ものごっつい寝起きの悪いことのご報告
夜風見は、ツイ廃である。 ツイ廃であるからには、Twitterを賑わせる話題の大まかな輪郭は把握しているし、如何に不毛であっても三秒くらいで内容を考えてツイートを認める。 しかし、ツイートは140文字の規定内という制約から、およそ論理立った文章を一気に書き上げるには不向きである。そんな点があるからこそ、私は少し長くなりそうな話はnoteに、また作品群の構想や思想骨格についてはブルースカイに投下されている。 ツイ廃であるからには、私はしばしばTwitterを暴動のように賑わせ
もうすぐ、携わってきたひとつの大きなプロジェクトが終わる。至らないなりにも年を跨いで携わり、やっと引き継ぎをして終わると言うとき、ふと気付いたことがある。恐らく、私は多くを履き違えてきたのかもしれないのだということだった。 言葉にしても今更仕方のない、懺悔にも似た話である。 端的に言えば、私がしてきたものの外形を捉えれば演劇であった。演劇ではある。演劇の恩師の言葉も想いながら、ここまで同じノウハウを得ながら共に成長の道を進んだ友のことも想いながら、その延長線上である意味独立
かれこれ、作品を生み続けてそれなりの時間が経ったらしい。実のところ、動画や曲や小説や、と媒体によって選び取る題材や表現趣向は異なっていて、それぞれが自分自身の中にある多様な側面や好みを写し出している。複数分野を跨ぐことで、多面的に自分の好きな表現や思考が出来ていて、まことありがたいというか、「割と混沌と分裂した側面を継ぎ接ぎ合わせたモノを自己と呼ぶのも悪くない」と思っている。 訳あって酒を嗜み始めた昨年の暮れから、今年の今に至るまで、人の奥の方を見据える機会が増えた。そ
私には近頃、心配している人がいる。 丈夫そうに振る舞うし、実際のところ人並みには丈夫ではあるから、それ自体はあながち疑ってはいないのだけれども、そういう人こそ一度挫けた時に泥沼化することもまた知っている。だからこそ、尚更に心配で仕方がない。特に最近は、あまり調子が芳しくないことも分かっている。甚だ心配で仕方がない。 たかだか数年程度ではあるけれど、それでも私と一緒にいち団体を運営してきた右腕のような存在で、だからこそなんとなく情みたいなものが移ってしまったのがなんとなく
睡眠を、とらなければ
幼さ、について次回作品群「i'LL Project」や直近の「夏の追憶と餞」でも踏まえそうなテーマとなってしまったので、ここで夜風見自身の脳内をまとめます。文献資料等々を踏まえない戯れ言チックな代物なので、そこだけご了承ください。言うなれば、考証なきファンタジー世界観みたいなものです。 ここでは多分に「心」「精神性」といった語彙が出ます。これらの言葉は非常に抽象的な意味を数多内包していますが、ここでは飽くまで感情の知覚、表出に際しての傾向という点でのみ定義します。その他、価
先日、ボーマス53にて頒布の記録集『夏の追憶と餞』に同梱された備忘録より、一部を抜粋して。 本作、『夏の追憶と餞』は、令和五年の皐月の頭に制作されていた『追憶、かつて経験したはずの喪失と郷愁について』という作品を全てのベースとして制作されたコンセプトアルバム──記録集である。元より作品集を制作する予定はしばしばとあったのだが、ふとした勢いに身を任せて半ば突貫的に作られたものとなっている。 夏を描く、というよりも、本作においては「追憶」と「餞」の部分に重点を置いたテーマ
無職が終わったので、ネタバレシートに代えて。 今回の曲が何だったのかはこの記事の最後方に記載するとして、ひとまず回顧から始めようと思う。 制作の実効的な日数は僅か二日ちょいだった。というのも、九月の末に新型コロナウイルスによりばったり倒れた病床の上で、時間が出来たぞとばかりに作った曲なのである。当時は意識も朦朧としていたし、なにより若干音の聞こえが変化していた中での制作だったため、完成品のある今でさえ「これは本当に自分が作ったんだっけ」という気分でいる。 歌詞自体は
