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「異質」と「迷い」から読み解く、宗教との向き合い方 身近に潜むカルト宗教は何が危険なのか?

/違和感ポイント/
宗教勧誘に来た人に罵詈雑言を浴びせ、面白おかしく追い払う。動画投稿サイトでは、そうした「宗教勧誘撃退動画」が好評を得ている。筆者の地元で活動する、某新興宗教の信者も同様だ。何もしていなくとも街の人々から嫌われ、拠点からの立ち退きを求められている。私たちは無意識に、宗教を怪しいもの、邪険に扱っていいものと捉えているのかもしれない。では、宗教勧誘をしてくる人、即ち宗教を信仰する人は本当に「悪」なのだろうか。

滋賀県東近江市の玄照寺にて、取材に応じた瓜生崇さん(撮影:市川南帆)

2019年にNHK放送文化研究所が出した報告書によると、宗教に危険性を感じる日本人の割合は44%という結果がでた。これにより、感じない割合(13%)を大きく上回ることが分かった。

日本人の多くが宗教に不信感を抱くきっかけの1つに、オウム真理教による地下鉄サリン事件がある。事件以降、カルト宗教の問題がさかんに議論されるようになった。

そこで、長年カルト宗教に入信した人の脱会支援を行い、自身も仏教系の新宗教で勧誘に携わった経験を持つ僧侶、瓜生崇さん(以下、瓜生さん)に話を聞いた。カルト宗教を糸口に、カルト宗教と宗教の違い、宗教を信仰する人と信仰していない人の違いを探り、宗教信仰は特別なことなのか、悪いことなのかという疑問に迫る。

カルト宗教の入信は交通事故に遭うようなもの

そもそも、カルト宗教とは何なのか。広辞苑には「カルト」の意味について「①崇拝。②狂信的な崇拝。③少数の人々の熱狂的支持」と記されている。具体的には、どういった危険性があるのだろうか。

――カルト宗教の危険性について、具体的に教えてください
人から迷いを奪うことです。カルトは迷いに理屈を与えてくれる、お前のしたことは正しかったのだと言ってくれる。そうして迷いを乗り越えることが、宗教的成長に繋がっていくのです。ただ、迷いがあるから人は、省みて反省することができます。迷いがないのは恐ろしいことです。

――カルト宗教にはどのような人が入信するのですか
私の元に相談に来た人に、特定の苦悩を抱えている人はいませんでした。どちらかというと社会的に恵まれた人の方が多かったです。例えば受験に成功した人がいます。一生懸命勉強して有名大学に入ったのは良いものの、自分はこれからどこに向かって生きていけば良いか分からなくなり、入信したというケースです。

カルトに入るのは交通事故に遭うようなもの。誰でも入信する種とタイミングを持っているのです。皆さんにも自分がどこに向かえば良いか分からない時期があるでしょう。その時にカルトに出会うかどうかです。

――瓜生さんは大学在学中、カルト宗教に入信されたとのことでしたが、どのように大学生はカルト宗教にハマっていくのでしょうか
最近はネット勧誘がほとんどです。Twitterでは「#春から〇〇大学」とツイートしているアカウントにランダムでDMを送り、好反応の人をセミナーに招待します。これに少しでも魅力を感じた人が、入信していくという流れです。

以前は大学側もアンケート調査などで、その実態を把握していました。しかしインターネットとなると、把握が難しいのが現状です。

関東私立大学のカルト団体の勧誘Twitterrアカウント(スクリーンショット)

大学生にとってもカルト宗教は身近な存在だ。瓜生さんは、早稲田大学のサークルを名乗るTwitterアカウントから勧誘されたという学生から相談を受けたことがある。一見何の変哲もないアカウントだったが、運営側の顔写真や名前が一切載ってなかった。また「生きる」など、人生の目的に迷っている人の心に響くワードがツイートに頻繁に含まれていたという。

