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〈インタビュー〉ラグビーのように福祉を|三宅訓平さん

 部活動に青春を捧げるのは日本のひとつのカルチャーともいえる。しかし無論、部活を進路へとつなげていく人はごくわずか。ならば、流した汗と涙からその後の道の糧となる学び・教訓・自己理解を引き出せるかが、大きな鍵となる。三宅訓平みやけくんぺいさんは、中高時代に全霊を注いだラグビーをとおして仕事・人生における軸を形づくり、いま福祉の世界で自分を活かしている。

福祉でもいいかな

中高時代は部活動に熱を注いでいた三宅さんは、福祉の道をもともと積極的に選んだわけではない。

三宅:中高はラグビーに打ち込んでいました。進路は、サラリーマンというより、何かしら人と直接やりとりをする仕事がいいなとぼんやり考えていました。だからなんとなく、学校の先生かな?と思っていたんですけど、教育学部、ちゃんと学力がいるんですよね(笑) 最後の大会が終わるまで全然勉強していなかったので、きびしい!となって。それで、教員免許もとることのできる大学の社会福祉学部に進むことにしました。

社会福祉の道に進んでみてると、悪くないもという気持ちが徐々に芽生えてきたという。

三宅:たまたま福祉の勉強をすることになったわけですが、サボるのが苦手な性格で、講義を一列目で聞いたりしていました。そのうち、「福祉でもいいかな、将来」と思うようになっていました。福祉というとニュースではよくないことばかり。劣悪な環境とか。でも、本当によくなかったら、最悪やめたらいいのかなと考えていました。

福祉にも広がりがあるなかで、はじめに三宅さんが関心をもったのは、現在携わる障害福祉ではなく地域福祉だった。

三宅:当時は障害福祉にまったく興味はありませんでした。正直にいうと、怖いみたいな感覚もあったんですよね。どうやって支援するんやろう?大変そう...と思ってました。ただ体験せずに決めつけるのは嫌なので、一度作業所のインターンへ行きました。そのときに「意外と一緒に過ごせるやん」と気づいて、偏見的なものは低減したように思います。ただ一番おもしろそうに感じていたのは、地域の困りごとを解決する地域福祉。社会福祉協議会を知って、自分の知っている地域でやれたらいいなと思うようになりました。

ダラダラする権利はみんなのもの

卒業後、三宅さんは社会福祉協議会で、希望通り地域福祉にかかわる仕事をスタートする。しかし、社協での仕事は「人とじかにやりとりする仕事」という三宅さんが大切にしてきた距離感とはギャップのあるものだった。

三宅:新卒で入職し二年間働いた前職は、地域の人と直接やり取りする機会が少なく、間接的な支援が主な役割の立ち位置で、困りごとを当事者から直接聞く機会があまりありませんでした。困りごとから一定の距離がある立場から支援することがぼくにはむずかしかったんです。地域づくりという間接的な応援よりも直接会って応援する方が自分には向いていると気づき、転職を決めました。

より自分に合った人との距離感を探しはじめた三宅さんが出会ったのが、現在はたらく「くれおカレッジ」だ。

三宅:いろんなところに話をききにいこうと思ってたんですけど、初っ端にくれおカレッジに出会ってしまったんですよね(笑) 

くれおカレッジは、主に知的障害や発達障害のある人が、社会に出る準備をするための場。以前古庄奈央子さんの記事で紹介した「スコラ」同様、特別支援学校高等部卒業後、多くの若者と同じようにモラトリアム期間を障害のある人も過ごせるよう、滋賀県大津市で独自に整備された四年間の学びの場だ。

三宅:くれおと出会うまで、特別支援学校後の進路なんて深く考えたことはありませんでした。障害のある人には、「とりあえず大学行くか」「専門学校行くか」という猶予期間(モラトリアム)がない。当たり前に進学という選択肢があった自分にとって、すぐに働き口を探すしか道がない事実は衝撃でした。ぼく自身、大学時代に楽しい思い出がたくさんあります。そういうのって意味を言葉にはできないけど必要だと思うんです。ダラダラするのって大切だと思うんです。

ダラダラを保障し、大人になることを応援する。三宅さんの障害福祉での奮闘がはじまった。

三宅:転職先は他の業界も含め悩みましたが、障害福祉にいってみようと決めました。モヤモヤしたらやめればいいですしね。幸いつづいてます(笑)

