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LGBT当事者にも理解されなかったアセクシュアル。差別を生まないために必要なのは知識と優しさ。

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セクシュアルマイノリティの当事者だからといって、自分と異なるセクシュアリティに理解があるとは限らない。

マイノリティが一丸となって社会を変える。LGBTという言葉が浸透し始めた昨今、同性婚の合法化に向けて活動する当事者のグループが、ニュースで報道されるようになった。周りと少し違うせいで、差別を受けた苦しみを抱えているから、お互いに分かり合える。マイノリティは、誰よりも多様性を尊重していると思っていた。

今回インタビューを敢行した智さんは、自身のYouTube動画で、レズビアンコミュニティ内での「アセクシュアル」に対する差別について語っていた。智さんが、恋愛感情は抱く〈ロマンティック〉だが他者に対して性的欲求を抱かない〈アセクシュアル〉だと知ると、態度が一変した人もいたという。その実情を伝えたくて、タイトルではあえて「LGBTQ+」ではなく「LGBT」と記した。

「ヘテロセクシュアル(異性愛者)もレズビアンも私にとっては同じです」と語る智さんのお話を聞き、たとえ自分が差別を受けたことがあったとしても、知識と優しさがなければ、自分も誰かに対して同じように差別を生み出してしまうことがあるのだと気づかされた。

身近な人を無意識に傷つけてしまわないためにも、社会の当たり前にとらわれず、目の前にいる相手のことをまず知ろうとする姿勢を、大切にしたいと思うインタビューになった。(インタビュー=清野紗奈)

インタビューを受けてくれた方:加藤 智さん。YouTubeを中心にアセクシュアルの情報を発信。アセクシュアル以外のセクシュアルマイノリティの方とのコラボ動画も多く公開している。当事者同士が実際に顔を合わせて交流できるオフ会の主催者としても活動しており、これまでに数十回以上開催した。(YouTube


当初はアセクシュアルの自認はなかった

▼アセクシュアルを自認した経緯を教えていただけますか?

「当初はレズビアンという自認が深かったので、恋人を作るために愛媛から上京することを決めました。ピッツァを作る人に恋をしていたので、自分も(ピッツァ職人を)目指していました。そのときに、東京のピザのデリバリー屋さんでバイトしているレズビアンの人と知り合って、東京のデリバリーピザを食べたかったので会うことにしたんです。そうしたら、その子は買ったピザを「ホテルで食べたい」と言い出して、当時は意図がわからなくて、東京では買ったものを外で食べることは汚いことなのかなと考えて、ホテルだと高いからカラオケに行くことも提案したんですけど、その子が譲らなかったのでホテルに行くことにしました。いざ行くと、(性行為が)始まってしまって...そのときに初めてホテルにこだわっていた意味がわかったんです。アセクシュアルの自認もなかったから、初めての経験だと思って受け入れたのですが、実際経験すると、“愛が深まるもの”、“気持ちの良いもの”という当初抱いていたイメージとは違い、言葉にできない違和感を抱きました。今振り返ると、性嫌悪だったのだと思います」

▼恋愛感情も他者に性的欲求が向くこともない「アロマンティック・アセクシュアル」より、恋愛感情があっても他者に性的欲求が向くことがない「ロマンティック・アセクシュアル」の方が説明しづらいと感じたことはないですか?

「アロマンティック・アセクシュアルの方がメディアに取り上げられやすいから、存在としてキャッチーなんだろうなとは思うんですよね。メディアを見たり、活動家の人と話したりするとそう思います。世間は“恋愛感情を持たない”というところに興味を引くから、(ロマンティック・アセクシュアルが)わかりづらくなってくるんでしょうね。
ロマンティック・アセクシュアルは誰に恋愛感情が向くかで細分化されるけど、アロマンティック・アセクシュアルは選択肢がないから、集まったときに当事者の数が多く見えるという要因もあると思います」

(写真=取材者撮影)

カテゴライズはどう人に接してもらいたいかを伝えるツール

▼一部からは、「セクシュアリティをそんなに細かくカテゴライズする必要あるの?」という意見が挙がったり、当事者自身も自認に迷ってしまったりする場合もあると思うのですが、智さんはカテゴライズすることがどの程度必要だと考えていますか?