カルト宗教の信者とどう向き合うか

――カルト宗教の信者の家族にはどのような影響がありますか
子どもが入信した場合は、やはり凄く心配されますよね。アレフ(オウム真理教の後継団体)の場合、出家して全く会えなくなることもあります。ほとんどの教団は信者に信仰を隠すよう指示するため、後戻りできなくなったときに発覚するケースが多いです。

信者も普段は周囲と変わらない生活をしているため、信仰しているかどうか一見で判断できません。30年間、子どもの脱会を待っている親御さんもいらっしゃいます。

――カルト宗教の信者とは、どう向き合えば良いのでしょうか
自ら歩み寄ろうとしないと、向こうから歩み寄ってくることは絶対にありません。まずは相手を認めようとすることが大切です。また歩み寄りながら、コミュニケーションを取り続けることも重要です。脱会が正解ではありません。相手の信仰を理解し、繋がりを維持しながら、何か起きたらすぐにサポートできるようにする。その人自身を理解しようとする姿勢が大切です。

日常にあるカルト性

――カルト宗教とそうでない宗教を見分ける方法はありますか
カルト宗教だけが持つ特徴というものはありません。伝統宗教と呼ばれるカトリック教会では、聖職者による性的虐待事件が問題になりました。私が所属する真宗大谷派(浄土真宗系の一派)も信徒数は日本で第三位になりますが、最近、職員が払われていない残業代を請求した際、信仰心が足りないと責められたという事件がありました。

どの宗教もカルト性(迷いを奪うほどの熱狂性)を含んでいるのです。
宗教に限られた話ではありません。人間はどうやっても反論しえない正しさを手に入れた時、それに反する集団や意志を差別し抑圧します。こうした問題はどの組織でも起こりうるのです。 

共生するための迷いを大切に

筆者は、日本において「宗教」自体が忌避されているという考えを持っていた。しかし、瓜生さんは「宗教や信仰自体は忌避されていません。人々は異質なものを嫌うのです。歴史を見ても新宗教は迫害から始まっていますよね」と話す。では、お互いが共生する方法はあるのだろうか。

――お互いに「異質なもの」と認識して対立する人々が共生するには、どうすれば良いと思いますか
どうすれば共生していけるかは私にも分からない部分があります。人は自分の信念を正しいと言ってくれる場所にいたい生き物。対話や歩み寄りは、それに反する行為になります。言うなれば人間の望んでいない行為。これをやるというのは非常に苦しいです。しかし、諦めません。

人が人である意義は、迷うことができることだと私は思っています。必要な時に迷って、必要な時にぶれて、自分の意見を変えて、分からないと言えることを大切にしていく。そうすれば今の状況も変わっていくのではないでしょうか。

 <取材後記>宗教は「悪」ではないけれど...

筆者は違和感ポイントで、「宗教を信仰する人は『悪』なのだろうか」と問題提起した。この問いは「宗教勧誘撃退動画」に高評価ボタンを押した人、新興宗教を嫌う地元の人々、そして筆者自身に向けたものであった。筆者もまた、宗教を信仰する人を受け入れることが出来ていなかったからだ。心のどこかで、信者を「異質な存在」と見なしていたのだろう。

今回の取材を通して、その「異質さ」は「同質」も兼ね合わせていることが分かった。宗教信仰は、筆者には縁のないことだと思っていた。だから「異質」と捉えていた。しかし「宗教を信仰するきっかけは誰にでも訪れる」「宗教を信仰せずとも、何かへの信仰は日常に溢れている」と知った。「異質」と見なしていたものが、実は筆者と混ざり合う部分を持っていたのだ。

私たちは「異質なもの」を嫌い、「悪」と認識する。しかし実際は、相手を理解していないから「異質」なのであり、相手に歩み寄ることが出来れば、それは「同質」を持つものになるかもしれない。本当の「悪」とは、無理解のことを指すのではないだろうか。


執筆者:市川南帆/Naho Ichikawa
編集者:三井滉大/Kodai Mitsui、原野百々恵/Momoe Harano


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