眠れなさとのたうつ無意識

寝付くのが苦手だ。ベッドに横たわり目を閉じても数時間眠れないなんて日もよくある。夕方過ぎてもコーヒーを飲みながら仕事しているせいかもしれないのでカフェイン断ちでもやってみようかと思っているが、実行には移せていない。あまりにも眠るのが下手なものだから、自分は月で生まれた月人間で、太陽が刻む24時間の光のリズムとは別に月が刻む24時間と50分のリズムで生きているのではないかと思うこともある。それなら地球人の周期で規則正しく生きようとすると無理が生じてくるのも無理はない。いや、月生まれというよりは潮汐の影響の大きい渚生まれかもしれない。いずれにしてもカヲル君みたいでちょっとカッコいい。

Netflixの良い睡眠に導いてくれると謳う番組を見てみた。睡眠に関する知識や眠るための呼吸法などを教えてくれるが、それでも眠れない人は1000から逆に数を数えてみましょうと言ってきた。とりあえずやってみたのだが、これがかなり集中力を要する。眠れないときに自分の頭のなかで何が起きているかというと、たいていなんでもないようなことを連想ゲームでぼんやり考え続けているわけだが、それらを押しやってひたすら999,998……と数を減らしていくわけだ。考えてみればそっちのほうがよっぽど狂気じみている。ふと気がつくとまたよしなしごとが頭をめぐっている。押しとどめても留まることをしらない無意識の奔流が色のない数列を押し流していく。そんな映像が流れると同時にどこまで数えたか忘れてしまう。

それほどまでに「何も考えない」ということは難しい。時計、心音、手や舌の現在位置が気になりだす。流行りのマインドフルネスを試したこともあるが、ゆっくり呼吸しながら鏡のような水面などをイメージしていてもどうしてもそこへ高飛び込みしてくるおっさんなどを描き加えて台無しにしてしまう。「無」はマインドフルネスが目指す「いま、ここ」への集中というののさらに上位にある概念な気がする。どうせ眠れないなら無意識に乗っかってどこまでいけるか試してるほうが面白いのでよくそうするのだけど、たいてい朝には思いついたことも忘れている。眠りに落ちる直前の自分がなにを見ているか、気になって仕方ないのだが、それが見えた瞬間眠りへの扉がまた遠ざかるわけで、定義からして見ることができない景色なわけだ。頭にたくさん電極をつけてもらえば保存しておくこともいずれはできるようになるのだろうか。おやすみなさい。

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