"27"という楽曲と今後の展開

27という楽曲は音楽の専門学校卒業間際に作った楽曲。自分自身がロックに多大なる影響を受けた事もあって、作曲を学び始めた当時はバンドサウンドに溢れた曲が手元に多かった。でも作れば作るほど自分にはロックを作る才能の無さにショックを受け、周りには自分よりもロックのもっと深いところを理解した上で作曲ができる天才がいて、ロックを作ることに抵抗を感じるようになってきた。

その時にたまたま見つけたのが”27クラブ”というワード。ジミヘン、カート・コバーンといった27才でこの世を去ったレジェンドミュージシャン達の総称。過去の自分を振り返った時に「俺はこのレジェンド並みにズバ抜けたモノを作り出せてないない。だから俺も必然的に27クラブには入れていない」と確信した。

そこだけ聞けばネガティブな話で終わりなのだが、それとは別に同時期に影響を与えてくれた人たちがいる。それがポーター・ロビンソン、ZEDDをはじめとしたEDM界の天才たち。特にポーター・ロビンソンの楽曲は王道なEDMとは一味違い、リスナーの心に訴えかけてくる叙情的なストーリー性を兼ね備えており、そこに物凄く感動した。加えて2021年にYouTubeで配信された彼のオンラインライブも、ステージ上たった1人で自身の世界観を表現する可能性を見出してくれたことに感動した。100回は見たかもしれない。https://youtu.be/THjekE5p2aw

そういった背景が重なったことで、「EDMモノを作ってみたい。ロック以外の手法で自身の思いを表現したい」という気持ちになり、そこが起点となって27という楽曲が制作された。今思えば、27クラブをも超越する何かを作り出したかったんだろう。それを鼓舞するかのように、自分にも当てはまるメッセージ性のある歌詞になった。

デモに近い形が完成された2022年2月。年内には世に出そうとした自分に待ち構えていたのは音楽活動と日常生活の両立の難しさ。家賃等の生活費を払うために、先行投資していたモノを返済するために、専門学校を卒業してからはとにかくバイトの日々。肉体労働の連続。「帰って早く寝ないと翌日のバイトに間に合わない」なんてことが多かった。加えて言えば初めて作るジャンルというのもあって、どこがゴールなのかを深く理解せずに作っていた為、そういったことが数ヶ月も続くと流石にメンタルがやられる。DAWソフトを開くどころかPCの電源をつけることも億劫になってしまい、気づけば本当にただのフリーター。

本当に危機感を感じたのが、自分の家族が不幸ごとにあった夢を見た時。目覚めた瞬間そこまでメンタルがやられていたことにショックを隠しきれなかった。アーティストとして成功するまで実家に帰らないと決めていたのだが、何かあってからでは遅いと思い、急遽家族に帰省の相談した。

実家はいわゆる田舎。今住んでる東京とは反対でほぼ何もない。それが嫌になって上京したはずなのに、今の自分にとってその情報量のなさがとても心地よかった。帰ってからは家族に無事学校を卒業させてくれたことへの感謝を告げたり、信頼できる友人と会ったり、とにかく地元の景色を眺めていたり、できる限りやれることをやった。「帰省中に起きたことは絶対忘れてはいけない」そう思っていた部分もあり、一眼レフを持って地元の景色の撮影もしていた。それがのちに27のMVとなる。https://youtu.be/aYvLes0I0cE

心のマイナス部分を取り除き、東京に帰ってからはまた27と向き合う日々だった。その頃からバイトの仕方を改善したこともあって、気持ちにも余裕が生まれてきた。パズルのピースを少しずつ、少しずつ埋めていき、2023年3月に27が完成した。

自分がこの楽曲を通じて学んだことは、80点の自分を許してあげることの大事さ。「世の中に出すからには今の自分が納得したモノを出さないといけない」そういう義務感を持ってるつもりで、今回の曲もそのスタンスの上で作ってきた。今もそのスタンスは変わらない。ただ今回の曲みたいに時間をかけて作ろうとすると、メンタルがやられた時に何も出来なくなり完璧を目指すどころではなくなることを経験したことから、長く音楽をやり続けるためにも80点クオリティだと思う自分を許してあげようと考えられるようになった。残りの20点、更に20点、30点の加算は将来の自分に託せば良い。だからたまには自分を許してあげよう。今回の曲は、その”たまに”のタイミングだったのかもしれない。


