見出し画像

在日コリアン福祉施設・エルファの転機。中国人帰国者と日本人利用者の受け入れ「共生とは誰もが自分らしくいられる場所のこと」【前編】

/違和感ポイント/
在日コリアン向けの福祉施設だから、他にルーツを持つ人は参加できないのか。それは逆に分断を深めるのではと、疑問に思っていた。しかし、エルファは違う。取材前は、朝鮮半島にルーツを持つ人が集まる場所だと思っていた筆者は面食らったのだ。

京都市南区東九条にあるNPO法人「京都コリアン生活センター エルファ」が2020年、設立から20年の節目を迎えた。エルファは在日コリアンへの福祉サービスを中心に行うNPO法人。エルファを拠点とした、地域での多文化共生事業も広く行っている。設立以降出逢った日本人との関わりに見た「共生」の姿。20年間で転機となった出来事について、同センター南珣賢(ナム・スンヒョン)事務局長に聞いた。後編はこちら
(聞き手:三井滉大)

中国帰国者との出会い

南事務局長はエルファの1つ目の転機となった出来事として、中国帰国者との出会いをあげた。満州国が建国された後、開拓民として多くの日本人が海を渡り、この地にたどり着いた。第二次世界大戦末期にソ連の参戦で戦場となった同地方では、多くの人々が戦争や飢餓で命を落とした。また戦後の混乱の中で日本に帰ることができなかったり、戦争孤児となり現地で育てられた人が多くいた。中国帰国者とは、1972年の日中国交正常化以降、再開された肉親調査や帰国施策によって帰国した「中国残留邦人」(「中国残留孤児」や「中国残留婦人」)とその家族のことだ。

2003年頃、日本で高齢となる中国帰国者の方への支援を行うNPO団体からエルファの取り組みを参考にしたいと見学の申し出があったという。この時初めて、エルファは在日コリアン以外で日本に生活する、外国ルーツの介護支援対象者の存在を知ったそうだ。

その後、在日コリアンの支援事業を通して培った経験をもとに、中国帰国者の支援を行う人材育成を始めた。中国で当時看護師として働いていた、中国帰国者の家族2人にエルファに就職してもらい、それぞれが日本で介護福祉士、ケアマネージャーの資格を取得するまでサポートした。

20年におけるエルファの契機を語る南事務局長(三井滉大撮影)

ただ、中国帰国者の支援事業に関わることに対し、当時のエルファ内では「中国帰国者問題は日本人の問題だ」と反対の立場に立つ人もいた。しかし、南事務局長は「政治的な話ではなく、福祉の視点が必要だ」と反対を押し切り、支援を行なうことを決意した。

南事務局長は中国帰国者問題について「外国ルーツの高齢者問題は、昔の在日コリアン問題に通じる部分が多く、社会が変わっていないことを痛感した」と語る。この出来事は「多文化共生社会」の必要性をエルファが肌で感じた出来事となった。

日本人利用者の存在

南事務局長は、2つ目の転機として2007年頃からエルファを利用し始めるようになった、ひとりの日本人利用者の存在をあげた。ケアマネージャーが、地域の介護事業所に合わなかった日本人高齢者に、エルファを紹介したそうだ。日本人利用者に話を聞き、誰にとっても自分らしくいられる場所であることの必要性に気付いた。その後、日本人利用者も増えていくことになる。

レクリエーションに笑顔を見せるエルファ利用者(写真提供:中山和弘)

南事務局長はエルファを利用する日本人利用者が、朝鮮民謡に合わせて踊る姿に、共生の姿を見た。

参考文献
・厚生労働省「中国残留邦人等への支援」
< https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido02/index.html > (最終アクセス:2021年3月1日)
・​​東京YWCA「 中国帰国者への日本語支援と交流事業」
https://www.tokyo.ywca.or.jp/peace/return_china/ >(最終アクセス:2021年3月1日)

※本記事は2021年6月6日にPaco Mediaに掲載された 「<エルファの20年>活動の転機 中国帰国者 日本人利用者との出会い 「共生とは誰もが自分らしくいられる場所のこと」」の記事を編集、加筆しました。


執筆者:三井滉大/Mitsui Kodai
編集者:田中真央/Mao Tanaka

インタビューを受けてくれた方:南珣賢(ナム・スンヒョン)さん。慶尚北道にルーツを持つ在日コリアン2世。京都コリアン生活センターエルファ事務局長。朝鮮新報元記者。小学校から大学まで民族教育を受ける。現在、大学にゲストスピーカーとして授業に赴くなど、積極的にエルファの活動を発信している。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?