履き違えたかもしれないこと、選べないこと

もうすぐ、携わってきたひとつの大きなプロジェクトが終わる。至らないなりにも年を跨いで携わり、やっと引き継ぎをして終わると言うとき、ふと気付いたことがある。恐らく、私は多くを履き違えてきたのかもしれないのだということだった。
言葉にしても今更仕方のない、懺悔にも似た話である。

端的に言えば、私がしてきたものの外形を捉えれば演劇であった。演劇ではある。演劇の恩師の言葉も想いながら、ここまで同じノウハウを得ながら共に成長の道を進んだ友のことも想いながら、その延長線上である意味独立して主導してきたプロジェクトであったのだ。
ただ、得てきたノウハウ自体は、実は、かなり多くのものを捨て、削ぎ、妥協せざるを得なかった。恩師から貰った「演劇たるもの」の多くを、敢えて手放して我流を進んでしまったことが今でも悔やまれる。積極的にそうしたかった訳ではないが、結局はこの通り、今でも正しく古巣の流儀を継げるやり方があったのではないかと悔やみ足りぬままになっている。

振り返れば、まるでボタンを初めから掛け違えてしまうように、我流を進んだ理由が全てのズレを生んでしまったのだろう。
演劇は、つまるところ目的のひとつに過ぎなかった。他の理由に対して劣後の関係に立つ、という訳では決してないのだが、しかし演劇を行う地平の中に別の意趣を汲もうとしてしまったのは、他でもない私自身の認知の歪みである。
演劇の中で、私は、何かしらへの治癒を試みてしまったのだ。とりわけ、それは人の抱える生来の「不足感」に向けてのものであった。順を追って、こう思い至った経緯について記そうと思う。

まず、表現の世界において、私が勝手に普遍の原理であると思い込んでいるのだが、そうした世界に身を置く、或いは身を投じようという者のうちかなりの割合で「不足感」を抱えていると見ている。この人生の短い期間、音楽や小説や絵描きの領域に身を置いた丸八年と少し、この僅かばかりの経験則に照らして言えば、この傾向は確かにあるのだと思う。大きな統計などで、有意な結果を知りたいものではあるのだが……。
不足感の由来は数知れない。家庭、環境、生来の特性、地域レベルの問題が潜むこともあるし、如何にも厄介な人間関係が浮き彫りになることも往々にしてある。また、これはひとつ現代病理でもあるだろう。浅学の上で考察するのは余りにも滑稽なことを承知で述べるなら、核家族化による家庭機能(特に愛情にまつわる点)の低下や世代間を跨いだトラウマの継承みたいなものが、今まさに表出した結果ではないかとも考えている。
つまり、生まれながらにして不足感を抱き続けている私たちは、それを満たさんとするために表現の世界へ流れ着くのではなかろうか。そんな仮説の上で、演劇や音楽を初めとしたあらゆる表現に関わってきた。


その実子供みたいな本性が
いつまでも満たされないだけで

余談ではあるが、最近携わらせていただいた合作にて、冒頭のポエトリーにこのような一文を添えた。これは、まさしくそうした仮説の視点が含まれている。幼少期の経験と、それらが後年の生活や性格形成に与える影響は甚大で、そうしたところに由来する満たされなさというものが私たちの今を作っているのではないか。もはや私たちは、そうした満たされなさから目を背けて表現をすることなど出来ないのではないか。私は、ずっとそう信じている。
今でも尚、その問題意識自体は曲がることなく根幹を成しているが、恐らくこのような視座というのは、およそ多くの人々にとっては余分でしかないのかもしれない。

私は、この不足感というものが組織運営に与える影響を考えた。「現代人は打たれ弱い」という言説があるし、これは私自身として根拠はなくとも頷いてしまう部分がある。では何故打たれ弱いのか、その根を辿ったとき、恐らく、不足感という概念が浮かび上がってきて、同時にこれらを逆撫でしようものならすぐにでも瓦解してしまうような人がまこと数多存在しているのではないか、と考えた。特に演劇というのは、価値観や美学のぶつけ合いでさえある。必要とあらば、他人の思慮や感性すらも説き伏せながら却下という選択肢を取らなければならない。総合芸術であるからこそ、携わる以上は数限りなく感性の否定にさらされる環境なのだ。もちろん、それは私自身もそうだ。書き上げた脚本、提示した演出、良いと信じた手法、その全てが誰かしらとの折衝の場に置かれ、大なり小なり否定と変形を為された上で組み込まれる。だが、こうした体制は、不足感を抱える人々とは致命的に相性の悪い性質でさえあるのだ。故に演劇は厳しく、時に人の心を直に蝕みながら、血と汗の上に成り立っていく。舞台とはそういう場所であり、またそういう掟の下に営まれ、適応できない以上は去るほかに無い世界である。表現の世界の中でも、とりわけ舞台にまつわるものは、そんな耐久性と忍耐も問われるシビアさを内包しているものだからこそ、去りゆく人を幾らでも眺めてきた。その反面として、苦難を超えて築き上げた作品の何にも代え難い連帯感と達成感のことも、同じくらい浴びてきたつもりだ。
私は、その演劇の体制を変えてみたくなった。それは先述の演劇のエッセンスたるシビアさへの挑戦でもあったし、同時に代え難い体験そのものを捨て去ることも意味している。恩師から受けた経験、ノウハウ、演劇たるものとしての過去、その大部分を犠牲にして、不足感へのケアと演劇の成立の両方を目指したのだった。

