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移住8年目、やっと自分らしく生きている
東京から宮崎に移住して8年。
やっと自分らしく生きている感覚がある。
期待や評価ではないところで
ちゃんと生活している自分がいる。
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8年前の夏、私は東京から宮崎に移住した。
さらに3年前の夏、
旦那が「男のロマン」で山を買ってしまい
リアル・ポツンと一軒家な山暮らしをしている。
雨が降るたびに、
蛇口から出る山水はにごってるし
落雷、土砂崩れ、暴風、電波障害
…なかなか修羅場な日々。
普通に生活するだけで、
平地にいるよりも、時間もお金もかかる。
しかし、なぜか幸福度が高い。
なぜだ?!
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山風がぬける空気の気持ちよさ?
天の川が見える星空のキレイさ?
ヤギを放し飼いにできるほどの自由さ?
あぁ、もしかしたら、
「人の目を気にしなくなった」
からかもしれない。
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ポツンと一軒家なので
家に訪ねてくるセールスもない。
ゴミ出しでかわす挨拶もない。
裸で外に出ても大丈夫な安心感がある。
人の目を気にしなくなったら
心のおもむくままに生活するようになり
次第に「認められたい」という気持ちも
はるか彼方に消えてしまった。
それが私には、ものすごくよかったらしい。
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10代〜20代の頃って
どうしても人の習性的に
認められたい気持ちが強くなるじゃない?
私はその典型で、
大学では心理学部だったこともあり、
承認欲求について卒論を書いたほど。
私はやりたいことのためではなく
誰かの期待にこたえるためや
評価されるために努力するタイプだった。
それはとても素晴らしく聞こえるかもしれないが
とても不健康な状態でもある。
だって、自分の本心がわからなくなるから。
自分が何をやりたいのかわからなくなるから。
自分の人生を自分で舵をとっている感覚がなくなるから。
何かをものすごい集中力でやりとげては
腑抜けな日々を送った。
常に何か満たされずにいた。
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ここまで書いてみると、
なかなか私、めんどうな人間だ。
あ、自己肯定感が低い割に
プライドが高いってやつだ。
なぜ、こんな生き方になってしまったのだろう?
きっと、
自信がなかったんだよね。
自信がないから、
優越感を自信と履き違えて
まわりに「すごいね!」と言ってもらえるような
努力ばかりしていたんだよね。
逆にいうと、
劣等感を感じないようにするために
常に努力し続けなければ…と
休むことが苦手な自分がいました。
新卒の頃は、タスクをもらいに行きすぎて
上司から仕事を取り上げられるくらい
ワーカホリックだった。
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そもそも自信って何だろう?
きっと、自信は幻でしかない。
自分を信じることって
思い込みでしかない。
でも、私は自分を信じることができなかった。
私は小さい頃に傷ついた経験から
「自分はどうせ認めてもらえない」という気持ちが強かった。
自分を信じられない代わりに
自信の根拠を求めて
わかりやすい評価を求めるようになった。
つまり、ありのままの自分の価値がわからず
誰かに認められることで
自分の価値を感じようとしていたんだよね。
そんなこんなで10代後半から20代は
摂食障害にどっぷり悩んだ。
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思い返せば、移住してからも
「移住者として認められなければ」
としていたかもしれない。
どうしても田舎に移住すると
「移住者」としてあつかわれ
期待や評価がついてくる。
それは自然なことで
無視されるよりもずっと幸せなことだ。
その恩恵をうけるたびに
「地域のために何か貢献しなければ」と考えていた。
でも、実際には空回りばかりしていた。
人前で話したり、人付き合いが上手な方ではなく
期待してもらっても、こたえられないことが多かった。
ただただ、申し訳なかった。
罪悪感や劣等感を感じては、
外に出られなくなっていった。
私がここにいる意味はあるのか?と思った。
でも、これもすべて
自分の劣等性を受け入れられず
評価されない自分に
劣等感を感じていただけだった。
すべて
「認められないと自分の存在意義がわからない」
という、自分の心の弱さからくるものだった。
地域のために貢献しなければいけない
という呪いも
勝手に自分で作りだした幻想だった。
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山で暮らしはじめると
人との距離が物理的に遠くなるので
人と比べることがなくなった。
ありのままの自分を認めるとは
「他者比較からの卒業だ」
って誰かが言っていたけど、まさにそれ。
山で暮らすと
目の前の生活にいっぱいいっぱいになるので
おのずと自分を駆使して生きなければならず
そこに自分らしさを感じ始めていた。
生活していることそのものに
誇りを持てるようになった。
そんな誇りや自分らしさのようなものから
自信のようなものを感じ始めた。
私にはダメダメな部分もたくさんある。
それでも、そんな自分を使って生きていくしか道はない。
と、いい意味の諦めがついた。
不完全な自分を少しずつ受けいれられるようになった。
気づけば、自己肯定感みたいなものは上がり
プライドも承認欲求も小さくなった。
その表れなのか、
SNSには何を投稿したらいいかわからなくなってしまった。
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あ〜でも、これでいいのかもしれない。
私は私が今できることをしながら
心のままに生きればいい。
私が心のままに生きた結果
まわりの人を幸せにできたらもっとうれしい。
私を人らしくさせてくれたこの山暮らしは、
ものすごくハードで、
ものすごく幸せなのかもしれない。
実際には、借金は8桁あるし(夫が…)
水面下で裁判も抱えているし(夫が…)
心のままに生きてはいられないかもしれない….笑
それでも、この幸福感は忘れずに生きていきたい。
欲を言えば、もっと軽やかに
自分を広げていきたい。
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すごくさわやかなタイトルをつけてしまったが、内容はとっても湿度じめじめの内容でした。ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
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