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正しさを追い求めた結果、社員はゾンビ化する。 #どう変わる正社員

「#どう変わる正社員」というお題でたくさんの意見投稿されていたので、どんなものだろうといくつかを読んだ。「正社員は普遍である」という論調もあれば、「失われた30年を経て、大きく変化した」「大変革目前にある」という声もある。更にコロナウイルスによる働き方の強制的シフトチェンジによる影響もあって、生々しく読んでいておもしろい。文明開化直前の武士の要・不要もこんな感じだったのかもしれない。


僕は日本の正社員をめぐる労働市場において大きな問題は「一括採用」にあると睨んでいる。世界は絶え間なく激変し、誰もが100年近くを生きてしまう時代において、20歳そこらにして人生の方向性を一発勝負で決めるゲームルールを果たして誰が喜ぶのだろう。誰が得するのであろう。更には大きな勝負をくぐり抜けて正社員になったらなったで、手放すことは簡単じゃない。そうこうしている間に、いつまでも会社にしがみつこうとする人たちは量産される一方だ。

たしかに、「正社員」になることが、さも人生の「正しい」選択肢として扱われた時代はあった。正解があり右肩に伸びていくような時代の統治術として一括採用は機能していた。ただ時代が変わっても、未だに多くの企業はその空気から抜け出ることなく、学生の凸凹とした個性を見出すよりも、さも正解を振る舞うツルツルになった学生たちの採用を繰り返し続けている。そんな正しさを求めて育ったグループに対して「イノベーションを生みだそう」と号令をかけてイノベーション待ちしている会社側がどうかしてると思わざるを得ない。僕たちはいつまでこの不毛な「正」を求めるマッチングシステムを導入しつづけるのだろう。

一発勝負の正しさに対して向き合った経験よりも、小さくてもたくさんの勝負をして、そこでの間違い(トライ・アンド・エラー)を重ねていく中で身につけていくことのほうが意味はあるはずだ。幸福を決める指標は、何年も前から多くの研究結果で示されているように、年収の高さでもなければ、勤務先の企業の知名度でもない。誰かと比較して決まるような幸福を僕らは幸福と呼んではいけない。幸せかどうかは、自らの意志で自分の人生を決めたかどうかにある。決めるとは、いままでの自分の経験と知恵を総動員して判断することだ。生きることは決めることと言い換えてもいい。そして一度決めたことに対して「正しさ」は不問となる。正しくても間違っても、結局、自分で生き方を選んだ人は強い。


これから正社員の本質が問われていく。正しき社員と書いて「正社員」。しかし、いま企業において本当に必要なのは、生きる社員と書いて「生社員」だ。この混沌とした世界において「Right(R社員)」である必要はない。正しさはむしろリスクであり、正しさを追い求めた結果、社員が生きているのか死んでいるのかわからなくなったゾンビ化した企業も少なくない。だからこそ、「Live(L社員)」に重きをおける人材、自らの当事者意識をもてる人材がこの時代を創っていくことができるはずだ。あなたに「生」はあるだろうか。

この4月から法政大学キャリアデザイン学部の兼任講師となりました。これからの時代を生きる人たちの生き方を決める力をエンパワーメントできるように務めて参る所存です。


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