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気にしすぎアラサーが行く、90分だけの旅と世界一周527日間の旅で「世界を取り込む」までの話

527日間の旅の始まり

 2017年9月末、5年半勤めた会社を辞めた。理由はとてもシンプルで、僕は辞める時上司にこう言った、「海外旅行したいんです。できれば長期間」。そのあと上司からは色々質問があったが、最後には「そうか、お前が羨ましいよ」と言って退職までの調整を進めてくれた。

 僕の送別会の日、今までのお礼に部署の人に一冊ずつ、それぞれの人に合った本を選んで購入し、プレゼントした。散々お世話になったその上司には「『青春18きっぷ』ポスター紀行」という本をプレゼントした。乗り物が好きだった上司に、忙しい中でも素敵な景色を見に行って欲しい、という願いを込めて。上司はとても喜んでくれた。

 そして翌月、僕は42ヶ国を巡る527日間の世界一周一人旅に出発した。

僅か90分の旅が作ったきっかけ

 大学生の頃から日本各地に旅を始め、社会人になってバイクを買ってからは、休みの度にまた違う景色を見に行った。思えば結構旅は好きだったと思う。でも不思議なことに「海外に旅をしに行く」という発想は無かった。本当に微塵も無かった。恐らく無意識の中でそういうのは自分とは縁のない別世界の話だと決めつけ、自分の世界から切り離していたのだと思う。

 でも仕事で行った上海が転機となった。仕事で遅くまで飲んで、朝の3時にホテルに戻った。4時間後の朝7時には日本に帰る為、会社の先輩と空港に向かう段取りだった。でもふと、折角上海に来たのに仕事だけして帰るなんてもったいないな、と思った僕はすぐに上海について調べ、豫園(よえん)という場所に行く事にした。起床は朝の5時半。2時間の睡眠。

 朝5時半、眠りの最深部にいる時、けたたましくアラームがなった。数秒のちにアラームが鳴った理由を思い出し、水で顔を洗った勢いでまだ薄暗い上海の街に出た。

 スクリーンショットした地下鉄の路線図だけを頼りに地下鉄の駅に向かう。活動前の街は静かで怖かったが、その怖さと極度の寝不足のせいか、頭は高揚していた。

 たどたどしく地下鉄の切符を買い、手荷物検査をし、地下鉄に乗り、硬い座席に座って早起きの上海市民を眺めた。途中の駅で降り、上海の中心とも言える上海タワーや立ち並ぶ高層ビル群を眺め、豫園の最寄り駅に向かった。

 豫園周辺は静かそのものだったが、その静かさと反比例するように、立ち並ぶ建物は中国のイメージそのままの豪華絢爛なものだった。ゴミを清掃する人、バドミントンをする女性達、太極拳をしている老人達などを眺めながら入り口に向かった。しかし目的地の豫園は閉まっていた。考えればまだ朝の6時過ぎなのだから、普通に考えれば開いていないのだが、何故かそんな事は全然考えていなかった。そして時間はすでに6時半近く。残念だが飛行機に乗るため帰らなければならなかった。

 こうして初めての海外一人旅は僅か90分で終わる事になった。今考えれば出張中に単独で業務外の行動をする事は決して褒められたものではないと思うが、ロビーで待ち合わせた先輩にこの90分の旅の話をすると楽しそうに聞いてくれた。

 そして間違いなくこの90分が、後の大きな決断のきっかけとなった。

強烈な焦りと嫉妬の中、出発

 上海から帰ってからの行動は早かった。90分の旅で見た人や景色に魅せられた僕は、あらゆる旅に関する書籍を読み漁り、世界一周経験者にたくさん話を聞いた。元々バックパッカーの旅人や登山家のエッセイやドキュメンタリーが好きでよく見ていたが、自分ごととして想像するそれらの世界は今まで以上に具体的な光景として迫ってきて興奮した。久しぶりの「わくわく」という感情があった。その中で実際に「世界一周に行く」という決断をするのに、帰国から2週間とかからなかった。

 しかし、情報を手に入れるその中で、既に海外に飛び出しているたくさんの若者や学生の存在を知って強烈な焦りと嫉妬心が生まれた。その時僕は28歳になろうとしていたが、情報で得る旅人の若さに「自分は遅すぎる」、そう感じていたのだ。僕は昔から年齢に囚われがちで、この年齢ではこうあるべき、これはこの年齢でやるべき、という通説を真に受けて、自分が達していない事を嘆いては落ち込んだりしていた。

 しかしその考えを振りはらい、決断の勢いそのままに、出発までのスケジュールを立て、予行練習のつもりでカンボジアに一人で行った。そして冒頭のように退職を経て、2017年10月、世界一周への出発の日を迎えた。


