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5分で分かる欧州放浪記!イタリア後編、マルタ、ギリシャ編

前回までのあらすじ

チュニジアという地図で見るとイタリアの近所なのにアフリカから見ると隣国がアルジェリア、リビアという慢性的治安悪化区域の為陸路での入国の難しい謎の国チュニジア。かつてはカルタゴとして地中海の覇をローマと争ったがそれも昔の話。
チュニスからスファックスまで下った後、ケルアンという北アフリカ発のイスラム都市を見学。
そしていよいよローマに完全に破壊されてローマ化されてしまったカルタゴ遺跡へ。
このローマ臭しかしない場所が元ローマを滅亡寸前まで追いやったカルタゴか…と歴史の無常さに身を委ねた夜舞。
その後カルタゴからシチリアという伝統のカルタゴルートを通ってイタリアのシチリア島に帰還した夜舞。
いよいよ欧州放浪記も最終局面。夜舞の旅がまた始まる。

こんにちわ、冒険者の夜舞です。
今回は、いよいよシェルゲン圏最終局面であるイタリアシチリア島、マルタ島、そしてバルカン半島の南ギリシャ編です。
アイスランドから始めた欧州放浪の旅も思えば遠くに来たものです。あんなに北のほうにいたのに気が付いたらこんなに南まで。
よくここまで頑張ったと自分を褒めたくなります。

と、いう事で今回もいってみましょう。

イタリア

モナコからトリエステまで北側を横断した1回目。バーリからローマ経由でサレルノまで横断した2回目。シチリア島からブリティジまで横断した3回目とイタリアには3回も入り、結構北から南に移動できたのではないかと思います。
しかし、イタリアも大きな国なので行ってない所が多数。
イタリア小さな国に見えて大きな国でした。そして話に聞いていた以上に南北で全く違う国だったのには驚きを隠せません。

イタリア語を話しているって共通点以外ほぼ共通項なかったですからね。
なんて面白い国なんだと思いましたし、もっと色々知りたいって強く思わせる素晴らしい国でした。

明らかに南イタリアの方がご飯美味しかったの含めていつか今回は行けなかったサルディーニャ島含め、もっと色んな場所でその土地のイタリアが知れるような機会が得られるようになりたいと思います。

ちなみに日本人の思うイタリアってほぼ南イタリアで北は乱暴な言い方するならドイツの一部。ぶっちゃけ僕の認識ではトリノのサヴァイア家はドイツ諸侯。

ドイツ圏本当に広いよなと改めて感じます。

三回目:チュニジアからギリシャ

パレルモ

チュニスから船で14時間。まぁ14時間って書いてあるだけで実際の航海時間は12時間ぐらいで後は船に乗り込めるまでの時間なんですけど、とにかく乗るまでと降りるまででとんでもない時間がかかった後帰ってきたシチリア島北部の街パレルモ。
ギリシャ時代からあるのですが、その発展の歴史はイスラム勢力によって拡大して、ノルマン時代に完成したっていう妙に複雑な歴史を持つ街です。

それでも、最終的にカトリック強国のスペイン傘下だったこともあり、教会の数が多い。

そして何となく旧市街地の一本道を外れたら危ない匂いがする感じといい、ラテンアメリカの旧スペイン領を思い出してしまうような街でした。

なんとこれ本体じゃなくて横の塔。このでかいのが横の付属物だなんて…

シラクーサ

ギリシャ時代からシチリア最大の街として発展してきて、ローマ、イスラムと言った難敵を跳ね返し続けた事で難攻不落の名を持つシチリア島の昔の中心都市がシラクーサな訳ですけど、やっぱりこの町も別に日本語は特に関係ありません。

この町は当然ギリシャ時代から中心都市やっていただけにギリシャ時代の遺構が多いなという印象がありますけど、それ以外の遺構も結構ある気がしましたね。

中心の島は確かに砲弾のない時代だったらここを攻略するのはそりゃ大変だっただろうなって町でしたし、やっぱり自分の目で見る事の大切さを感じました。

風光明媚ですが、海から高い場所を攻略することの難しさを感じます。

ノート

シラクーサの公園行こうかと思ったのですが、それよりはせっかくだからもうちょっとシチリア島の別の街へ行ってみるのも悪くないかな。

と、いう事でシラクーサから電車、バスで約1時間。ノートというあまりに一般的な名前の街へ行ってみました。ちなみにつづりはnotoなので英語のnoteとは違いますし、なんならNoto半島との関係を疑いたくなってしまいます。
街は地震で壊滅したので今あるのは復元したものって事でしたが、狭い密度に教会、教会と目まぐるしく違う教会が出てくるのは圧巻でした。

