水底の形、ぶくぶくしてらっしゃる
先日、といっても既に数週間経過しているが、『Minasoko no katachi』という曲を出した。その制作経緯について、今更ながら書き記しておこうと思う。
コンセプト
そもそもこの楽曲は「#A7CAE8」という一連の作品群に連なっている。ちょっとしたCDを作りたいという構想がベースとなり、波と死をテーマにした作品が数作出る予定だ。上手く行けば頒布したいとも考えている。
元々私の作品においては、しばしば波と死(或いは破壊)のモチーフが出ていたりする。それらをより体系立てた一繋がりのものにしようという趣旨のもとで作られたものでもある。
Minasoko no katachi単体のコンセプトは、奇妙な水中世界というその一点である。よって、制作過程においての留意点は三つ。奇妙であり、美しくあり、テトさんの声が可愛いことである。特に三番目は妥協を許さない、コンセプトには殆ど関係は無いが絶対死守すべきラインである。
奇妙
この曲は奇妙で無ければ完成し得ない。それらの要素を組み立てるのは、転調とコード、編曲の占める割合が大きい。
この曲を一聴して不思議な感覚や違和感を呼び起こすのは特にサビ時点の転調だと思う。通常の場合には、転調のキー変更は+1、+2、+3、+7が基本であり、多くの楽曲で転調といえば上記のどれかに当てはまる。この楽曲においては、しかしこのうちのどれにも当てはまることはない。Minasoko no katachiの転調は+5であり、調号上は♭を一つ付加することで雰囲気が暗くなる方面に働く。盛り上がる転調ではなく、空気を一段深く、暗くする方向へ機能するものなのだ。しかし、この曲の転調前には基本的にコードや音程感を持つ音が鳴っていることはほぼなく、飽くまで断片的かつ別個独立したものとして存在する。緩衝地帯とも言える部分がある。
その分、コード進行もまた奇妙と言わざるを得ない部分が無数に存在している。この曲にはクリシェがそこかしこに、目立たないように使われており、偶成和音やパッシングディミニッシュがAメロに相当する場所で散見される。サビでもパッシングオーグメントがあり、全体の響きとしては浮き足だったような地に着かないものが多い。
リズムの面からのアプローチも、分かりづらいが存在している。キックやベースのフレーズ、ピアノに至るまで、できる限り強拍からずらした複雑なリズムを形成してたりする。リズムの構成においては複雑さをベースとしているが、しかしその中に一定の秩序やグループ性を付与するために、効果音が存在している。
例えば、グラスの割れる音は、ほぼ確実に表拍に位置している。可聴性の高く目立つ音は、決して裏拍やシンコペーションには挟まず、比較的大きな区分け(二分、四分、八分)の頭に当てはめることで、リズムによる壊滅を回避している。対して、やや可聴性の低い音や、音の連続性をもつもの(例えば波の音や炭酸水の音など)、その他控えめな音にされている個別の音は、リズムとはまた別にメロディ的なアプローチをしているが、それはまた後述する。
編曲
美しさは常々根幹にあるものだが、その大部分を担うのは編曲に大きく由来する。編曲のうち、特にこの曲においてはフィルター効果と位相、効果音のカウンターメロディを取り上げていきたい。
この曲の初期構想から存在していたのは、フィルター効果による揺らぎを前提とした構成である。声がしばしば揺れたりして、不思議な響きを作る場所には、特にリングモジュレータと呼ばれるものが適用されているし、残響音が波のように大きくなっては消えていくような箇所にはリバーブと呼ばれるフィルター効果を時間経過により掛かり具合を変化させている。その他、時々音をデジタル的に乱すためにステップフィルターと呼ばれるものを適用している。
始めから、不安定さや不明瞭さ、揺らぎを基軸として展開されているものであるため、それらを演出するためにより直接的で直感的に理解できる要素としてフィルター効果を採用している。
ところで、編曲やMixを行うものにとってパン分け(位相)は大変に重要なものであることは前提知識のようなものだと思う。もちろんのこと、この曲にとっても非常に重要な要素であるため、少々触れておきたい。
