います。何度読み返しても悪い情報ばかりを抽出して繰り返し読んでしまう。そして、ほどなくして第二の症状と第三の症状が同時に訪れます。
『トマトが怖い』
みなさんはこの文章を読んで、どう解釈しますか。
まあ、普通は「トマトめっちゃ嫌いなんだな」と思うと思います。ですが、精神病の場合の用例のみ、その解釈は誤りです。
僕は、ほんとに、嫌いでもなければ害もない「トマト」が、なぜか、怖くて怖くて仕方なかったのです。物質そのものに恐怖という属性が付加されている、といった方が分かりやすいでしょうか。もちろん、トマトだけではありません。シャーペンが怖い。リストバンドを見ると嫌な感じがする。看板を見るだけで反射的に「うッ」となってしまう。ハサミや刃物やグロい画像なんてもってのほかで、見たら一日中頭がおかしくなりそう。
規則性なんてありません。ただ、この世の全てのものから無差別に抽出されたいくつかのものが、やんわりと自分にダメージを与えてくるのです。ああ、これじゃ生きれないな、と素直に思いました。
そしてとどめの第三の症状。
脳がショートして、情報を一切受け付けない。
病は、僕からすべての娯楽を奪っていきました。
テレビ。ゲーム。音楽。小説。漫画。アニメ。スマホ。
なにも摂取できなくて、ただ時計の針がゆっくり進むのを眺めていることしかできない。生き地獄とはよく言ったもので、早く死んで救済されたい。そう一日に三百回ずつは思いました。
24時間-睡眠6時間-散歩1時間=一日17時間
何の計算式だと思いますか?
僕が娯楽という逃げ場のない死なないギリギリの苦痛に喘いでいる時間です。想像を絶すると思います。経験していない人間には絶対に想像の及ばない苦痛なので、文字どおり。
いつ終わるのかもわからない、一生続くかもしれない、一日17時間の拷問。
結局、丸一年で苦痛はある日唐突に終わりを告げました。
抗うつ薬を変えたのです。ミルタザピンからパキシル錠に。
それだけで、ほんとにばかみたいに、一瞬で。
俺の一年間なんだったんだろう。そんなことすら、思いませんでした。ただ、救われました。死ぬんでも治るんでも、本当にどっちでもよかったので、ああ、死ぬより先に治ったならそれはそれでまあいいか、くらいの感触。
よく、壮絶な体験や希死念慮を体験したサバイバーが、「あの時死ななくてよかった」なんて言います。みなさんも一度くらい聞いたことあると思います。自分の人生が可愛いのは分かります。そのうえで。
べつに、僕は死ななくてよかったなんて微塵も思わないけど。
あの頃、一日17時間の苦痛に耐え続けたのが正解だった?
ふざけるなよ、と言いたい。あの時、あの瞬間、俺の正解は確かに今すぐ死ぬことだった。今でもそう思うし、そう思っていた自分を強く肯定します。結果として、死ねなかったから、今生きている。ただそれだけの話じゃないか。それだけのことなんだよ。
じゃあ、なんで死ななかったって。
飛び降りたら確実に死ねそうで、住人以外が簡単に入れるロックの手薄なマンションや高層ビルが生活圏にひとつもなかったからです。
本当に、それだけの理由です。それだけの理由で、生きています。
さて、ともかく生きながらえて病気から復活した僕は、すぐに〆切の近い公募に既作を全投入しました。なぜだかはわかりません。MF文庫Jライトノベル新人賞です。
本当に、今回は暗い話になってしまい申し訳ない。次の記事で最後です。最後は明るく終わるので、ぜひ。