「カテゴライズは、カテゴライズすることがゴールじゃなくて、自分をカテゴライズしたうえで、どういう仲間を見つけたいかとか、どういう風に人に接してもらいたいかを伝えるツールだと思っています。例えば、性嫌悪があるとわかったら、今までなんとなく性的な描写のある映画を避けていたのが、『性嫌悪があるから避けていたんだ』と気づくと今後避けやすくなってくると思います。私の場合は、人がいちゃつくのを見るのが苦手で。そういうとき、なんとなく『イチャイチャするのやめて』と言うより、『性嫌悪あるからしんどい感覚がある』と言う方が言いやすいです。

『カテゴライズのどこの枠にも入れず辛いです』と言っている人を見ると、『そこで悩んでしまうなら少し視点を変えてみても良いんじゃないか』と声をかけたくなります。よくDMで相談ももらうんですけど、『カテゴライズは置いておいて、何に自分が辛いと感じているのかに向き合った方が良いんじゃないか』とアドバイスしています。セクシュアリティは変わり得るものなので、今定義することはそこまで重要じゃないと思います。そういう用語は使わずになんとなく伝えたい人もいるので、それはそれで良いと思うし。

ただ、カテゴライズを広めることを迷惑だという意見には賛同できないです。カテゴライズに助けられている人もいるし、名前があることで生きやすくなったという方を活動を通してたくさん見てきました。そういう方達のためにあるものだと思っています。

『LGBTQのQの部分を深掘りしなくていいじゃん』とか、『学術的だね』と言われることもありますけど。『3回デート行ったら(告白して)OKだよね』とかも、アロマンティック・アセクシュアルの方にとっては勉強しないとわからないことで相互に“学術的”なことなんですよ。文化の違いみたいな感じで、トラブルがないようにお互い知っておかないといけない話なので、『細分化されるのめんどくさい』と言われると一方的な意見だなぁと戸惑ってしまいます。

当事者でもそういう風に言う方は、たいてい困ったことがないからなんですよね。困ったことがないからそっとしておいてほしいんだと思うんです。でも、自分は困った経験をしているし、どのセクシュアリティでも苦しんでいる人はいるので、カテゴライズは大事だと思います」

セクシュアルマイノリティ同士だからといって仲間意識が生まれるわけではない

▼レズビアン自認をしていた際に苦しんだ経験について、もう少し詳しくお話を聞かせてください。私は、“マイノリティ”であればほかのマイノリティにも理解があるものだと思い込んでしまっていたのですが、智さんのYouTubeを拝見して、必ずしもそうではないのだと気づかされました。なぜレズビアンの人とすれ違いが生まれてしまったと思いますか?

「レズビアンの方も恋愛するしセックスするので、ヘテロセクシュアル(異性愛者)の人とそこは変わらないからだと思います。ヘテロセクシュアルの人からすると恋愛的な指向が違うから、って思っているかもしれないけど、アセクシュアルからすれば、誰とするかは違うかもしれないけど、みんな恋愛してセックスして、っていうところは同じなんです。私はヘテロセクシュアルの人とレズビアンの人をあんまり区別していないです。(アセクシュアルへの)理解度も変わらないので...気づいて受け入れるまでは傷ついていましたが、恋愛的な指向の違いはあっても、世の中の“恋愛の当たり前の順序”を守れる人たちなんです」

▼セクシュアルマイノリティと大きく括られてしまいますが、レズビアンやゲイのコミュニティは出会いを求めている傾向があって、逆にアセクシュアルのコミュニティだと困りごとを共有したい、というような違いはあるのかなと思いました。智さんはご自身でもオフ会を主催されていますが、違いは感じますか?

「感じますね。アセクシュアルのコミュニティでは、外見で判断してもしょうがないし、ルッキズムもないし。レズビアンのコミュニティはヘテロセクシュアルと同じで、モテる人がやっぱり(コミュニティで)優位になることが多かったです。アライ(当事者を理解・支援する人)になりたいと思ってる人は、ヘテロセクシュアルでもレズビアンでも理解してくれるし。そうでない人は、レズビアンだとしても無関心な人はいっぱいいるので、マイノリティ同士とか仲間だとは思っていないですね」

▼智さんの動画を見ていて一番の気づきでした。セクシュアルマイノリティの当事者であったとしても、自分とは異なるセクシュアリティに理解があるとは限らないんですよね。

「より差別的な態度をとられることもありました。マイノリティという葛藤があるからこそ、二丁目は羽を伸ばせる場所だという思いが強いので、余計に好き放題言うし...ヘテロセクシュアルの中で『髪巻いててネイルしてる女の子が可愛い』というのがあるんだとしたら、レズビアンの中にもそういうモテる人のルールができているんですよね。アセクシュアルのコミュニティにはそういうルールがないんです。だから、ある意味では孤独なままなんですよね。おんなじ人がいるんだなって救いにはなるけど、一人は一人のままなので。でもそれが心地よいと感じている人は多いんじゃないかなと思いますね」

ダブルマイノリティの方も居心地のいいオフ会を主催したい

▼YouTubeで実際に当事者同士が交流しているオフ会の様子をアップされていて、参加したことがない人にも雰囲気が伝わる素晴らしい試みだと思いました。オフ会を主催していて、一番印象的だったことは何ですか?

