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標高3000Mからseason2~Vol.5 5つのポイント②

山小屋の雰囲気は好きだし、山からの景色も好きだけど趣味として登ろうとはやっぱり思えない…どちらかというと山嫌い側になってしまうのか??
そんな私からの、だから山を趣味にできます&好きになれます5つのポイント。

◇    ◇    ◇

仕事なら、と来る理由と魅力は何なのだろうか

前回のブログでは仕事じゃなきゃやっぱり来ないなぁと思ってしまうのには理由がある!山を趣味にできません&好きになれませんを考えてみた。を更新した。

しかし、「仕事ならば」辛いを思いしてまで山に登る自分がいる。
そして、山には好きなところも多くある。

山を趣味にできます&好きになれますを考えてみた。


1.1人になれる
→実際に働いていて思うが、同年代の若い方はテント泊が多い。
それはきっと自分の時間を自分のペースで楽しみたくて来ている人もいると思う。
また、ルートや台風直後の山だと登山道に自分しかいないとき、人工物が全く視界に入ってこないとき、自分だけの地球を味わえる。
この時間は堪らない。

『下界(日常生活)だったら絶対に考えられない。山で過ごすというのは、価値観を大きく変えてくれる貴重な経験。』


2.様々な人に出会えて、世界が一気に広がる
→1人になれるのに、なのですよ。
これは山小屋を利用した方が&個人の努力次第。テントでも小屋の人と話したり利用者と話したりもできるし、小屋泊でも1人で閉じこもることもできる。
しかし、小屋には面白い人が多すぎる。
Twitter上でずっと気になっていた人(京都でカバンを作られている職人さん・ホームレス小谷さんに鳥居バックをプレゼントされた方)と結びつけてくださったのも山小屋。ゾウ使いの免許を持っている人達と結びつけてくれたのも山小屋。お医者さんのたまごの方々と結びつけてくれたのも山小屋。九州で学生時代会社やってました、土地持ってましたという方と結びつけてくれたのも山小屋。多分無限に出てくる。
私の場合仕事としてお給料を頂きながらこのような方々と日々お会いできるチャンスを頂いている。

『山小屋って日本の秘密基地なのでは無いだろうか?』


3.価値観、固定観念を変えられる(命を大切にできる)
→この言葉が正しいかはわからない。
例えば、普通の生活で慣れているときに「これでなくてはいけない!」というルーティンだったり拘りを捨てるのはとても困難である。また、変えるきっかけはほぼないと思う。

昨年北海道で地震があった時Twitterでは「やばい」「怖い」「不安」などの言葉が溢れていた。その時北海道にはいなかったし、被害にあった方がいたのは事実。しかし、冷静に何が足りなくて今何が起こっているのか。自分自身にできることは何かを考えられたら呟くよりもできることは多くあったはず。
山では自分たちで発電orソーラー、水も天水(雨水)or沢の水、薪を切って燃やしたり、悪天候が多く食料が底をつき始めたり、林道が閉鎖したり登山道が崩落したり。それに慣れていると、まだいけるという範囲(許容範囲)が広がるし、自分たちに今できることをしっかり考えられる。山で生きる人たちは本当に凄いと思うし、何かあっても最後に生き残るのは彼らだと思う。食料が足りない時に、隣の山小屋が野菜を分けてくれたり、現代を生きる日本人が学べることは多くある。
「不安とか言ってても仕方ないし、できることやるべき」などと言うと多少叩かれたが、余裕無かったら叩いてられないはずだし、気にせず私は震災から数日後に下山のち飛行機を速攻取って乳製品やら食料をお世話になった人に届けた。

「○○が普通」を取っ払うことで選択しも行動範囲も視野もすべてが広がる。
そしてそのきっかけは山だ。

『いつ死ぬかわからないし考えたところでしゃあない。文句より行動。今できることとは?』


4.人生で間違いなく今しか出来ないであろうことを味わえる
→ヤマゴヤでの仕事は接客業が中心であるものの、それだけに留まらず幅広い分野の仕事に触れられる。日常生活に繋がる飲食関係、だと思ったら布団を畳んだり、だと思ったら石垣を作ったり、時にはヘリコプターで出勤したり。生死に関わるような現場に携わったりもする。
間違いなく今しかできないし、ヤマゴヤでしかここまで幅広いことは行わない。
また、「今しか」といった点に視点を置くと毎日表情を変える自然を相手に仕事をする面白味は間違いなくある。高山植物や風景それらのもたらしてくれる出会いも素晴らしいものである。

『時には牙を剥く自然の前では人間は無力でしかないが、その圧倒的な力に感動させられることが多くあるのもまた事実。』


5.自分は何者でどこへ向かっているのか
→自ずと自分と向き合う時間が増え、考えることが多くなる。
せかせかしている世の中で流れに負けず生きるのもいいが、時には身近にある大事なものを見失って進んでしまっていることもある。自分の人生、たまには自分を標準時子午線にすることは必要だと思う。

『ググっても出てこない、自分のレシピ』



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人間とはなにか

深く考えて突き詰めていくと前述したような(タイトルにあるような)宗教チックなものにぶち当たる。
生きている実感がより濃くなり、命を身近に感じる機会が増える。
自分の頭で考えて、行動していく。
辛い思いをして登山する意味はまだまだわからないのかもしれないが、山での生活は間違いなく自分の人生においてプラスに働いているし刺激をもたらしてくれた。

友達を気軽に誘って生死に関わる目には合わせられない。そう書いた前回のブログのあと、死亡事故が起きた。改めて友達なんかと来る場所でも気軽に誘うべきでもないのだろうと思った。

しかし、人生にとっては山に関わるという経験は大きなスパイスだ。

生き方に答えなんてない。
人は死ぬときは死ぬ。
死は避けられるものではない。
だから、後悔しないようにもっと行動して発信して応援される側から、頑張る人を支えることのできる人になっていきたいと思う。



こんなにも多くの深く答えの無い問いについて必死に考えさせてくれて、自分色を出させてくれることこそが山の魅力なのかもしれない。

2019/08/20(火)

カンボジアに学校を建てたり、愛で地球を救ったりはしませんが、貴方を見たことのない世界にちょっとだけ連れていけます。