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マツコもさんまも阿佐ヶ谷姉妹も。こぞって夢見る「老後の集団生活」はおひとり様を救えるか?

老後は仲のいい人たちを集めて、集団生活をしたい。

こんな夢を、方々から聞くようになったのはいつからか。

割と以前からオタク界隈で語られがちな夢ではあった気がするが、最近は芸能人がこの手の話題を口にすることも増えてきた。

私の知る限りでは阿佐ヶ谷姉妹が「いつか阿佐ヶ谷にアパートを買い取って、そこで大切な人たちと一緒に暮らしたい」と語っていたし、明石家さんまとマツコデラックスは某テレビ番組にて「老後はビルを1棟借りて最上階に暮らし、下の階にはまだ売れていない若手芸人を住まわせて代わりに自分の世話をさせる」などという話をしていた。

つまり、生涯「おひとり様」として生きていく色の濃厚なやや生きづらい人たちを中心に、近年盛んにささやかれつつある老いらくの夢である。

1. 「老後の集団生活」は現代に残された数少ない老後の夢

私たちが「老後」に抱くイメージというものは、どんどん無味簡素なものと化してきている。若者と呼ばれる人のうち一体どれくらいが、「老後は退職金と年金でハワイに移住して毎日海辺でのんびりするんだ~」などと今どき言えるだろう。だって年金がもらえるかもわからないし、介護をしてくれる人手も足りないし、結婚しなければ家族に頼ることもできないし……。

しもやけとあかぎれにまみれた寒々しい未来予想図の中に、ひっそり投げ込まれた「老後の集団生活」という夢ときたら。会いたいときに顔を合わせられる友人がすぐそばに暮らしていて、何気ないことを気ままに語り合って過ごす毎日……なんとつつましくもとびきり暖かく、楽しそうなこと。誰からともなく広まっていくのも頷ける。

でも同時に、「老後の集団生活」というものが本当に私たちに穏やかな幸福をもたらすだろうか?というモヤモヤとした心配も、おせっかいながら湧き上がってくる。

2. 「老後の集団生活」に期待することとは?

老後の集団生活について「皆様ご存じの」みたいな具合で話し始めてしまったが、もう少し詳しく説明したい。

大体、この手の夢を語る人々がイメージしているのは、アパートやマンション、ないしビル1棟を貸し切って、親しい人、または同じ趣味を持つ人たちだけで住まうというもの。

仲のいい友人に囲まれた生活というとそれだけでワクワクする要素満載なのだが、もう少しその魅力(として認識されているであろうポイント)を詳しく掘り下げたい。

①程よい距離感で親しい人と共生できる

集団生活というと真っ先に想像するのはおそらく「シェアハウス」だが、だいたいこの手の集団生活に共感する人間は、他人と一緒の空間に暮らすことが苦手である。とくにオタク気質のある独り身の人間は、一般社会でよしとされる生活を維持できない人間が多く、加えて他人に自分の生活スタイルを矯正ないし乱されることが許せない

以上は私の偏見だが、実際そうでもなければ、おとなしく結婚相手なり親友なり探して一緒にマイホーム購入でもして暮らしたほうが話が早い。

さらに厄介なことには、人に自分の生活を乱されたくない個人主義の人間に限って、案外孤独に弱かったりする。

独りぼっちにはなりたくない。でも自分の生活空間に他人を招き入れたくない。そういう少し面倒な人間にとって、「お隣さん」がみんな仲良しという程よい距離感の集団生活はあまりにも理想的なのだ。

②孤独死などのトラブルを避けられる

老後について考える時避けて通れないのが、今際の際のあれこれである。

突然の不幸に見舞われた時、身近に誰もいないとご遺体はなかなか発見されない。するとご遺体はみるみる生前の見る影を失い、異臭に気づいた隣人が通報したころには……などという悲劇がありありと想像できる。

ここまで極端な話に限らず、たとえば足腰が弱った年寄りが家の中で転倒してもいつまでも助けを呼ぶことができない、風邪をこじらせてしまったが誰にも看病を頼めない……など、老人の独り暮らしのリスクは枚挙にいとまがない

こういう時、隣人が全員知り合いだったならどんなに心強いだろう…などと想像するのは当然と言えば当然のことである。

3. でも本当にうまくいくんだろうか?