結論として、私はそのどちらもを、それなりでしか成立し得なかった。手酷い失敗でもなく、完全な成功でもなく、双方を程々に成り立たせる程度の出来であったと振り返る。中途半端であった。欲張りすぎた、というのが正直なところだ。
演目の仕上がりと、人のケアは、殆どトレードオフの関係に立っていたと言っても良いだろう。人の調子や適性に目を向ければそちらに練習に充てられるはずのリソースが割かれ、仕上がりを追求すればたちまちにメンバーの精神は摩耗の一途を辿っていく。その中間で調整を図る私自身も決して平穏であったとは言えないが、それも全てこの方向性を信じて真摯に向き合ってくれた人々がいてこそ、曲がりなりにも貫徹することが出来た。そのことだけは、否定しようのない唯一の成果であったのだと信じている。
不足感を見据えた運営に当たり、私が徹底したのは場の空気感の維持、まめな状況の把握、負荷の高いことをしない、という三点だった。内容もシンプルなものだ。携わる人々の意見についての風通しを良くすること、適性や近況を知ること、心身の調子に合わせてスケジュールを変えること、一度の意見交換において多くを語りすぎないこと、何より相手の持ち込んだ意見を何より先に認めること、ただその程度のことだった。確かに手間が多く、効率化を図るにあたっては不利であって、しかも予定通りといかないことも多くあるため、見通し自体は不安定だった。そうまでして、私は、携わる人々のモチベーションの維持と、不足感への手当を優先していたのだった。

こうした取り組みは、飽くまで演劇を作るにあたっての「過程」を重視した話だ。他方、過程で如何に質を鍛え上げるかという点が成果物に出ることはもはやいうまでもなく当然であるし、演劇というのは「結果主義」の世界であるから、過程でどうあれ最良の仕上がりを提供することが求められる。
トレードオフというのは、こういうことなのだ。過程を優先すれば結果は立たないし、逆もまた然りになる。更に言えば、私のように過程のケアを重視するのは、異端以外の何物でもなかった。演劇において、満たされなさや不調と言った個人的なものなどは、もはや個人でどうにかしなければならない。それが自立した人の在り方であるし、まして多数の人の関わるプロジェクトとして個々への便宜をいちいち図ることは非効率極まりない話である。なんら残酷でもおかしいことでもない、至極当たり前に社会を回す構図が、同じように演劇にも適用されているだけの話なのだ。満たされなさ、という部分はたちまち埋没化・透明化して個人で対応すべき問題になり、それに順応できないものが表現の世界に流れ着くのに、その先ですら更に埋没化しては寄る辺を無くしていく。その負の円環を食い止めようとすることは、きっと本当は全く求められてなどいないのである。
向き合うことや柔和な環境が必要な人が居ることと同じくらい、より厳しくとも迅速で効率的な環境を望む人が居る。どちらとも、は選べない。究極なところ、どちらかの派閥が淘汰されるまではトレードオフの狭間を曖昧に揺れるしかない。折衷は至難であることを思えば、その無力感は如何ともし難いので、私に出来ることは精々こんな電子世界の片隅で滔々と心情を処理することしかない。そのことの、なんと情けないことか。

演劇に、ひいては表現の世界に、過程への妥協は全く要らないという前提をぽっかり忘却して、このような半端さを招いたことを、今に心の底から悔やんでいる。引き継ぎを終えてふと覗いたときにはもう、私が徹底してきたことがひとつも無くなっていて、新たな体制になり、キビキビと忙しなく動きながらもじわじわとしびれるような空気が充満した稽古場と化していた。私は、それを全く悪いことだと思わない。世代が変われば手法は変わるし、私もそうして変えてきた側なのだから、それを見守るのが筋である。単に本来的な演劇の場が戻ってきただけなのだが、どうしてだろうか、それをどうにも喜ばしく思えなかった。私の価値観で型に填めようとしているだけの傲慢であること、自身で折り合いを付けることがおよそ正しいことを承知した上で、それでも非効率的な配慮でさえ必要だったんじゃないか、などとしょうもないプライドが心の底で呟いている。その傍らで、これで良いとも頷いている。結局、どちらが正しいかではなくて、どちらに比重を置くかの問いでしかないのだけれど、なんにしたって、私はこんな風に後悔をしていただろう。
人のケアと演劇たるもの、維持と成果、組織運営において求められる交わらない二項の調整について。懺悔は一向に止まないが、この演劇、このプロジェクトを経て、誤った判断の数々をしばらく見つめ直そうと思う。

今、己の価値観の岐路に、私は立つ。

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