テトの日だ。めでたい。 本当はこれで筆を置いてしまいたいのだが、せっかくなので少しくらい雑記をしたためておこうと思う。 日頃感じている、集合意識的テトさんという概念について。全て主観由来の駄弁なので、根拠については二の次であることを了承して頂きたい。 前提として、テトさんの文化圏は常々ネット的悪ノリがベースとして広がっている。気がする。 テトさん爆誕の概要はだいたいここで理解できるが、とにもかくにもネット上の掲示板で「新型ボーカロイドに見せかけた釣り」として作
知識の代謝が恐ろしく早い。と、思う。 最近の制作活動につき、ふと気付いたことである。というのも、楽曲制作には幾らかのマイブームや手癖が反映されるのだが、それらはどうしても使い慣れた技術や技法などの「知識」と切り離して考えることはできないのである。即ち、マイブームや手癖で使える手数が減ったり、或いは面白みに欠けたときに、私は知識の代謝が恐ろしく早い。と、思うのである。 知識の代謝、と半ば必須な活動になぞらえて言ったはいいが、これはなかなかに深刻な事態である。腹回りに溜め
物申す。ということは、つくづく敬遠されがちながらも、人間誰しもしたくて堪らないものらしい。 物申す言葉には、往々にして人の心の暗部と言うべきか、淀みと言うべきか、垣間見たとしてもおよそ心地良くはならないエゴが多分に含まれている。鋭い棘があるものから、毒のようにジクジクと気分を害するモノまで様々であろうし、それが例え良薬のようによく効くとしても、しかし口には苦いものであることとは切り離せないのである。 巷には、ボカコレというイベントがあるが、これがまた良くも悪くも大荒れ
執筆と言う作業を幾分か進めて、やっと現在進めているプロジェクトが進んできた。 只今進めているプロジェクトの名前を、旧名では「Illusion of a missing summer」と呼び、日本語訳で行方不明の夏の幻影と呼んだ。 それだとどうもとっつきにくいし、そもそも読みずらいという問題があった為、ここでようやく題名が本決定したのである。 「君は行方不明の幻影になる。」 このプロジェクトの進捗録を、ここに書き溜めていくことにする。 こちらのプロジェクトは、小説、楽曲
日に二つ、多ければ五つのアイデアを身勝手に生成する私の脳であるが、制作速度と気乗りと完成ビジョンの観点から、それらが形になることは殆ど無い。物理的、計画的、精神的不足を乗り越えて初めて作品として着手することになる。 まず精神的不足、即ち気乗りの壁を超えたアイデアのみが次の壁に行けるのだが、日々生まれるアイデアの90%がここで脱落する。倍率十倍の難関である。今までの作品の全てはここを乗り越えてきた。 その後でようやく完成ビジョンの壁へと行き着ける。ここを超えられないが、非
先日、といっても既に数週間経過しているが、『Minasoko no katachi』という曲を出した。その制作経緯について、今更ながら書き記しておこうと思う。 コンセプト そもそもこの楽曲は「#A7CAE8」という一連の作品群に連なっている。ちょっとしたCDを作りたいという構想がベースとなり、波と死をテーマにした作品が数作出る予定だ。上手く行けば頒布したいとも考えている。 元々私の作品においては、しばしば波と死(或いは破壊)のモチーフが出ていたりする。それらをより体系立
作品を制作するにあたって、各々の動機がきっとあると思う。 勿論私もそうなのだが、その動機に置いては特にすっからかんで浅はかなものであると自負している。またそれらが引き起こす形容困難な申し訳なさも含めて、ここに書き置くことにする。 非生産性、時間の浪費 大前提として、私の創作理念は大きく二つに大別される。 ひとつが、人生の創作化......と言えば少々大袈裟かもしれない。目的が創作であって、その他一切は副産物であると考えてもらった方がより平易で明快なニュアン