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トイレ掃除の時だけオタクに話しかけてきた吹奏楽部の同級生

「ねぇ、嫁島ちゃんて〇〇のアニメ見てる?」

掃除時間、2年生の女子トイレ、デッキブラシでタイルの隙間を執拗にこする私。そして、

「なんか、休み時間に聞こえてきたから…好きなのかな?って。私はわかんないんだけど、よく聞くから───。」

同じクラスのS。トイレには他に誰もいない。トイレ掃除担当はあと2人、ギャルがいるはずだが来ていない。ということは、私に話しかけているので間違いないらしい。例えSが私の方には一瞥もくれず、手洗い場3往復目のボロ雑巾を凝視していようとも。

彼女は吹奏楽部のグループに属していた。

この認識が全国的なものかは分からないが、私の母校において吹奏楽部のスクールカーストというものは、文化部の中で最上位だった。バスケ部やバレー部の女子ほど高いヒエラルキーには位置しないが、教室で萎縮する必要の無い、場合によってはスクールカーストの頂点の女子たちとも交流を持ちうるようなポジションだった。

一方で私はというと、廃部寸前のほぼ漫研のような美術部に属する最低カーストのオタクだった。

昼休みは教室に居場所などなく、部室棟地下の凍えそうな階段下、同じ境遇のオタクたちとひっそり身を寄せ合い、オタク特有の早口で体を温めながらカチカチの弁当をつついていた。

そんな風に過ごしていたものだから、自分よりカーストの高い人間に話しかけられると顔が真っ赤になって吃るようになっていた。だから吹奏楽部の女子に、よりにもよってアニメの話題を振られるというのは私をとんでもなく狼狽させる事件だった、が。

「み、み見てるよ。原作の漫画が好きだから……。」

先ほどまでかたくなに雑巾から逸らされなかった視線が、跳ね上がるように私の方に向けられる。

「マジで!!どう?面白い!?私アニメは作画がいまいちだからどうしようか悩んでたんだ~でも予告で見たA君の声がイメージ通り過ぎたからもう作画とかどうでもいいかもと思ってきてさあ!A君の中の人も誰なんだろ?って気になっちゃって調べてから声優にも今ハマりかけてて───」

被せ気味のレスポンスから、「私は分かんないんだけど」と言ったのも忘れた風にSの話は止まらなくなる。事態がすぐには呑み込めず呆けた顔をしていたと思う。でも、先ほどまで心の底を暴れまわっていた劣等感由来の動揺が一気に吹き飛ばされるような、明るいざわつきも感じていた。

いいよねA君の声優さん!私はBちゃんが好きなんだ。Bちゃん私もかわいくて好き!原作5巻のエピソード最高だったよね。わかる最後のBちゃんとCのやり取りってやっぱり伏線なのかな?でもそれで言うと2巻の最後のセリフとかって……

嘘みたいに会話が弾む。私も珍しく吃りが消えて、掃除の手も止まるほど。
本当に楽しかった。

「ねえ掃除終わってる?もう鏡使って大丈夫そー?」

掃除に来なかったギャルが戻ってくるまでは。

「……掃除はもうちょっとかかるけど…いいよ。鏡は使って。」

Sの視線は再びぼろ雑巾に戻る。もう磨く必要のない、窓枠を力なくふき取る後姿が、振り返って私の方を見ることはない。

───そうか、そういうことか。

私もまた黙々と、床にホースでまいた水を排水溝に押し出した。


トイレ掃除当番が巡ってくるたび、Sは私にアニメや漫画の話題を振り続けた。私とS以外、ほかに誰もいない間だけ。掃除時間以外にSが私に話しかけることは一度たりともなかった。

昼休みは吹奏楽部の仲間と机をくっつけて教室で賑やかにはしゃぐ。移動教室も、体育の授業も。彼女は常に誰かと一緒にいて、「友達」に困っている風では無かった。

惨めだと思った。でも、それでも、うれしかった。吹奏楽部の女の子が、他に仲良くできる友達がいて、クラスにもしっかりと居場所のある女の子が、わざわざ私に話しかけてくれることが。たとえそれが彼女にとって「他人に見られたくない」交流であったとしても。

そしてせめて、Sにとって私とのやり取りがささやかな救いになってくれはしないかと思っていたのだ。

私には吹奏楽部の女の子の世界なんて分からない。でも、はたで見ているほど楽しいだけの関係では無かったのかもしれないとも思う。例えば「アニメが好き」という何気ない事実さえうかつに口にできないくらい、狭い範囲の同調のみ許された息苦しいコミュニティだったのかもしれない。それはもしかしたら、関りがあることすらバレたくない最下層のオタクにも頼りたくなるほどの、強い孤独だったのかもしれない。

どこに属そうが、誰と過ごそうが、あの頃の狭いコミュニティの中には、種類の違う地獄が誰のところにも横たわっていたのだろう。


余談だが、Sには大学生になってから一度だけ会えた。
違う大学に進学していたがオタクの多いサークルにでも所属したのか、もうアニメが好きなことを隠しもせず、ハマっている2.5次元コンテンツについてオタク特有の早口でまくし立てて教えてくれた。

大人になれてよかったねと思いながら、Sの毛玉だらけのニットとあか抜けないボブヘアを横目に「高校の頃のコンプレックスなんてあてにならないもんだな」と思うくらい、私も嫌な奴になれてよかった。


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