星を見る

星を見るのは楽しい。星を見るようになって7年ほどになるが、ひとくちに星を見るといっても本当にたくさんの楽しみ方がある。これをたくさんの人と共有して、みんなが星を見る生活を送るようになってほしいと日々密かに願っているので、まずは自分が星にハマッた最初の体験を思い出してみる。

星に親しみはじめたきっかけは大学入学と同時に天文部に入ったこと。もともと天文学は好きだったけど、それは望遠鏡で撮った星雲や銀河のきれいな写真であったり、宇宙のかなたにある物体としての月や太陽が好きということであって、星座の名前は知ってたけど実際に外で星座を結んだりした経験はほとんどなかった。

新入生として天文部に入って初めて参加した合宿は、8月の長野県小川村で行われた。昼食・夕食担当に割り当てられた日以外は、昼間は部としては基本的になにもしない。寝ていてもいいし、サッカーしたり麻雀したりそのへん散歩したりと、非常にスローな時間が流れる。日が暮れてからが本番だからね。最初の夜が訪れ、幸運なことに晴れ間に恵まれた。合宿には何十人もの参加者がいたが、先述のとおり楽しみ方は様々だ。草原に寝っ転がってぼーっとする者たち、そのまま眠りに落ちては起きを繰り返す者たち、望遠鏡で遥か彼方のかすかな銀河を狙う者たち、星空を背景に風景をカメラに収める者たち、星座早見と交互に空を見上げる者たち、星座の並びも物語も頭に入っていて、周囲にそれを解説してくれる者たち……。そういう集団の間を練り歩きながら、いろいろな星の楽しみを味わった。満足した人たちはそれぞれ部屋に帰って眠る。

あるとき誰かが「あ、すばるが昇ってきた」と言った。導かれるままに東を見ると、白くぼんやりとしたものが視界をかすめる。両目でとらえるとそのしみがいくつかの星に辛うじて分解された。「すばる」、名前は知っていた。青白い星が集まった、図鑑ではおなじみの星団だ。写真ではたいてい星の中心から十字に光の筋が伸びていて、そのきらめきに童心を鷲掴みにされたものだった。しかしそれが本当にこの世に存在し、みずからの両目で見ることができるなんて考えたこともなかった。長野北部の澄みわたる星空のもとでは、一度同定してしまえばもう見失いようがない存在感がある。それを見つけたことがなかったなんて信じられないという気持ちになった。ふとんの中で眠りに落ちるまでの間に意識に入ってくる時計の音みたいに、すばるは確実にそこにあり、意識から出ていかなかった。400光年以上の隔たりがある星々との距離が一気に近づいた瞬間だった。

夏の夜は過ごしやすい。厚めの長袖一枚羽織っておけば一晩耐えられる。夜が更けるにしたがって観測場所から人が減っていくが、そのまま朝を迎える人間が必ず一定数いる。このとき初めて、薄明の空に昇りそして消えてゆくオリオン座を観た。青いリゲルと赤いベテルギウスと、同じコントラストで群青からオレンジ、赤に染まっていく夜明けの空は本当に美しかった。青色リトマス紙に酸性の液体が染み込んでいくさまを思い出した。このときの光景は7年以上経った今でもはっきりと覚えている。

朝になるころにはすばるも結構な高さまで昇っていた。それまでに人の双眼鏡で、望遠鏡で、そして自分の目で何度も見た。豊臣秀吉やらクフ王のピラミッドやらと同じレベルの距離感だった固有名詞が、いつのまにか慣れ親しんだものになった。新しい星座も覚えた。自分のよく知っている世界の地図が天上まで広がった。この感覚がとても嬉しかった。もちろん何も知らない状態で星々を眺めることも楽しい。しかし、少しでも見知った存在がそこにあるということは、思った以上に自分の関心をかき立ててくれる。ある友人の言葉を借りるなら、心の焦点がキュッと合う気がするのだ。

ちょっとずつ星のことを知り、ぼんやりそいつらを眺めてみることは、晴れた日の帰り道のあなたの心を落ち着けてくれるだろう。焦点が合う、というのとは逆に思えるかもしれないが、ぼーっと星を見ている状態というのは、他のことをあれこれ考えないで済むのである意味一番星に集中している。なにも星に限ったことではなくて、雲や草木や花や鳥に通じれば、だいたいどんなときでも外に出るだけでおもしろくなれる。おもしろさのきっかけはそこらじゅうに溢れているけれど、その一つとしては、まずは星がおすすめです。

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