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取材にいかす、ママの視点      ~支局で子育てする若手記者たち~

 こんにちは!人事部採用Gの鶴田瑛子(つるた・えいこ)です。2019年に記者職で入社し、初任地の千葉支局を2月に卒業して、この度採用Gにやってきました。読売新聞では、新人記者は全員が地方総支局を経験しますが、今回は、そんな地方総支局で子育てに奮闘しながら働いている、私と同年代の女性記者2人を紹介します。さいたま支局の岡田実優(おかだ・みゆ)記者と、横浜支局の阿部華子(あべ・はなこ)記者にお話を聞きました。


1: 印象に残った虐待事件


                                    岡田実優記者

 2018年入社の岡田記者はさいたま支局が振り出しです。事件や事故の数が他県に比べて多い埼玉県で、お子さんを産むまでは長らく警察・司法取材を担当していました。この頃、最も印象に残っている事件があるそうですね。
岡田記者:「4歳の女の子が亡くなった虐待事件です。この事件については各社アンテナが高く、逮捕の初報は同時でした。そのため、どれだけ深く事件の真相に迫れるかが勝負所になりました」
※以下、カギかっこの中は岡田記者のコメントです

両親から虐待を受け続けた4歳女児が亡くなるという痛ましい事件だった(2020年3月6日、夕刊社会面)

 容疑の中身を間違えて報じる社もあるなかで、読売新聞は初報から悲惨な虐待の様子を書き込みました。「虐待がばれると思い病院に連れて行かなかった」といった両親の供述や、女の子が死亡する数日前にも、両親は「腰の曲がりを矯正する」として、ダンベルを背中にのせるなどの暴行を加えていたことを詳報しています。

  他社に先行して、深く事件の悲惨さを伝えられたのですね。どんな思いでこの取材に取り組んだのですか?

  「大学時代、インドに1年間留学し、女児の教育支援を行うNGOでインターンシップを経験しました。支援する子の中に、父親から性的虐待を受けている子がいて、その子と話すたび、親による虐待はなんと卑劣な行為なのだと憤りを感じていました。こうした経験から、この事件の取材は人一倍強い思いで臨みました。記者の仕事は、学生時代にやっていたこともいきるのだと感じた瞬間でもあります

2: 取材先も気遣ってくれました

 3年目の頃にご結婚され、妊娠が分かりました。当初は「このまま仕事を続けられるだろうか」と考えたこともあったそうです。

 「会社に相談したところ、上司が親身になってこれからのことを考えてくれました。事件取材はいつ何時起こるかわからないため、担当から外れることも提案していただきました。けれども、ずっと関係を築いてきた取材先と仕事をする方が精神的にも安心できると考えて、育休を取るまで警察担当を続けたいと相談させていただき、それを認めてもらいました

 実際、事件事故の取材は大変な時もあったそうです。けれども、社内だけではなく、取材先の皆さんまでもがたくさん手を差し伸べてくれたそうです。
 「現場では取材先の広報の方が『(岡田記者に)椅子!』『座って、座って』と率先して言ってくれ、気遣ってくれたことはとてもありがたかったです」

3: 子育てする当事者の視点

 1年間の産休・育休を取得して、22年4月に復帰しました。当初はさいたま市などの主要自治体を担当し、23年からは県庁や県議会を取材する「県政」を担当しています。復帰してからの仕事ぶりに変化はありましたか。

 「私が子育てをしている当事者になったことで、行政サービスの問題点に気づいたり、議員や県が取り組む施策に疑問を感じたりすることが増えました。取材や雑談の幅が広がったと思います


岡田記者が子育てをする母としての疑問を種に、取り組んだ記事(22年6月8日、埼玉県版)

 急病になった子どもを一時的に預かる病児保育施設。子育てする人たちからのニーズは高い施設である一方で、運営費用を理由に病児保育をやろうと手を挙げる法人が少ないという実情を取り上げた記事です。

 「保育園に通い始めた子どもはまだ風邪に対する免疫が備わっておらず、頻繁に熱を出します。親としてはできるだけ仕事を休んで看病してあげたい。でも、どうしても仕事を休むことができない時もあります。さいたま市は保育園の待機児童も多いのに、病児保育施設もほとんど空きがない。どうしてもっと増えないのだろうか。そんな気持ちで取材を始めました

 恥ずかしながら、私は同じ記者でありながら、これまで病児保育について考えたことはありませんでした。でも社会の多くの子育て世代にとって重大な関心事項であり、必要な記事であることは間違いありません。様々なバックグラウンドを持つ記者がいるからこそ、記事に広がりが生まれるのだと痛感します。

 岡田記者は、昨年(23年)、埼玉県議会で問題になった虐待禁止条例についても多くの記事を書いています。それを検証する連載記事がこちらです。

条例案を出すことがノルマのようになっていたという自民党県議の生々しい声も出てくる検証記事(23年10月25日、埼玉県版)

 「子どもだけで登下校をさせたり、子どもを家に置いてゴミ出しに行ったりすることが虐待の一例とされた条例案でした。子育ての実情とかけ離れていておかしい。そう感じ、キャップやデスクも賛同してくれて様々な記事を出すことができました」

 単なる批判にとどまらないよう、検証記事も書いたということも立派です。子育てしている当事者だからこそここまでやるという気持ちが湧いてくるのだろうなと感じました。


4: 遠距離交際、秋田で妊娠

 続いては、私と同期入社の阿部華子記者(2019年)です。阿部記者は実は秋田支局が振り出しでした。秋田は縁もゆかりもなかったはず…。どうでした?