結果的に楽曲がどのようにして構成されたか、ざっくり書くと以下の通り。

・ボーカル
再録してみたものの、勢いというかニュアンスみたいなモノがデモ当時のテイクがしっくり来たため、そちらを採用。一番やりたかったことが、コール&レスポンスのようなコーラス(ラストのオーオーオーの部分)を音源上で再現し躍動感・多幸感を演出することである。そのためには自分以外の声で歌ってもらう必要があると思い、繋がりのある音楽仲間数名の方に歌って頂いた(本当にご協力有難うございました)。デカいキャパでライブやれるようになった将来、また同じ企画がやる時のことを見据えて、録音環境は何でも良いということにした。PCのマイクで録音して下さった方もいて中々面白い試みになったかと思う。ボーカルチョップも初めての試み。

・ギター
部分部分でFXに近いギターを入れつつ、唯一のギターらしい演奏と言えば最後のソロだろう。別の友達に「このギターソロはあくまでギタリストのエゴになってくる。無くした方が良いんじゃないか」という提案を受けた。確かにそうだ。曲そのもののバランスを考えた時にギターソロは入れる必要はなかったかもしれない。だけど自分はその提案を破った。この曲と向き合っていく中で、自分の中に残ってる(古臭い言い方だが)ロック魂とどれだけ調和できるかという課題を見つけ、その結果がコレだった。どこまでいっても自分の根底からはロックは外れないし、やっぱり俺はロックが好きだったんだ。

・ベース
こういったジャンルなのでSuper Lowをかなり意識(人によってはウザく聞こえてしまうかもしれない)。これは将来ライブをやるに置いて考えていた事だが、観客の内側から震わせたいという思惑があった。内側から震わせて没入感を生ませたい、そういった目標が今回の曲でも表れたんだなと、今思えば。

・キーボード
初めて作るジャンル感が故にとにかく音色の手探り。トライ&エラーの繰り返し。シンセのプラグインを立ち上げまくりでDAWソフトがスムーズに動かず、終いには強制終了。制作が遅れる原因の一つになってしまっていた。最終的に用意された音色は30以上。リフを担うPluck系。星、宇宙を表現するPads系(中には歪みをかけたストリングスシンセも)。疾走感を演出するためのアルペジオ等々、今回の曲の大部分を担う楽器が故に一番苦労した記憶がある。いつかは卒業したいプリセットのみの引用。

・ドラム
Splice最強。その一言に尽きる。何か挙げるとしたら、1サビは雰囲気的に迷いや絶望感を演出する意味合いもあって、スネアとキックをあえて濁らせたモノにした。あとは前向きになりつつある気持ちを表現するためにLRそれぞれ違うビートをStylusから引用して置いたりもした。

・FX
Splice最強。その一言に尽き、らせないようココでは遊び心が働いた。同じ類の音でも2〜3種類用意したり、ピストルの射撃音をリバースさせてみたり、ピッチを変えたボーカルのブレスを置いてみたりと、ここでも試行錯誤を繰り返していた。何事にも当てはまるが、“ある程度のセオリーを理解しつつどれだけセオリーから反してオリジティを生み出せるか”、それが今の自分の課題である。

・反省
今回の挑戦の一つとして、ミックスまで自分の力で施すというのがあった。ミックスに強くなりたかったから敢えて外注しなかった。基礎を見直して挑んだものの、ミックスは何が正解だったのか未だに分かってない部分が多い。曲を配信してからミックスに関するご指摘がいくつかあった。もう少しミックスの練習・実践が必要だと実感。

更に言えば、実はマスタリングは時間の都合上実施することが出来なかった。他の楽曲と聴き比べた時に、音圧が足りないのが一目瞭然だった。正直マスタリングには深い関心を持てていなかったのだが、マスタリングをしないと世間の曲と同じ土俵に立てないと今回のゼロカラコンピを通したサブスク配信で痛感した。ふふ、新しい課題が出てきてワクワクすっぞ。https://linkco.re/sfdZtSSh

以上が、27の制作背景である。

今後の展開について

次の新曲をいつどのタイミングで発表するかはまだ決まってない(ハッキリ言って十分なストックがない)。それ以前に、長く音楽をやっていくための環境を整える事に時間を費やしたい。音楽に関する新しいクリエイティブ活動、バイトの変更、行く末は引越しなんてことも。その中で自分のメンタルと相談しつつ、世に出すかどうかは別として曲も作っていきたい。

忘れてはいけないのが、武道館でのライブという目標。やることが沢山ある。だから落ち込んでるヒマもないし、ヘイトに目を向けてる時間もない。いつかは自分の人生も終焉を迎える。そこから逆算してやれるだけのことをやる。今はそれを全うするだけ。

そうしながらも、自分だけの人生をありったけ楽しんでいきたい。


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