ボーカルについて、この曲ではメイン歌唱と四部のコーラスに則っている。四声の和声はコードに合わせて変化し、しかしメインボーカルと音程が重複することなく進行する。うち、高音の外声と低音の内声、高音の内声と低音の外声の二つに分け、それぞれを左右に割り振ることでより歌唱部を広げている。ただし、今回の曲はいつもよりも左右の離れ具合を少しばかり狭めている。何故なら、この曲において和声を印象づける最も強力な楽器は、ピアノではないからである。いつもならばストリングスやシンセパッドが最も和声的に響くのだが、今回のピアノはやや分散的で控えめなのだ。故に最も耳につく和声はコーラスと言うことになり、それらを強く位相付けた場合には各声部が分散して和声感を弱めてしまうためにこのような措置が取られている。
他方、この曲の大部分を形成しているのは効果音であり、それらに対しての位相振りは左右のみから聞こえると言う極端なことになっている。左右の音からの翻弄を演じることも第一の目的ではあるのだが、それだけではない理由がある。
効果音は単に乱雑に、かつ無秩序に挿入するだけでは余りにもまとまりがなくなってしまう。そこで、各効果音による音を複数連続して連ねてフレーズ化して擬似的にカウンターメロディ(またはフィルイン)として扱う。それらのフレーズを複数用意した後に、左右交互にそれらを配置することで、各効果音のフレーズをより混同せずに認知できるようになる。二本のギターリフの位相を左右に振り切ることで、どちらのフレーズも知覚しやすくするのと殆ど同じようなもので、特に混同しやすく乱雑になりやすい効果音をよりスッキリと聞かせるためにもこの位相振りや効果音の差し込み場所には一定の理屈の上で行われている。
余談だが、効果音の幾つかは逆再生のものを用いているのだが、その後に通常再生のものを連続させる。或いは通常再生の後で逆再生を連続させるといったフレーズも存在している。寄せては返す、といった「波」の意趣は、左右交互に入れ替わる効果音や、進んでは逆流する効果音のフレーズ、更には連続的なサイン波による変化をもたらすリングモジュレータなどを介して具現化されている。編曲においてのテーマ性の提示は、あらゆる点で試行されているのだ。
歌唱と歌詞
歌詞です。勝手に考察してください。
歌唱についてはいつも通りテトさんにお願いしている。余りにも愚かながら、私は未だにテトさんを単独音源でしか歌わせられないので今回も今回とて単独音によるものである。
今回の歌唱の殆どは囁き音源によるもので、その他エッジボイスなどを混ぜている。また、声に対してのイコライジングはKAIRUI氏の「哥」に影響を受け、声の第三倍音以降を-6db以上削り、代わりに基音に対して4db程度のブーストを行うことでより近さと厚みのある響きに仕上げ、またコーラスとの分離を図っている。ボーカルの含まれる200-1000hzの音域についてバックサウンドとの大きな被りはない上、低音の楽器も多くはないために、基音のブーストでも充分な可聴性を保っている。
これはちょっとした小ネタなのだが、主旋律で数ヶ所ほど微分音へとしゃくり上げており、本来の音程から50cent程度まで高くなるように調整されている。よく耳を澄ますと、若干ずつ響きが濁りを帯びていくのを知覚できるかもしれない。ある種の息苦しさをそれとなく表現しているのだが、余りにも細かすぎるためここで供養しておく。
とりあえず、テトさんは可愛いことだけ理解してもらえば結構である。
終わりに
効果音と歌唱を主軸として展開された『Minasoko no Katachi』だが、実のところ執筆現在制作はされていないカップリング楽曲『Namima no Iro』というものがある。寧ろMinasoko no Katachiの方が構想的には後発なのだが、こちらは数種の構想を揃えた後に導かれるように制作の進んだ楽曲であり、より単純に言い換えるなら手が進むくらいの意欲が持続したものともいえる。
今後何が出るのかもやはり気分次第であるため、次回作は今のところ未定と言わざるを得ない。そろそろ合作がしたい。
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