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芸人を目指してた母の話

御機嫌よう。カプセルホテルマニアだ!

最近、寒いですね。風邪をひかないように気をつけよう!といかにも定型文の始まり方で始まってしまったが、今日は、「岡山の電波塔 僕とおかんと時々おとん」というテーマでnoteしていこうと思う。

は?

私のおかんは、今年で43歳
割と美人で松嶋菜々子にちょこっと似てる。
我ながら自慢の母である。

そして、母が目指していた職業が

女芸人である!!


母は、高校生の頃
吉本天然素材という漫才コントダンスユニットの
追っかけだったらしい。

吉本天然素材とは、雨上がり決死隊・ナインティナイン・FUJIWARA・バッファロー吾郎・チュパチャップス・へびいちご(敬称略)をメンバーとする
当時の吉本の若手のトップオブザトップだ。

YouTubeなどで、吉本天然素材の動画を見るが、
「お母さん、これが好きだったんだね」と顔を赤らめてしまう。
しかし当時は、すごい人気だったらしい。

母は、バイト禁止の高校にも関わらず、
週3のバイトをキメ、
大阪に足繁く通い、
岡村さんやフジモンさんに名前を覚えられていただけではなく、今日も来てくれてありがとう等の有難いお言葉も頂いていたそう。
また、サインも複数枚持ち
生写真もたくさん持っていたのに
私の祖母である、実の母に全て可燃ごみとして
焼却されたらしい。可哀相に、、、
岡山という辺地に住みながら、TO(トップオタク)として君臨していたのが母の高校時代だ。

また、母はお笑いを見るだけにとどまらず
ついにやりだす。完全なる黒歴史である。
同級生と漫才コンビを組んだらしく、
コンビ名は、オセロだったか将棋だったかチェスだったか忘れたけど、なんかのボードゲームの名前を取っていたのは覚えている。

母は「高校生のとき、漫才大会に出てそこそこのとこまで行った」とよく自慢してくる。
しかし、ハイスクール漫才もM-1甲子園も無かった時代なので、いささかの疑問は残しつつ
私はこの言葉を信じている。

そのアマチュア芸人のプライド?かなんだか知らないが、全然笑わない。テレビを見ても全然笑わない。
怖い。そのアマチュア芸人のプライド怖い。

私が大学生になって、バイトをし始めてようやく自分のお金で大阪に行けるようになった時、母も誘った。新幹線代からチケット代から全て私が支払いプチ親孝行をさせてもらった。
私からしてみれば、初めてのなんばグランド花月
めだか師匠の着ぐるみ、師匠方の名前が入った入口、
うわー新喜劇で見るところだーと舞い上がってたのに
母はネタ中全然笑わない。ビクともしない。怖!
「なんで笑わないの?」と聞くと
「なるほどなーと思う」と言われた。
私は、アマチュア芸人魂をなめてたようだ。

親戚のおばちゃんが
「NSC行かしてあげたらよかったのにー」と
祖母に言ってたのを小耳に挟んだことがある。
もし、母がNSCに入って 心斎橋筋2丁目劇場のオーディションを勝ち抜いて
女芸人としては美人な方だから関西のテレビ番組のレギュラーを何本か持って、
関西のキー局のプロデューサーかディレクターか
放送作家か知らんけど、そんな感じの人と結婚していたら私は生まれてなかっただろうなと思う。

その後、母がどのように夢を諦めたのかは知らない。
し、聞けない。
吉本天然素材が解散したのは、私が生まれた年である。

産んでくれてありがとう。
そして、誕生日おめでとう。

(母の誕生日は、8/3です)

#お母さん #母 #ママ #夢 #NSC #女芸人 #芸人

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