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人間は認識したい事実しか見えていない

 お疲れ様です。皆さんは集中できる場所を考えたことがあるでしょうか。もしかしたら、図書館や受験生の人なら自習室や空き教室を思い浮かべるかもしれませんね。今回は、集中できる空間とは何かについて考えたことを書きたいと思います。
 自分の少ない経験からは、その場所は何色なのかが、集中できるか否かを決めていると思っています。ここでいう色は物理的な色でなく、比喩なのですが、つまり、その空間にどのような意味づけがなされているかを表しています。例えば、自分の部屋で集中できない人がいるとすれば、おそらくその人は以前にゲームかアニメを観たりして、勉強よりも楽しいものがあるとその部屋では認識しているのでしょう。一方で、その人にとって図書館は、勉強以外に何かをした経験はなく、勉強一色で塗られた空間なので、抵抗なく勉強に集中できるのでしょう。
 ここで一つ言言いたいことは、仮に自分の部屋が勉強以外で塗られた空間であったとしても、わざわざ図書館に行かずとも、無色な空間はもっとあるのでは、と思います。例えば、部屋をすぐ出た廊下で何かをすることは滅多にないと思うので、少なくとも廊下は無色な空間だと思います。ここで、勉強道具を広げてみれば、意外に集中できて、”家”では勉強できないのではなく”自分の部屋”でできないのだと、気づくと思うのです。要するに、空間の区切りを捉え直せば、思っても見なかった世界が身近にあるのだろう、ということです。ここでは廊下を挙げましたが、全ては自分の認識次第ということで、空間の切り方を変えれば、自分の部屋の場所によっては無色な空間を発見できるかもしれませんね。
 皆さんはどう思いますか?感想コメントを書いてくれるとありがたいです。

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