旅人になったと実感した日

 527日間の海外一人旅は想像を超えて刺激的な日々だった。規格外にダイナミックな自然や、とてつもない歴史を持つ建物、まるで理解しがたい文化を持つが本当に面白く多様な人々。見るもの出会う人全てが、自分が今まで見たこともないものだった。この世界を見ずに人生を終えなくて良かったと思った。

 一方で苦しみも多かった。ネパールのヒマラヤではたった一人標高5,000mの山中で高山病に苦しみ、バングラデシュでは3日3晩原因不明の高熱にうなされた。トルコでは軟禁状態で大金をぼったくられ、アフリカでは膿んだ足の傷が治らず1ヶ月間足を引きずって歩いた。

 そんな中、想像もしなかったものが一番自分を苦しめた。それは旅も後半に差し掛かろうかという時にやってきた、「慣れ」と「飽き」だった。

 全く新しい世界に踏み込む時はいつだって緊張するものだ。少なくとも僕は。初めての登校、初めての運転、初めてのデート、初めてのおしゃれな店だってそうだ。でもどんな世界もいつまでも新鮮な訳ではない。当初の高ぶるような感情は徐々に失われる。その原因は「慣れ」であったり「飽き」であったりする。

 でもまさかそれが世界一周旅行で起こるとは思わなかった。海外という完全に新しい世界を常に移動して回るのに、「慣れ」と「飽き」は無縁のものだと思っていた。

 その感情が自分を覆ってしばらくは戸惑った。なぜ自分は旅をしているのか、何か崇高な意味が必要な気がして焦りが生まれ、旅する意味を必死に言語化しようとした。でもしばらくしてもう一度考えた時、フッと悩みの霧を晴らす「慣れ」と「飽き」が意味するものについての考えが浮かんだ。

 「慣れ」と「飽き」が意味するもの、それは少々大げさではあるが、「世界を自分の中に取り込んだ」という事だ。自分の故郷を歩くのにいちいち緊張などしないだろう。馴染みの店に入るのに躊躇などないだろう。その感覚が世界に対しても同様に起こったと考えられるのだ。 

 初めて「世界を自分の中に取り込んだ」という奇妙な感覚を感じるようになったその時、自分は旅人になったと思う。

 もう自分は世界のどこへだって行ける、と。

自分の言葉にする事の大切さ

 日本にいた時から聞いていた言葉がある。「年齢・常識に囚われるな」、という言葉。好奇心を失えば10代でも老人なのだと。海外では60歳を過ぎても大学で学ぶ人がたくさんいるのだと。まさに年齢に囚われ、人生や旅に臆していた自分への慰めに、何度も何度も見聞きしたと思う。

 そんな中、僕は海外で日本にいては一生出会わない国内外の旅人・人間の生き方の多様さに触れる事ができた。僕が信じていた年齢の通説など、小さな国の誰が撒いたかも分からない程度のものに過ぎないのだと。

 言葉で聞く事と、実際に感じた事には大きな距離があると感じた。言葉で聞くだけでなく、実際に見て感じるまでいって初めて、言葉は自分のものになる。

 散々旅をしてきて実際に感じた今なら言える。早いも遅いもない、気づいた時が行く時なのだと、実行する時なのだと。動かなければ何も始まらないのだと。そしてそれは旅に限った事ではない。

 これを自分の言葉として言える事が、旅の中得た最も大きなものだと思う。

 思えば昔の人は僕のこの長々とした問答への解答を極めて端的にまとめていた。

「百聞は一見に如かず」と。

 たった9文字。漢語なら6文字だ。真理はいつだってシンプルなのかもしれない。大分遠回りしたが気付けて良かった。

やりたい事をやろう

 貯金を全て使い切り、旅に1mmの後悔も残さず帰国した後、自分の旅を振り返りがてら自分の考えや体験をまとめる作業に入った。

 そして今後どうして行こうかと考えた時、今まで囚われていた事を自分から切り離し、やりたい事をやろう、という至極単純な行動軸ができた。

 帰国時点では何も浮かんでいなかったやりたい事もすぐに浮かんできた。シンプルな行動軸を作る事でこんなにも人生は軽やかに動き出すものかと、目から鱗が落ちる思いだ。

 とはいえ、失ったものがあるのは事実だ。この1年5ヶ月で確実に自分は年齢を重ねたし、世間的な話をすると職歴というものに大きな空白ができた。

 ただそれをもう嘆く事はない。失ったものに見合っただけのものを手に入れた自信に揺るぎはない。やりたい事をやる、今はそれだけ考えまた次の旅を進めていこうと思う。

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