しかし、なんかラテンアメリカの街。
エクアドルのクエンカとか辺りが近いかな…な街だったのはちょっと経験値詰み過ぎたかな…と思わなくはありませんでしたけどね。

街の大聖堂。橙色が印象に残ります。

メッシーナ

シラクーサから3時間。やってきたのはイタリア半島の対岸メッシーナ海峡。イタリアとシチリアを隔てる海峡な訳ですが、正直さっさと橋かけるなり海底トンネル落とすなりして繋げろよって思わずにはいられない程狭い海域でした。

ドーバー海峡がトンネルあるんだからこんな瀬戸内海みたいな距離の所なんとでもなるだろうって素人目線では思ってしまいます。

その話は置いておいて、イタリア半島と海一本隔てているだけでここまで文化圏が違うのかと驚きでした。

正直イタリアの匂いまったくしなくてギリシャの匂いがかすかにしました。シチリア面白い場所ですよ、本当に。

対岸はもちろんイタリア半島。あまりに近い

タオルミーナ

カターニアに直接行ってもつまらんかな…って事で途中にある有名らしいリゾート地タオルミーナへ。

タオルはきっと関係ないんだろうなとは分かりつつも変わった名前だなーって日本人としては思ってしまいます。

その実態は崖の上に作られたギリシャ植民地ですけど、ギリシャの建物は予算と時間不足で見てないのでノーコメント。

断崖絶壁から見るシチリアの東海岸とエトナ火山は素晴らしい場所でやっぱり人気の場所は色々違うなと言うのが感想でした。

シチリアの海岸とエトナ火山!

カターニア

シラクーサから電車で1時間。と、思いきやタオルミーナから帰ってきたので結果タオルミーナから1時間。シチリア島の東海岸最大の都市。街から空港までは近いので飛行機で来ると非常に楽な場所です。街中も古い教会も建物も多くて楽しい街ではあるのですが、シラクーサに比べると悲しいかな。やっぱり落ちるかなって言うのがまごう事ない僕の気持ちですね。

カターニア中央の広場。

ターラント

カターニアからバスで9時間。途中メッシーナ海峡を船で渡るのであそこに橋かトンネルが通ればもうちょっと近いだろうなとは思いますが、今は連絡船しかないので仕方がない。

イタリア半島の土踏まずにある天然の良港としてギリシャ時代から発展してきた街だけに大きな船が多いと言う印象でした。

美しい場所なのでこれからの発展にさらなる期待ですね。

ターラントの中海か湖か分からない海。

ブリンディジ

イタリア最終地点。ローマから続くアッピア街道終点にして、欧亜航路の始点。
ヨーロッパを出る人間が古代よりここに集まったと言う事で有名な街ブリティジ。
その歴史ある街が僕にとってもイタリアの出口になったと言うのは非常に光栄な事であると思います。
街そのものはこぢんまりとした中にある小さな街で歴史を感じるにはそれなりに知識ないと厳しいだろうなとは思いました。

ブリティジの海。ここから数多の人が旅立って行った。

レッチェ

ブリティジから電車で30分。あまりに近所なレッチェ。

ブリティジが海の玄関口であるのとは対象的にとにかくローマの遺跡がある中に、多数の教会が混じりに混じった街がレッチェ。

とにかく教会の数が多いのに、その教会の壁と言う壁に彫刻がびっしりでこれはすごいって思わず言葉が漏れてしまう程でした。

あの街はいろんな意味ですごい街なので是非イタリアに行った時には訪問してみることをお勧めします。

ゴシック様式ではあるが装飾があまりに多い。

マルタ共和国

有志以来人が住んではいたけど、本格的に開発が始まったのはマルタ騎士団がやってきてからって事で小さな島の中至る所にでかい教会があり、城壁が街を囲んでいるって言う難攻不落の名を欲しいままにしたマルタ。