「自分がオフ会を主催するために、勉強のためにほかのいろんなオフ会に参加しているときに、『智さんのオフ会予約してるんです!』と声をかけてくれた人がいて。『アセクの子は集まれる場所がないから、本当にありがとうございます。LGBTには二丁目があるけど、アセクにとっての二丁目はないから』と、目をキラキラさせて話してくれたことがありました。その言葉がなければここまでやってこれなかったかもしれないです」

▼智さんご自身のことについてもお聞きしたいのですが、ロマンティック・アセクシュアルのレズビアンが集まるコミュニティがあれば参加したいと思いますか?

「意外と参加したいとは思わないです。自分でもそういうコミュニティは作っていなくて。自分は人を好きでいることで満足しがちなので。あと、恋愛嫌悪があるのか自分でもわからないんですけど、明らかに好意を向けられている女性の目線に、『うっ...』となってしまうことがあります。恋愛目的の人とは距離を置いてしまいがちです。

実は、自分がとあるオフ会に行ったときにトラブルがあって。出会いは求めていなかったんですけど、主催者さんと仲が良かったので参加したときに、誰にも興味ないから、一人ぼっちの人とか困ってそうな人に話しかけていました。そしたら、ある方に気があると思われたみたいで、後日ご飯に行こうと連絡がきて、特にその方には恋愛的・プライベートで会う関係性のお友達になることなどの親密な進展は求めていなかったのでお断りしたら、『あなたからぐいぐい来たから、一応ご飯誘ったのに、女に困ってる訳じゃないから!』と捨て台詞を吐かれてしまったことがありました。事故が起きてしまう可能性があるので、恋愛したい人の気持ちを掻き立てるような文言を使ったオフ会は、やっていないですし、参加することもトラウマになり今は消極的です」

▼先ほど、レズビアンのコミュニティにはヒエラルキーが生まれてしまうというお話をしていただきましたが、自分の主催するオフ会はそういう風にしたくないという思いもありますか?

「ありますね。自分の場合は、ほかの生きづらさを持っている人にどうやって心地よく参加してもらえるかということを考えたいので。発達障害とか、身体障害を持っているとか、うつ病なんですとか、事前に相談してもらえたらできる限り対応したいと思っています。

出会いの場だったらたくさんカップリングすることが目標になると思うんですけど、そこには興味がなくて、複数のマイノリティを抱える人が参加してくれたときに、疎外感を感じてしまうことがすごく嫌で、どうやったらその人に参加した意義や満足感を感じてもらえるかに意識が向いています」

用語を覚えるより相手の幸せが何かを知ることが大切

(写真=取材者撮影。Ace(アセクシュアル周辺のセクシュアリティの総称)ケーキを想起させるプリントがされたトレーナーで取材に応じてくれた。黒や紫といったAceの象徴が配色されている。)

▼最後に、私たちが様々なバックグラウンドの人と日々コミュニケーションを取るうえで、どういったことに気をつければよいか、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

「読者の皆さんは、きっとこういう問題に興味がある優しい人だと思うので...もし当事者じゃないのに興味を持ってページを開いてくださった方には、まず『ありがとう』と伝えたいですね。当事者に会ったときに『もしかしてそうなのかな?』と思ったら、無理やり押し付けるのではなくて、『こういう言葉あるけど、興味ある?』みたいな感じで声をかけてみてほしいです。その人が悩んでいたら助かることもあるだろうし。

難しく考えなくても、人と接するうえでの態度やマナーの話だと思うので、相手の幸せを思って発した言葉で傷つけちゃうのは、用語が覚えられないからではなく相手の幸せが何かを知ろうとしてないからだと思うんですよ。何してるときが幸せ? どうなるのがハッピー? と聞けたら、いちいち『ともちゃん、もう少し髪の毛伸ばしたら男の子にモテるのに』とか言わないはず。私は男の人にモテたいなんて思っていないので。

差別したくない気持ちはあっても、いきなり全員のアライにはなれないから。じゃあ、本人がどういうことが幸せなのかをまず聞けば、とんでもない失言とかは生まれないんじゃないかと思います。決めつけないことと、自分が知ってる範囲の幸せを押し付けないことが大事です。

当事者で悩んでいる方が読んでくれているんだったら、一回冷静になって、今まで自分を追い詰めていたのは本当にご自身の責任なのか、考えてみてほしい。誰から言われた言葉も、その人は傷つけたくて言った訳じゃなくて、『こういうのが当たり前』だと発信しまくっている社会の方が問題だったりもするから。そう考えると気分が晴れるんじゃないかと。社会の刷り込みの影響が大きすぎると思うんです。追い込まれてしまっている当事者の方にも、無知故に追い込んでしまっている人にも、そのことには気づいてほしいと思います」


執筆者:清野紗奈/Sana Kiyono
編集者:石田高大/Takahiro Ishida、袁盧林コン/Lulinkun Yuan、河辺泰知/Taichi Kawabe、原野百々恵/Momoe Harano

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