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多様だから居場所がある

佐那河内に家族で移住して18年、
こんな小さな村にもいくつものコミュニティがあり、
社会は多様な関係性によって成り立つんだと肌で感じる。

例えば地域ごとに月に一度集まる常会があり、
周辺常会が集まって組織する消防団やお祭事(獅子舞や舞姫、神輿など)
村全体の中で有志が集まる商工会や婦人会、
田畑の産物毎の集まりやコーラスや俳句、
バドミントンやバレーボール、ソフトボール、グランドゴルフ
自然農のサークルや漁協など、

いくつもの組織に所属している人は
そのコミュニティ通しの架け橋となったり
長年いくつものコミュニティに属していると
地域の長のような役割をして人と人を繋いでいたり
困りごとがあったら、何でも相談に乗ってくれたり
いわゆる長老に。

幼い子ども三人を引き連れて移住したので
本当に色々気にかけてもらいお世話になりっぱなし。

最初に移住した古民家は両隣が隣接していた上に
右隣はおじいちゃんの看取りに必死だったおばあちゃんが
介護の合間の息抜きに私たちの暮らしのあれこれを指南してくれ
左隣は我が家の長男の少し上のお兄ちゃんが二人いて
生後2ヶ月の娘と2歳の次男、4歳の長男のワンオペ育児に
奮闘していた私の支えになってくれた。

街中のマンションから移住したけれど
ガラッと息遣いが変わった感じでした。

佐那河内では賃貸の古民家暮らしを経て
子供が中学生くらいになったら
市内で家を建てようと話していたのに

あまりの地域の熱い介抱のおかげで
いつの間にやら村で家を建て、
村のお嫁さん達が集まる職場を作ってしまった。


話がまた逸れて長くなってきたが
幼い子供を連れていたおかげで
このたくさんのコミュニティの存在に気づけたのかもしれないが

街中育ちの私たち夫婦には新鮮だった。
(いまだにいちいち感心してしまう)

街中で暮らしていると
PTA とか 自分の趣味のサークルくらいで
ゴミの出し方や暮らし方は役場からの情報で
他の毎月の更新は広報誌が全て。

村では毎月の集まりがあってそこで申し送りや話し合いがある。
(地域によってはこの後の飲み会での交流で長い人生の苦楽を共にしている印象)

住宅街でもお隣さんが何をしている人か知らなかったりするけれど
こんな小さな村なので常会ではスルッと拘らなくても
何らかの繋がりで、誰かと繋がっているので
まぁ性格も含めて😅だいたいバレている。。。

地域で暮らしてゆく中でたくさんの役割を持ち回りで分担したり
助け合って「当たり前を作り出している場所」
街中暮らしでは
ズーーーっと寝ていても地域の暮らしは当たり前のように
何かのインフラ整備のおかげで当たり前のように流れるけれど
田舎では、例えば水道整備を怠ると引き込みパイプに草木の根が入って破損して「水が出ない」とか
草刈りをしないと、道が獣道になったりetc


村にはゴミ収集車が走ってないのでそれぞれのゴミごとに分別して
持って行く場所も回収日も異なる。


さらに地域ごとのごみ収集ボックスは1週間おきに順番に掃除が回ってきたり
そもそもごみ収集ボックスとは思えぬ、家の物置のような整然とした美しさ



豊かさや幸せの条件に「多様な人との繋がり」があるそうですが、
長老と呼ばれる人の懐の広さと厳しい判断力は楽観的であったり、
驚くほど感謝の念で溢れていたり紳士的な潔さだったり、
大酒飲みの人が多いけれど、
ヒト一人が生きるにも
水や電気ガス、ゴミだって出るし、トイレだって行く。
都会の暮らしでは知らなかった人間の営みに必要なものが
村ではこんなにも手間がかかり、
日頃のメンテナンスが大事なんだと見せつけられるが
知ってよかったなぁと思う。

この村でなら、災害や何かがあっても
地域の人の知恵と工夫で共に生きていけるのではないかなと思える。

まぁ、色々煩わしいのも事実だけれど
自分が生きてるだけで、実は煩わしさを誰かに負担させてるんだよね。。



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