一緒にいて楽しい、いざという時心強い。老後の集団生活は考えるほど魅力だらけに思えるが、実際のところ他人同士が一緒に暮らすのはそんな甘い話ではないはずだ。

もともと気心知れた仲間だからこそ。しかも老後だからこそ。集団生活は実行する前にその問題点をよくよく見つめておいたほうがいいのではないか。

①「隣人」は果たして本当に程よい距離感か?

まず気になるのが、「隣人って本当に理想的な距離感なのか?」という点。

シェアハウスではなく建物ぐるみの集団生活を希望するということは、もちろん「親しい相手と言えど、あまりにも距離感が近いとうまく暮らしていけない」という考えがあるからだろう。

でも、隣人だって十分に近すぎる存在なんじゃなかろうか。例えば、マンションの隣の住人が遅くまで友達と宴会を繰り広げていてイライラしたことは無いか。下の階の住人がゴミ出しの日を全く守らず腹が立ったことは無いだろうか。親しい相手が必ずしも理想的な隣人であるとは限らないのだ

加えて、隣人が赤の他人であれば務めて冷静に管理会社経由で解決に向かうこともできるが、相手が仲のいい友人となれば、今後のことを考えて言いづらさを感じるか、あるいは親しき仲の甘えからつい強い口調でとがめてしまって根深いトラブルへと発展するかもしれない。昼のワイドショーで目にする「隣人トラブル特集」のごとき泥沼ファイトを友人間で演じる羽目にもなりかねない。

「恋人だった時には見過ごせていた欠点が結婚して一緒に暮らすと我慢できなくなった」は夫婦間のあるあるだが、これがどうして、友人間・隣人間で起こらないといえるだろうか。

②老いらくの友情は残酷な現実と共にある

もう一つ挙げた魅力「孤独死などのトラブルを避けられる」については、冷静になるとあまり期待できない気もする。

老いて体の自由が利かなくなっても、隣に住んでいるのであれば毎日顔を合わせてお茶飲んで会話を楽しむくらいはできるかもしれないし、それが集団生活の醍醐味とも言えるだろう。

でも、そもそも「毎日顔を合わせる」くらいの仲の良さを維持すること自体が難しくなる可能性だって大いに考えられる。

例えば私の祖母はそれこそご近所に長年親しい友人がいたのだが、私の祖母が先に認知症が始まってしまうとあっさり会いに来なくなってしまった。

当時は随分薄情なものだと思ったが、かつての足腰カクシャク明朗カッタツといった具合の祖母を知る彼女だからこそ、同じことを何度も聞き返し、まともな会話がままならなくなった友人を見ていられなかったのかもしれない。

元気だったころのハツラツとした相手を知っている仲だと、老いてなお仲良く…が上手くいかなかったりもする。

自分より先に老いていく友人を受け入れられるか。あるいは今までの通り友人と接することができなくなった自分を受け入れられるか。

もし集団生活の住居を終の棲家にしたいのなら、これは決して避けられない問題なのだ。

4. 明確な目的やルールがないと老後の集団生活は難しい

私は別に老後の集団生活に反対したいわけではない。

ただ、老後の共生にはおそらく相当な覚悟と妥協と準備が必要だ。少なくとも「老後が寂しいから」「誰かと助け合って生活したいから」などという漠然とした動機で始めてうまくいくようなものではない。

とくに、「何のための集団生活か」という目的、「いつまで続けるのか」というルールないし共通認識くらいは徹底したほうがいい。

例えば「定年退職後から本格的な要介護になるまで」などの期限付きで、ろくでもない言い方だが「最期の楽しい思い出作り」として楽しむのであればよいのかもしれない。

退職したら仲のいいみんなで集団生活を送ろう。ただし介護が必要になったらお互いの助けを期待するのはご法度、しかるべき機関に助けを求めること。そしてこの場所で集団生活が難しくなった時には、いつか同じ老人ホームで再会しよう。

それくらいの約束ごとは、あってよいのではないだろうか。

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