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あたらしい呼び名で、あたらしい私デビュー。


わたしの勤めている会社では、きっと世間では珍しく「あだ名」文化がある。

2年半前に入社した際にも、部署の自己紹介でも「あだ名」もしくは「ファーストネーム(下の名前)」で名乗られることが多かった。
社内で使用している『slack』というツールも、ニックネームで登録している人も多い。わたしもその一人。


人生において、あだ名と呼べるあだ名をつけてもらった記憶がない。

「あいな」という名前はあだ名をつけにくいのか、「あいちゃん」「あいなっち(時代を感じる)」がギリギリのところ。
基本的には呼び捨てか、ちゃん付けで呼ばれることが多い。

そのため、入社した時に「あだ名ってある?」と聞かれた時に固まってしまった。


入社と同時に、自分の中で決めていたことがある。
それは『人見知り克服』という、 自分にとってはかなり大きめな目標。

いまの会社は、留学前の上司に再会したことをきっかけに紹介してもらえた会社で、転職を考えた時に弱気になった際に言われたことがあった。

自分のことを過小評価しすぎるのは、認めてくれている人に失礼。
あまり縮こまられると、まるで俺の見る目がないみたいでしょ。

こんなにコミュニケーション能力あるのに、本当にもったいないから。


わたしには有り難すぎる言葉でさらに恐縮してしまったけど、素直に受け取らないこと。
そして、その期待をも見て見ぬ振りをするのは違うなぁとその時に感じた。

だから新天地だからこそ、レッテルもなくまっさらでスタートできるから、自分の限界とか自分の可能性を勝手に決めないで「なりたい自分」に少しでも近づきたいと思った。
その結果、いい加減人見知り克服したいなぁ…となった。


そしてこの、「あだ名文化」はその克服したい気持ちの背中を押してくれるような気がした。

「あいな」という名前では自分の中で勝手に、カチコチの自分像ができあがっていた。名字で呼ばれるのも、なんとなく堅苦しい感じがする。

そんな時に思い出したのは一度だけ「あいなっちゃん」と呼んでくれた人がいたこと。

その人は完全にふざけて呼んでいて、その周りの人たちには一切感染せずにその人だけが呼んでくれていたあだ名だった。
だけど、その時一緒にいた人たちとの空間が居心地よくて、その呼ばれ方もすごくスキだった(感染しなかったのが残念なくらいに)

そんなことを思い出して話したら、わたしのあだ名は「なっちゃん」になった。


たかが呼び名だけど、されど呼び名。

「あいな」としては人見知り感は拭えない部分も時折あるけれど、「なっちゃん」として人に接する時はちょっと無敵になった気分だった

あだ名があることで、親近感もわきやすかったのは大きかった。
だけど呼び名を変えることで、違う自分になれたような気がした。
違う自分として新しく自分を構築しようと思ったら、人見知りの自分もどこかに飛んでいった。


それでも時々、顔を出す部分はあるけれど「いまはなっちゃんタイムだから」と自分に言い聞かせて過ごしていると切り替えることができた。

そんな風に時間を過ごすうちに、気付いたら元々の自分と「なっちゃん」が融合して実際のわたしも人見知りが克服できてきている。

まったく違う自分を出せる場所があるって、すごく特別。

学生時代に呼ばれていたあだ名を同窓会で呼ばれると、あっという間に当時にタイムスリップできるのもそのあだ名マジックなんだと思う。

いまの自分に疲れてしまったら、そんな風に自分の切り替えスイッチを見つけるといいのかな。なんて思った出来事。



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