葵祭2024

画像1 「斎王代」(斎王の代理)、葵祭のヒロイン。斎王とは天皇に代わって賀茂社のお仕えする未婚の皇女。 葵祭「路頭の儀」では、祭りの主役/勅使の近衛使代の本列と、斎王代を中心とする斎王代列で構成されており、王朝装束をまとった511名の人々と、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1丁、などの大行列が長さ1kmにわたって巡行します。
画像2 斎王代列。 葵祭は正式名称を「賀茂祭」と言い、下賀茂神社と上賀茂神社の例祭です。 起源は1500年前にさかのぼる平安京が開かれる200年前の欽明天皇の御代(539~579)、全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行したため天皇が卜部伊吉若日子に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日(現代では5月)を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭を被り、駆競して、盛大に祭りを行ったことが起源と伝わります。
画像3 斎王代列。 その後平安時代の大同2年(807)には国家安寧を祈る勅祭となり、平安時代の国風文化の影響もあり貴族の優雅な祭りとなりました。 「源氏物語」「枕草子」など古典にも葵祭のエピソードが記され、当時は、単に「まつり」と言えば「葵祭」のことを指すほど隆盛を極めました。
画像4 「乗尻」、賀茂競馬の騎手。 賀茂祭が「葵祭」の呼ばれるようになったのは、江戸時代以降で、社殿、御所車、衣服や冠、牛馬など、あらゆるところに葵の葉を飾ったことが由来となっています (京都観光協会パンフレット「葵祭」などより抜粋)
画像5 「検非違使 志」、検非違使庁の役人で行列警護のまとめ役。「
画像6 「御馬」、社頭の儀で神様にご覧頂く馬、走馬(そうめ)とも呼ばれる。
画像7 「牛車」、勅使用の牛車で御所車と呼ばれる。
画像8 牛車の中でも最大級の杏葉車(ぎょうようくるま白丁が手助けし牛車を動かす。
画像9 「風流傘」、第3列と第4列に登場する花傘。
画像10 「近衛使代(勅使)」、社頭の儀では天皇から託された御祭文と御幣物を奉げる役を担う勅使。行列の中で最も位が高く路頭の儀の主役的な存在。
画像11 「陪従」、近衛府の武官。近衛使に付き従うので「陪従」と呼ばれる。社頭の儀では歌や雅楽を担当する7人の1人。
画像12 「内蔵使」、内蔵寮の次官、天皇からお預かりした御祭文を管理。
画像13 雑色。
画像14 「命婦」、後宮の一つ内侍司の職員、花傘の下を歩く。
画像15 「童女」、行儀見習いのため宮中の奉仕した「めのわらわめ」とも呼ばれる少女。
画像16 「童女」。
画像17 平安時代、嵯峨天皇の娘の有智子内親王を初代斎王として賀茂社に遣わせたことに始まる。しかし、斎王の制度は400年続いた後、鎌倉時代の初期に途絶える。
画像18 昭和36年(1956)女人列の復興と共に、斎王代(斎王の代理)が選ばれるようになった。
画像19 「騎女」、斎王に仕える6人の巫女。
画像20 「騎女」。
画像21 「騎女」。、
画像22 「女別当」、斎院司の女官で内侍以下を監督する役。花傘の下を歩く。
画像23 「采女」、神事を司る女官。
画像24 「蔵人所陪従」、蔵人所の役人で雅楽の演奏を担当。
画像25 傘・傘籠。
画像26 替牛。
画像27 京都府警 平安騎馬隊。

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