肝心のマルタ騎士団が追い出されて、地中海の勢力争いに楔を打ち込むべくイギリスが作った国が今のマルタ共和国と言う国です。

地図見れば分かりますが、ここインド、エジプトとジブラルタル、本国の真ん中のちょうどいい所にある訳ですね。イギリスドクトリンが手に取るように分かる位置関係です。

と、言う事でこの地中海の真ん中にあるのに周りの国に一切同調せず独自規格で有名なイギリス規格である左車線、無駄にゴツいコンセントなど最高に周りの国から輸入しようとすると大変な物がこの小さな島国に溢れていました。

そして、見る限り飲み水もダメみたいでなんて不便な国なんだって言うのが僕の偽りなき本心。

コモンウェルズの一員になりたいって願望がないならちょっとなーって思ってしまいました。
きれいな場所ではありますし、歴史もそれなりにあるのでいい国だとは思いましたけど、それなりに不便な感じはひしひしとしました。

ネットのインフルエンサーからこの手の話が一切出てこない辺り情報統制って簡単だよなって思います。

対岸から見るヴァレッタの街並み。砦と教会の密度がすごい。

ギリシャ

ローマですら僕の感覚からすると遥か大昔の神話と大差ない感覚なのにそこより更に昔から文明の中心地として発展してきた場所がギリシャ。

財政破綻してEUのお荷物とまで揶揄されたりもしてますが、来た感じではそんな深刻な感じではないように見えました。

まぁ二日しかいなかったから実際の所は分かりませんけどね。シェルゲンの残りが移動日抜いて2日しかない以上仕方がない。

ギリシャって国を語るにはあまりにギリシャは歴史がありすぎるし、国土もそれなりに大きいので語る所までは今回は到達できませんでしたけど、ヨーロッパだけどヨーロッパじゃない感じとかキリスト教だけどキリスト教じゃない感じとかちょっと触っただけですが、非常に興味の尽きない国でした。
いつの日か今回行けなかった南のギリシャ中心部やペロポネソス半島にも足を延ばしてみたい所です。

イグメ二ツァ

イタリアから船で時差入れて9時間。アドリア海だかイオニア海だか分からない海を抜けて到着したギリシャの入り口。

山の中にある港街以外の感想がないのですが、きれいな場所で日本みたいな場所でした。

朝入港時のイグメニッツァ。山が目立ちます。

イオアニア

イグメニッツァから約2時間バスに乗ってやってきたこの辺りの中心都市イオアニア。
本当はここを拠点にどこかに行こうかと思ってましたが、思ったよりも船泊のダメージが大きかったのてこの町で一日のんびりする事に。

湖沿いの高原地帯という事で非常に風光明媚で落ち着いた場所で歩いていても休日って事で楽しい町でした。

湖沿いの城壁もきれいでしたし、博物館も先史時代の出土品が大量にあってギリシャにも有名じゃないこんな町もあるんだなと。

湖沿いにあるイオアニアの街。後ろの山も含めてきれいな場所でした。ちょっと諏訪湖っぽいですけどね。

テッサロニキ

イオアニアからバスで約4時間。今日の朝まで肌寒かった気温がなんと物凄く暑くなって夏に逆戻り。そうかあそこだけ高度高くて寒かっただけでギリシャも南イタリアと大差ない気温だったのか…と。

流石にギリシャ第二都市にして、あの大帝国マケドニアから連綿と続く街だけあって街そのものは非常に都会。

でも、マケドニアから連綿と続くので適当に掘ったら遺物どころか遺跡が出てくるって町で開発するのもなかなか大変そうな印象も感じます。

せっかく来たのでマケドニアの歴史を知ろうと考古学博物館にも足を運びました。
マケドニアの前後の歴史的遺物に王墓の埋葬品とこれが3000年ぐらい前の物であるとはとても信じられないような物ばかりでした。
マケドニアでこれなんだからアテネはどんだけ凄いんだろうと思ってしまいます。
広くて時間足りなかったのでまたいつの日か再挑戦!

海沿いにアレキサンダー大王とファランクスの展示。


ここまで読んで頂きありがとうございました。

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冒険者の夜舞でした。

次回はいよいよバルカン半島編本格スタート!北マケドニア、アルバニア編です。


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