フィルターをかけずに関わる

守るためにあるはずの「障害」が、差別や誤解を逆に生むことは珍しいことではない。

三宅:「福祉では通用するのに、社会では通用しないことがたくさんある。それを体感するのが、くれおカレッジです。」という説明をきいて、すぐにここで働いてみたいと思いました。ぼくは障害のあるひとを「特別扱い」しなくていいと思っています。障害のあるひとだからやさしくするわけではありません。合理的配慮はもちろんありますが、第一に、人に対してやさしくあるというだけではないでしょうか。

やさしさや配慮という言葉で他者の可能性に蓋をしていないか。自分の知識や経験にもとづく思考の枠に相手を閉じ込める危うさはなにも障害に限った話ではない。

三宅:くれおとくれお外とで人との関わり方は基本的に変わりません。勝手にフィルターをかけずに、できるだけありのままを伝える。社会に出たときに「あれ?違うぞ?!」とならないように。ときには、傷つけてしまうこともある。でも社会に出たときに訪れるだろうもので、ひとりで向き合わなくていい環境でその瞬間を迎えるの方がいいと思います。その経験が心が折れない支えになるんじゃないかなと。

決して華やかではない毎日を積み重ねのなかで、子どもは大人へと変化していく。

三宅:ぼくたちの仕事には、キラキラした何かがあるわけではありません。でも時々出会った人の成長に力をもらったりします。「はたらきたくない」「はたらけなくてもいい」と昔考えていた卒業生が訪ねてきてくれたとき、「意外とはたらくって悪くないで」と言っていて、そういうのはグッときますね。

たくさんの肥料や水を与えなくても、程よい土壌があれば人は育つ。

三宅:やる気がないときに宿題やれと言われても、やりたくならないように、気が乗らないときはぼくらが熱くかかわっても仕方ありません。でも、なんだかんだ時間的リミットもあるので、どこかで火がつくものです。そのとき「よっしゃいこか」とぼくもスイッチが入れればいい。

大事なことはラグビーから学んだ

三宅さんのフラットにかかわり、気長に待ち、ともにある姿勢は、プレイヤー・コーチとして長く関わりつづけているラグビーによるところが大きい。

三宅:一緒に考える姿勢は、ラグビーのコーチのときと同じです。「こうしなさい」ではなく「こうするためにはどうしたらええやろ?」と一緒に考えます。ラグビーも福祉もぼくらは指導者じゃありません。上下関係ではなく、対等な立場で一緒にいいアイデアを考える。「なんでわからへんねん」ではなく、「なんて説明したら伝わるかな?」と考える。それもとっても楽しいです。

福祉の仕事に携わっているのは偶然だと語る三宅さん。けれどそれはラグビーに根をもつ三宅さんにとっての必然にも思える。

三宅:マイナーな業界であれば、能力が飛び抜けていなくても頑張れば勝負できることを、ラグビーで体感してきました。もともとぼくは運動神経がいいわけでも、体格がいいわけでもありません。それなのに頼りにされて、中学ではキャプテン、県大会では優勝することができました。サッカーや野球をやっていたら確実にベンチだったと思います。競技人口が少ないからこそ、活躍の可能性があったし、輝かせてもらえたんだと思います。ラグビーのスタメンが何人かご存知ですか?正解は、15人。球技のなかで、実は一番試合に出る人数が多いスポーツなんです。それぞれの活躍できるポジションがあります。細くても、背が低くても。むしろ大きい人を倒したときの快感はすごいですよ(笑) 福祉もラグビーと同じで適材適所の業界な気がします。

華々しい世界は目を引くが、ひとりひとりの持ち味が開花し、輝けるのはそういう場所ではないのかもしれない。

三宅:みんなラグビーやって、福祉やったらいいのに!いや、これ真面目に!一般企業でしんどい思いをしているなら、一回福祉へ来てみたらいいのにと思いますよ(笑) 福祉って一括りに言ってもいろいろあって、どこかにきっと輝ける場所があるんじゃないかなと。

三宅 訓平(みやけ くんぺい)
くれおカレッジ。ラグビーに熱を注ぐ。現在はクラブチームに所属し、中学生のコーチをしている。

ヨコへヨコへと、ヨコヨコと。
次回もどうぞおたのしみに!

執筆・編集:大澤 健
企画:大津市障害者自立支援協議会

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