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150年前のデザイナー ウィリアム・モリスが求めたエコと仕事と幸せの姿とは?

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環境問題は現代になって現れたのでしょうか。近年企業や団体、そして個人が取り組むべき問題として取り上げられますが、実は150年前のイギリスにこの問題に取り組んだデザイナーが既にいました。彼が求めていたのは「生活の幸せ」でした。

ウィリアム・モリス《いちご泥棒》

《いちご泥棒》という1883年にデザインされたファブリック(布地・織物)があります。

ウィリアム・モリス《いちご泥棒》(1883年) 写真=Wikiart

《いちご泥棒》は泥棒の絵ではなく、スズメがイチゴをついばむ様子を描いた可愛らしいボタニカルのデザインです。デザインしたのは19世紀末にイギリスで活躍したデザイナーのウィリアム・モリス(1834-1896)。


ウィリアム・モリス(1834-1896) 写真=Wikimedia Commons 

現代もなお人気のデザイナーで、アマゾンなどのインターネット通販サイトでも調べればモリスのデザインを活かしたスマホケースやバッグなどのグッズが販売されています。

写真=PhotoAC

150年を経た現代社会においても人気を誇るモリスですが、当時彼の商品は手工業で制作されていました。実際、《いちご泥棒》も手作業で1つ1つの色を丁寧に染めて作られています。当時のイギリスは「世界の工場」と呼ばれ、技術の発展や機械化がどの国よりも進んでいましたが、モリスは産業革命前から行われていた手工業にこだわりました。

労働の幸せを取り戻すための「アーツ・アンド・クラフツ運動」

モリスが手工業にこだわった理由は、労働における幸福の実現が「真の芸術」と考えていたからです(モリス,1953)。生活と仕事が結びつき、自分らしくものを作り、作ったものを身近な人に楽しんでもらう喜びを、モリスは「真の芸術」と考えていた訳です。

例えば、外食で美味しい料理を食べることもできますが、自ら食材から手間をかけてできた料理は味覚を超えた「美味しさ」があります。美味しく作れたときの満足感はもちろん、その料理を親しい人と共に美味しく味わえる時間は幸せな時間ではないでしょうか。

機械化・分業化をもたらした産業革命は、安価な商品の製造を可能にし、我々の生活をも便利にすることに成功しました。しかし、人々が流れ作業の仕事の中で「ものを作る」ことに幸せを感じられなくなったとモリスは見ていました。

「つくり手と使い手にとってのの喜びとして民衆によって民衆のために制作された芸術がかつては存在していちゃことを、文明化した全世界が忘れ去ってしまった」
モリスが1880年に行った講演での言葉より(May Morris, 1910-1915) 

仕事と生活は別物で、自分の作った商品への愛着はなく、買い手の顔も見ることができない。都市部における貧富の差の広がりや、工場での低賃金労働、農村部の荒廃が起きるにつれ、産業化に対する反発運動もありました。


ラッダイト運動 織機に対する破壊(1812年)写真=Wikimedia Commons  

そんな中、モリスは1861年に「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を立ち上げます(1875年からは「モリス商会」と名前を改めている)。商会では、壁紙やスタンドグラス、家具などの日用品をデザインから完成まで請け負いました。産業革命以前の手工業の再興を求め、仲間たちと工房で1つ1つこだわって制作したのです。


松絵大捏鉢 肥前(日本民藝館所蔵)写真=Wikimedia Commons (by dalbera) 

モリス商会は次第に知名度を上げ、1880年代にイギリス各地でモリス工房のような商会、工房が生まれていきました。これは「アーツ・アンド・クラフツ運動」と呼ばれ、イギリス国外にまで知られていきます。

日本も「アーツ・アンド・クラフツ運動」に影響を受けた「民藝運動」が大正時代に起きました。明治以降、欧米を手本に機械化の進んだ日本でしたが、その中で失われつつある民衆の手仕事を守り育てようと、染物や陶器、大和絵などが収集されました。現在も全国にある民藝館にて「民藝」の保存・展示が行われています。

松絵大捏鉢 肥前(日本民藝館所蔵)写真=Wikimedia Commons (by dalbera)    

社会運動を行うようになったモリス

ウィリアム・モリス《Evenlode indigo discharge and block-printed textile》(1883年) 写真=Wikiart

庶民芸術の再興を求め活動していたモリスでしたが、手作業にこだわる彼の作品には通常より長い日数と多くの費用が必要とされました。手仕事を広めるための活動だったにもかかわらず、商品を買うことができるのは富裕層だけになるという矛盾をモリスは抱えてしまいます。

そこで、根本的な社会の変化が必要だと感じたモリスは、晩年は社会運動にも力を入れるようになります。自身の社会への思いや芸術論について執筆や講演を行いました。また、中世の職人が手仕事で生み出した歴史ある建築物には特に思いを寄せ、保護活動に力を入れています。1877年に立ち上げた古建築物保護協会は、建築物保護のキャンペーンや保存計画へのアドバイスを行う活動団体として現在もイギリスで活動が続いています(WEBサイトspab.org.uk)。モリスの活動はデザイナーによる環境保護活動の先駆けとなりました。

モリスが活動の中で、労働の幸せのある理想の暮らしを実現できたかは分かりません。しかしモリスの活動の中には、現代にも通じるエコと仕事と幸せへの教えがあります。それは、モリスの工場の様子にありました。

「大人のための大掛かりな幼稚園」と呼ばれた工場

モリスの作った工場は、見学者から「大人のための大掛かりな幼稚園」とも言われました(Henderson,Philip,1950)。工場内の温度や湿度は適切に保たれ、労働時間や給与も安定し、工場の周りにはポプラの木があったとのことです。見学者も多く、工場と言うより「幼稚園」と言える落ち着きや幸福感のある場所でした。

モリス商会の工房(1890) 写真=Wikimedia Commons       

モリスの活動は労働の幸せを実現する所から始まりましたが、時を経て環境保護や職場環境といった問題への取り組みへとも拡大していきました。モリスの活動は「エコと仕事と幸せは結びついている」と教えてくれています。

環境問題や労働環境は、一見企業や個人が取り組むべき課題にも見えるかもしれませんが、実は仕事のパフォーマンスを高め、幸せな生活の質を高めてくれるものでもあります。モリス商会の商品が調和の取れた色合いやバランス、流れのある植物のデザインを持ち、そして現代でもなお愛されているのは、彼が環境問題や労働環境、そして生活を豊かにするという非常に普遍的な問題に取り組んでいたことと繋がっているのではないでしょうか。

環境問題のために「どう生活を変えるべきか」「何を我慢すべきか」と考えるのではなく、「本当に幸せな生活とは何なのか」「そのためにどうすればいいのか」と考えること。そして自らの幸せを追求する中で、自分も気がつかないうちに無理なくエコやサステナブルな暮らし、おしゃれな暮らしにたどり着くなんてこともあるかもしれませんよね。

出展
ウィリアム・モリス(中橋一夫訳)『民衆の芸術』岩波文庫、1953年
May Morris(編) The Collected Works of William Morris. With Introductions,  
Longmans Green and Co., 1910-1915 
The Letters of William Morris. To His Family and Friends. Edited with Introduction and Notes by Philip Henderson.


執筆者:石田高大/Takahiro Ishida
編集者:田中真央/Mao Tanaka


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