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今さら、ナイツ漫才がおもしろい。

先日、お笑い芸人ナイツさんの漫才を、劇場で見る機会がありまして。

正直、しょーーーじき言うと、少し前に流行っていたいわゆる「ヤホー漫才」は、好きではなかった....。から、そんなに期待せずに見始めてしまったんですが。

感動的なものに出会ったとき感じる、高揚感、胸の高鳴り、心拍数の上昇。

次のことばを、展開を、はやる気持ちで待ってしまう....危ない中毒性を感じてしまったんです。

当日やっていたのはヤホー漫才ではなくて、塙さんがねづっちさんのネタをパクってボケる。みたいな←語彙力(いや、ヤホーのもやってたかも....後半のそのインパクトが強くて忘れたのかも...思い出せない。笑)

でも後半、と言いつつも、完全に前半で心掴まれてたとは思う。

序盤では時事ネタ、リアルタイムのニュースを盛り込んだりしてて「ここでしか聞けない感」がすごい、と思いながらそこからわくわくして見ていたことが印象深い。

何がすごいって、リアルタイムって言っても「今話題の...」ってレベルじゃない。

「ほんの1時間前に」世間に報じられたニュース。1時間前だとお客さんは別の芸人さんのネタ鑑賞中で。

100%、誰も知らない。

だからこそ「ネタを直前まで考えてる」ことに対しての尊敬とライブ感、「そう思わせる」特別感がある。ナイツ漫才を直接見る時間への「レア度」が一瞬であがる。

自分自身も思いがけず、感動した時間になった。(ごめんなさい)

それこそ学生のころから今まで、こういう「人が作り出すなんぞや(芸術というよりは特に小説とか落語とか、ことばを紡いでうみだすもの)」に自分が感動する時は、色々調べた結果、何かしらのロジックが潜んでいることが多かった。
...いや、潜んでいることが多い、というよりも、インスピレーション云々ではなく、作り手が意図してそれ(感動とか、面白さとか)を作り出しているという明確な根拠を、いろいろ調べたうえに発見できる結末を迎えることが多い、という感じかな。

はじめは、世の中の感動はほとんど、生まれつきセンスとインスピレーションを持った人間が、ほんのエッセンス程度の努力で生み出すものと思っていた。だから、...だから?こんなロジックや再現性にまつわる話を聞かされるたびに何故かどきどきして余計に中毒性を感じてしまうという(変態)

思い込んでたのと真逆なんですよね。感動の生み出し方。

そして今回もやはり例に漏れず....ひとしきりナイツさんの動画や記事を見あさった末、ねづっちさんとバチバチの話とか、ネタの新しさとか、添削とか、テレビと舞台について、寄席芸人というものの考え方、なんや本も出してる!とか!いろいろ知って。(本は今年、去年出たもの12月のうちに読んでみようと思ふ)

「ロジック×それにかける熱い想い」がびんびんと。こだわるから熱い。熱いが故にロジカル。ロジカル故に継続する。そして新しい。良き.....(変態)

となりました。

そんなこんなでなんやかんやの情報を得てたどり着いた記事が

↑これ!

やっぱみんな同じこと考えるねんな。笑 再現性があるって素敵!

おわり。(ぶつぎり)

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