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生きるということ- 盲ろうという困難を超えて

人生は悩みや悲しみ、苦しみの連続である。

でもそんな時、「生きる意味」について考えることで、自分の幸せな生き方が見えてくるんだな、と気づく。

全ての人間は、「意味」のない人間は一人としていない。全ての人には、必ず生まれてきた「意味」があり、今世で果たすべき「使命」を与えられている。

そして、どんなに辛いことであっても、そこには「人生の意味」がある。
たとえ困難に陥ったとしても、悩んで、苦しんで、考えて、その中から、「生きる意味」に自ら気づいて初めて、「使命」という道が見えて、全ての人間が「幸せ」へ向かうことができる。

今回は、そんな「生きる意味」を、非常にまれな「障害」という困難をキッカケに実際に体現されてきた、盲ろう者(目が見えない、耳が聞こえない)の福島智さんから聞いた大変貴重な講話を、書きつづりたいと思います。(東京藝大DOORの授業にて)

目が見えない、耳が聞こえない絶望感

福島智さんは、現在東京大学先端科学技術研究所にお勤めの先生です。

福島さんは、3才の時に病気で右目が見えなくなり、8才の時に左目が聞こえなくなり、しばらくはかろうじて聴覚があったので、聴覚でコミュニケーションができたのですが、18才の時に、耳が聞こえなくなり、「盲ろう者」という、目が見えない、耳が聞こえない非常に稀な障害、困難に遭われた方です。

人間には、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)がありますが、目が見えない、耳が聞こえないと、人とのコミュニケーションがほとんどとれなくなる。
一般的に、人は他者との「コミュニケーション」をとることで、人との繋がり、安心、安全を感じて「幸福感」を得られる、と思いますが、福島さんは、その「コミュニケーション」する手段を取るのが困難になってしまい、絶望感に襲われたそうです。

「自分は生きる意味があるのだろうか?」
「どうして自分は生まれてきたのだろう?」

人生のどん底。
唯一感じられる触覚を使って、点字の本を読んだりしながら、毎日来る日も来る日も自問自答を繰り返したそうです。

福島さん曰く、「盲ろう者であること」とは、まるで宇宙空間にいるような感覚、そして「自分」がいるのか?いないのか?がわからない感じだといいます。

「自分が生きている」・・・「何かによって命を与えられている」
「きっと生まれてきた意味がある」
「他にも、きっと同じように苦悩の中に生きている人がいる」
「与えられた生命を大切にしよう」

福島さんは苦悩の中で自問自答を続けた結果、そう考えるようになったそうです。そんな時、ふと自分には「手の触覚」でコミュニケーションがとれるのではないか?と気づき、母親の力を借りながら、自ら手を使ったコミュニケーションを取ることを創り始めました。「指点字」というものです。
福島さんは、困難の中からこの世に「指点字」を創ることによって、同じような苦しみをもつ人を幸せにするという、人生の「使命」を与えられたのだと、その時に気づいたそうです。

その後、指点字を使ってコミュニケーションをとりながら、点字で独学で重ね、日本人初の盲ろう者の東京都立大学(現在の首都東京大学)への入学を果たしました。

福島さんが新しいことを成し遂げることによって、同じような困難に苦しむ人たちへとって、新しい「生きる意味」が生まれてくる。さらには、福島さんの前を向く姿、生き様に多くの方が共感して、支援者が増え、さらには福島さんのつくった指点字を始める人が増えることで、「生きる意味」ができたそうです。

福島さんは、こうして困難の中から「生きる意味」を見つけ、自らの「使命」を果たすことで、多くの障がい者の人生をより良くし、「絶望」を「希望」に変える勇気を与えたのです。現在の福島さんはそう信じながら、現在は東京大学で教鞭をとっていらっしゃいます。

そんな福島さんがもう一人、「日本のヘレンケラー」と呼ばれた女性、荒美有紀さんのビデオを見せてくれました。(TBSテレビの報道特集の番組ビデオでした)
荒美有紀さんもまた「盲ろう者」だったそうです。彼女は、大学生時代に脳の病気が原因で、盲ろう者になった女性。
彼女もまた、突然病気でコミュニケーションを失い、絶望のどん底に陥りました。それでも、「盲ろう」という絶望を乗り越えて、福島さんが創り出した「指点字」でコミュニケーションを取りながら、作家として、「日本のヘレンケラー」として、「生きる意味」を見出しました。彼女は指点字を使って「困難でも前を向いて生きる」という「使命」を見出したのです。

手のひらから広がる未来 ヘレン・ケラーになった女子大生

また「☆の王女さまMiyu」 というブログに彼女のメッセージが詰まっています。

彼女もまた、福島さんのように、書くことを通して絶望を乗り越えて、「生きる希望」を社会に伝えてきました。

ブログを読んでいただくととわかると思いますが、彼女は今年3月30日、平成の終わりに、残念ながら他界されたそうです。

私がこの福島さんからの話を聞いた時には、荒さんはもうこの世にはいませんでしたが、彼女もまた、自分のつらい原体験を「ものを書く」ということで「生きるということ」を教えてくれました

そして、困難に陥っても、「前を向かって生きる」大切さを教えてくれました。

自分が「生きるということ」

現在の私は、2012年から、仕事のストレスをきっかけに、7年間のパニック障害(身体表現性障害)になり、最近「双極性障害(そううつ病)」という脳の障害を診断されました。
先程お話しした、盲ろう者のお二人と比べたら大したことのない困難ですが、それでも私にとっては不自由な生活を送らざるを得ない日々の連続に辛い気持ちになることがあります。家族を支えて生計をたてなければならない父親として、この困難は大変辛いな、と思っています。
毎日のように体の震えが来たり、いつもではありませんが、体に異常をきたします。幸い、私はうつ状態の時の症状がパニック症状のような状態になるだけで、気持ちは常に前向きでいられるので、何とか前を向いて「生きて行こう」と思っています。

そして、こういう困難を持つことには、きっと私にも何か生まれてきた「使命」があるのではないか?と、福島さんと同じように信じて毎日を生きています。

人は誰しもが、困難があっても幸せになれる。幸せになるために生まれてきた。
そして、困難や苦しみという「マイナス」があってこそ、どんなに小さなことでも「幸せ」という「プラス」が非常に大きなこととして感じられるようになる。
予防医学者の石川善樹さんがTEDで語っていた言葉を借りると、「人生は難が有るからこそ、有難い人生なんだ」と思っています。


私が、東京藝術大学DOORで「福祉とアート」を学ぶ意味は、こういうことを知ることが必要だということなんだなぁ、と感じた1日でした。
これから学んだことを元に、少しでも社会に伝えてゆける力をつけたいと思うし、障がい者という、社会で悩みを抱えている当事者や家族の方々が、少しでも幸せを感じれるよう、少しでも力になりたいと思います。(もちろん、私も障がい者当事者のひとりとして)

最後に、私はアメリカの流行り言葉「YOLO」という言葉が好きです。
「You Only Live Once(一度きりの人生なんだから)」という意味なのですが、私は一度きりのこの人生を大切に、より良い人生にして生きてゆきたい、と思っています。

たとえ困難に陥っても、困った人を助けられるような人間でありたいし、自分が「生きる意味」を見出して、少しでも自分の「使命」を果たしてゆきたい、みんなが幸せになる社会創りに貢献してゆきたい、と思います。
(言うのはやすし、有言実行が一番大切、Just Do it ! )


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