阿部華子記者

 阿部記者:「広島市出身で大学は関西でしたので、入社するまで西日本で育ちました。北国に赴任することは想像していませんでした。でも、西日本とは全く文化が違って、食も豊かな秋田はすぐに気に入りました。当時、関東にいた現在の夫は、遠距離で交際していましたが、秋田の食と自然の豊かさにすっかり魅了されていて、1か月に1回は会いに来てくれましたね
※以下、カギかっこの中は阿部記者の言葉です

 素敵なエピソードで、ほほえましい限りです。そうして、約1年半、県警取材を担当し、2年目からは県政担当に。3年目に結婚して、お子さんを授かったそうですね。

 「どうやって子育てしていくかを夫と話し合い、会社にも相談しました。すると、当時の支局長が社内の各方面に働きかけてくださり、夫の実家が近い横浜支局に移ることが決まりました

 社員の数だけ様々な事情があるので、相談することは大事ですね。1年間の産休・育休を取得して、2023年春に横浜支局で復帰します。いまは決まった担当を持たず、なんでも取材する「遊軍」です。新しい支局で、子育てしながら働くというのはなかなか大変ではないですか?

 「育休中、心は秋田支局員という気持ちで過ごしていました。会社からは、仕事と育児を両立するための手厚い説明もあって、困ったことはありません。復帰後は泊まり勤務や夜間の呼び出しについて免除してもらう『勤務配慮』という制度を利用しています。横浜支局には、子育て中のパパ記者やママ記者がほかにもいるので、『困ったときはお互い様』というあたたかい雰囲気があります。いまではすっかり横浜支局にも慣れました」

5: 親子でボロボロになりながら

 そんな阿部記者も母としての視点を生かした記事があるそうです。それがこちらです。

ひっ迫する小児科病床の実態を伝えた署名記事(23年7月5日、神奈川県版)

 「RSウイルス」や「ヘルパンギーナ」といった感染症が急増して、小児科がひっ迫していることを伝えた記事です。コロナ禍で数年間、感染防止対策が徹底された反動で、様々な世代の子たちがウイルスの免疫を獲得できておらず、いまになって一気に感染が拡大した可能性があるのですね。

 「ヘルパンギーナって知っていましたか?子どもが生まれるまで私も全く知りませんでした。小さい子どもを育てる親たちは、このウイルスたちに一時期とても頭を悩まされたと思います。保育園に入れていると、ほとんどの子がこの感染症にかかって、なんなら、母である自分もかかる。親子ともどもボロボロになりながら病院に行って、小児科医から『コロナが落ち着いて、とにかく感染症が急増している』と聞きました」

 医師同士のネットワークもあり、「川崎市では医療崩壊に近い状態も起きているらしいよ」などの声をもとに、クリニックや総合病院などの医師3人に話を聞いて深堀りしたそうです。記事中にもある、「コロナ禍で小児病床が減らされている。このままでは亡くなる子も出てくるのでは」といった声は厳しい現場の状況がよく伝わると思います。振り返ってみてどうですか?

 「どの先生も『とにかく伝えてほしい』と訴えていました。先生たちがどれだけ訴えても世間には届きづらい。私が問題意識を持って伝えられたことは一つ意味があることなのかなと思いました」

最後に: 働く原動力は?

 取材の最後、お2人に聞いてみました。子育てしながら記者をするのは、私には想像がつかない、大変な日もあると思います。そんな中でも記者をやりたいという気持ちはどこから生まれてくるのでしょうか。

 岡田記者:「大変なことも多いです。でも、育休期間中、子育ての支援センターでは様々なお母さんたちと出会いました。みんな行政の制度不備など様々なことに不満を持っているんです。だけど、そのお母さんたちには発信してみんなが見てくれるという手段はありません。私はもやもやした時は、それを記事で解消できるというか。妊娠出産を経て、問題意識が仕事に直結するということに気づきました。自分がこだわって書いた記事が載ると嬉しいし、それがモチベーションになってやれています」

 

 阿部記者:「記者は毎日違う出会いがあるんです。内定者の時、『飽きない仕事だよ』と言われていたことは本当でした。私はすごく飽き性なんですけど(笑)、本当に飽きない。先日も、能登半島地震で被災して神奈川県に避難してきたおばあちゃんと出会いましたが、向こうのお醤油をいただきました。そんな出会いが嬉しくって、やめられないなという感じです」

 

※所属、肩書は公開当時のものです

(取材・文 鶴田瑛子)